店長日記
令和4年9月22日(木)
よく大先輩より、「行き詰ったら折伏しなさい!」と教わって来ました。
本当にそれしかないと思います。
「迷えば凡夫、悟れば仏」と。
明日からの三連休のリモート法話会に誘ってみたいと思います。
「薄皮をはがすように少しずつよくなる。」
我が家の罪障の深さにため息が出る時があります。
世のオークションで、大聖人様のご真筆を拝することが出来ました。
太田殿に与えられた御書の一部(一紙8行)で、すぐに大聖人様のお筆であると直感しました。
世に散在してしまっている、御本尊やご真筆御書が早く大石寺に戻る事を祈っております。
令和4年9月20日(火)
やっと少しだけ通常の生活に戻りつつあります。
今年は、我が家の大きな罪障消滅の年となると良いです。。
こんな年は表面だけ観ると、二度と体験したくないと思う一年となりそうです。
しかし、御法主上人の御指南、御主管の御指導を心のよりどころとさせて頂き、何とか今日を迎えられております。
今日は在宅ワーク終了後、三女の迎えに西に向かうのですが、夕焼け空が綺麗でした。
日顕上人の御遷化から丁度三年が経とうとしております。
日が少しだけ短くなり夜は寒いぐらいですね。
信心での活動家の方々の情報を見聞きすると、それだけで、元気を頂きます。
自分も早く飛び立たねば。。
なかなか、障害が多くて困ります。
企画部長さんが仰られる通り、自分の手の届く範囲で出来ることをまず、しっかり実績するという事で、良くなっていくという言葉が心に突き刺さります。
令和4年9月15日(木)
此処数日、毎日睡眠が3~4時間が続いていたのですが、今朝はやっと纏まって眠る事ができました。
しかし今は疲労がピークです。
ギリギリのところで御本尊様のご加護あり今日を迎えております。
今日は良い事だけ記載したいと思います。(笑)
地方遠征前の大会と併せて、別の大会でも見事な成績を残した長女は、公私に渡って時間が無いようで、勉強のほうも必死で努力しておりました。夜中0時を回っても勉強しておりました。
子供に励まされます。
今月はどのような着地ができるのか?お題目を唱えて、化他行をいつも頭に置いて、10月を拓いていきたいです。
令和4年9月9日(金)
秋が深まってきていて、夜は寒いぐらいですね。
体調など崩されておりませんでしょうか。
昨日の壮年部唱題会では、子供達のことで、御尊師の話をちゃんと拝聴出来ませんでした。残念でした。
代わりに白子のy班長さんの話は聞くことができ、「この日本の平和は本当に、これからもずっと続くのか❓」との内容は心にズシンと来ました。
今日は自分の仕事異動を知った上司が、お昼に誘ってくれました。
美味しい中華を教えてくださり、担々麺を戴きました。
昔、サンシャインで食べた担々麺より美味しかったかも知れません。
その方には初めて信心の話をすることができ、連絡先も交換できました。新しい下種先です。
大白法に載っていた副委員長の話では、猊下様の御指南の「普段着の折伏」を実践するように指導されておりましたが、これは今月の御主管のご指導にも通じ、今日の自分の折伏は、少し普段着だったので、とても嬉しい思いがします。
そして、大事な会社の先輩なので、じっくり信心の話をしていきたいです。
昭和33年に大講堂建設の工事中に、鎌倉時代の宋銭が出て来たそうで、それは日蓮大聖人様が日興上人様に残さた宋銭だそうです。
大講堂の建設記念に、参詣者にこの宋銭をかたどったバッチが配られたそうですが、それと同じ、(大聖人様が使ったお金と同型)本物の祥符通宝(宋銭)を1枚手に入れる事ができました。子供に見せ、じっくり自分でも眺めておりました。鵞目(がもく)・・ガチョウの目に見えます。さっそく御宝前に収めております。
令和4年9月4日(日)
昨日、実家に訪問することが出来ました。父はやっぱり孫と会うと幸せな顔になります。実家の御本尊さまのお姿が深く心に刻まれます。
お寺に程近い班員さんのところへ家庭訪問に、行ったあと、お寺に戻ると豊島のm地区長、東京西部のn壮年長、白子のy班長、我が地区のt班長と眷属で国際部のdt君。c副班長さんとも会話を交わすことができました。
こんな短い間に、こんなにも沢山の方々と会話か出来、御本尊さまに会わせて頂いたと感じます。
家庭訪問に行かせて頂き、功徳を感じます。
次女との帰りの電車では、高架化が進む西武線から、空高く夏の入道雲がずっと見えておりました。
夏と秋が交差する季節なのでしょうか。夕方からコオロギが鳴いております。
自宅の御法主上人猊下様の御本尊様と御指南と、御主管のお心を心に、明日からまた頑張れます!
