法華講員によるコミュニティサイト

Cafe'd Minaike113

令和6年
「折伏前進の年」

鎌倉時代の安房国長狭郡東条郷片海村から見た海をイメージしております。

御法主日如上人猊下御指南

四月度広布唱題会の砌


本日は、総本山における広布唱題会に当たり、皆様には諸事御繁忙のところ御出席され、まことに御苦労さまです。

さて、大聖人様は『法華初心成仏抄』に、 「一度妙法蓮華経と唱ふれば、一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔法王・日月・星・天神・地神乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕はし奉る功徳無量無辺なり」(御書 一三二〇)
と仰せられています。

まさに唱題こそ、一切の仏、一切の法、一切の菩薩をはじめ九法界の衆生など、一切衆生の心中の仏性を「唯一音」によって喚び顕す、計り知れない功徳を存しており、その仏性喚起の功徳はまことに大きく無量無辺であります。 よって、この広大無辺なる功徳と歓喜をもって折伏を行ずれば、折伏に当たって必要なあらゆる力が具わり、いかなる困難も障害も乗り越え、誓願を達成することができるのであります。

例えば、唱題の功徳によって、折伏に対する強い意欲と仏様の使いとしての自覚と使命が喚起され、苦悩に喘ぐ人を一人でも多く折伏せずにはいられないという強い一念が湧いてくるのであります。

また、いかなる悪口罵詈、批判、中傷などに対しても一切動揺せず、柔和忍辱の衣を着て、慈悲の心を持って相手を折伏することができるのであります。そして、一切の執着に執らわれず、不自惜身命の断固たる決意をもって折伏を実践することができます。

さらに、いかなる人に対しましても畏れることなく、相手に応じて自在に法を説くことができます。

かくの如く、たとえ我が身は末法本未有善の荒凡夫であっても、至心に南無妙法蓮華経と唱え奉れば、無限大の功徳と力が身に臭わってくるのであります。

故に、大聖人様は『聖愚問答抄』に、 「此の妙法蓮華経を信仰し奉る一行に、功徳として来たらざる事なく、善根として動かざる事なし」(同四〇)
と仰せられているのであります。

されば、私ども一人ひとりがこの御金言を拝し、大御本尊様への絶対信のもとに、一心に唱題に励み、破邪顕正の折伏に励むところに、自らの功徳と化他の功徳を具え、自他共の成仏を期することができるのであります。

どうぞ皆様には、いよいよ唱題に励み、 その功徳と歓喜をもって折伏に打って出て、本年度はすべての支部が必ず折伏誓願を達成し、もって広大なる仏祖三宝尊の御恩徳にお応えくださるよう心からお祈り申し上げ、簡単ではありますが本日の挨拶といたします。
(大白法令和6年4月16日号より転載)

{御指南掲載は、宝相寺hp管理人様のご協力を頂いております。}
〈(__)〉

御主管御指導

4月度御主管御指導

桜が満開となり、春爛漫の季節を迎えました。

今月より新年度となり、昨年度の活動を総括した時に、その反省を確りと活かし、一歩でも二歩でも前進していくことが折伏誓願目標達成の鍵となります。

全講中が時を惜しまず、異体同心の輪を広げて、真剣な唱題と慈悲の折伏で精進していくためにも、予め事前準備を整えて万全を期しましょう。

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