9/1の大白法の、総会の様子を早く拝したいです。事務局に取りにいけました。
令和4年9月3日(土)
あっという間に一週間が経ってしまいました。
御主管の今月ご指導の一文にあるように、秋深くなりつつあります。我が家も「豊水」「幸水」といった美味しい梨が御宝前に供えられております。
今年は次女がお友達からもらってきたカブトムシの幼虫が成長になりましたが、今年は逃がしてあげる事にして、庭にそっと餌と共に置いておきました。
確認すると余程我が家が好きなのか、餌の近くにそっと隠れて生きておりました。
飛んで逃げればよいのに・・
大きなガマガエルも近くに一緒にいて驚きました。どこから来たのか・・
仕事は相変わらず少し大変な時で、おそらく10月ぐらいにならないと解決しない事象が続いておりますが、その中で観妙院上人指導集を又一巻から拝する事にしました。
このご指導集では、大聖人様御一代についてもご指導があり、御在世にいるような気持ちになるのが不思議です。
我等、邪宗から入信するときは謗法払いをする。しかし、経済生活の中で謗法の思想を払っていない。
信心が深まっていくと、今まで親しかった人が実は自分には害である事が分かる。酒を飲んで肩を組んで歌った仲間が実は自分には良くない影響を与える人と分かる。。と。観妙院上人はご教示くださっております。
拝読していると元気を戴きます。
長女が部活の地方遠征がいよいよ始まります。
功徳を頂いて結果を出しているので、ちゃんと見守っていきたいです。
令和4年8月28日(日)
昨日のリモートでの唱題行参加の最中に、三女がパソコン画面上(本堂後ろ姿)、東京西部の壮年長さんを指して
「この人だーれ?」と聞きました。
相当オーラがあったようです。
「パパの大事な友人」であることを伝えておきました。
唱題行後、企画部長が家庭訪問に関する体験をお話し下さいました。
お寺でお年寄りに声をかけられて、「あなたのお父さんに良く家庭訪問に来てもらったんだよ。」と。
50年前の話だそうです。本当に感動するお話です。
昨日、詳細な我が班の「名簿の整理」を実施しました。
今日の班座談会では、企画部長のお話をしつつ、家庭訪問に今も動く班員の皆さんに、より刺激的な話が出来たのかも知れません。
皆、動かれていて、頑張っております。
班座談会の後、昔活動家だった方のご自宅へ家庭訪問に行くことが出来ました。
会えませんでしたが、新聞と手書きの手紙を残しました。一念で何とかあってお話したいです。
夜の地区のリモートミーティングで、幹部の皆さん、皆班員さんの事で苦労をされているみたいです。
子供達の夏休みが今日で終わりました。
令和4年8月24日(水)
御主管は、阿仏房尼に与えられた御書を引用され、謗法の者へ折伏しない事が「眼耳の二徳」が破れてしまう事の恐ろしさを。又大法道院展以降の信行についてもご指導くださいました。
a御尊師は、疫病は愚痴より起こる事。魔は仏様には絶対に勝てない事などご指導くださいました。
(あまり記載するとセキュリティ的に、情報漏洩など可能性もあるので、残念ですがこの辺にしておきます。)
先日、電車より歩いたほうが早い場所と判断し、お寺から歩いて要町へ家庭訪問へ行ったのですが、その場所は先達とばったり会った場所でした。
懐かしいと思いながらも、到着するとアパートが一軒家に変わっており、少し残念でしたが、引き続き彼の留守電にメッセージを残したいと思います。
組織の高齢化は悲しい事ですが、少し老いた我が父を長寿会のリストに、三部があげてくださったことが嬉しくて、さっそく父に伝えてしまいました。
家族が霊山に旅立ってから、御本尊様を大事に思ってくれる父に親孝行が沢山したいですが、此処2週間ぐらい実家に行けておりません。
妻の祖母は福岡で長く信心をしていて、福岡の家に御挨拶に伺った時、「日達上人様の御本尊様」が御安置してあり、我が実家の御本尊様と一緒で、不思議な因縁を感じたことがあります。
長寿会の時期になります。今回はコロナ禍で開催はないようですが、その先達の御恩を忘れないでいきたいです。
「一機一縁」という事について、深く感じる事があり我が家の書籍を拝しておりました。
釈尊が法華経以外の諸経も、一機一縁の衆生の為に説かれたとあり、一機一縁もこの場合、1人という事に限らず、その縁ある複数の人々が一機となる事も少し驚きました。
釈尊が、一切衆生全ての為の法華経を説かれる前に、その土地ごとの一機一縁の衆生の為に法を説かれたという姿を想像しておりました。
「一機一縁」という事は御本尊についても学会を始め、邪宗日蓮宗が迷う所でありますが、我が家に御安置の御本尊様と自分との因縁を思いながら唱題しておりました。
諸宗は本尊に迷う、とは大聖人さまの御金言ですが、本当に正宗で幸せです。
令和4年8月19日(金)
今日は日寛上人様の祥月命日ですね。
今朝は、少し夏の雰囲気から秋の気配を感じる空気になっている気がしました。
少し涼しくなってきた昼間にセミが鳴くようになりました。
夕方に秋の虫が鳴いております。
昨夜は、家の鉄板で「もんじゃ焼き」。福岡から上京中の家族へ振舞いました。
チーズや餅が入ると具材のおいしさが増します。
仕事での壁がなかなか乗り越えられず、少し大変ですが、御本尊様に全てお任せしていきたいと思います。
令和4年8月17日(水)
昨日の勉強会で、御主管は御講義の中で、板書は「正系」、「二箇相承」、「唯授一人」とお書きになられました。
また、大聖人様のお弟子である本六を、書籍のページが画面で映し出し、其の載っている順で、「日昭」「日朗」「日向」「日持」「日頂」。最後に「日興上人」が、大石寺が、正系であることを分かり易くご指導くださいました。
学会は、「大聖人直結」と云っており、それらの謗法である事は明々白々ですね。哀れです。
「極理を師伝して」との御主管の御講義を拝聴できる聴衆すべて。聞法の功徳は計り知れない事。我等凡夫は感じませんが、すごい事です。
(話は変わります)
我が家族に「姿勢が悪い」と自分は良く注意されます。
長女にも、背中を押して注意されました。笑
ピン、と姿勢が良く、正座も椅子でも歩いてもピッしっとしている人がうらやましいので、自分自身姿勢を強制していきたいです。
(話は変わります)
七つの習慣という一般的な物事や仕事の進め方の思想の中には、
「完成した形を思い描く」
という考え方があります。(旧日記にも記載しておりました。)
仕事では、そのタスクのアウトプットを思い描き、文書でもプログラムでも、会議でも、プレゼンでも、完成形をまず想像する。
そこから始める。
自分は自然とそれを実践しておりましたが、より強く、「完成した形を思い描く」ことを意識しております。
個人的に趣味としている建築模型では、まずその完成形の大きさ、その完成形に合わせた縮尺、どこまでの建物や周りの河川、山を造形するかも最初に決めます。
そして、完成形が定まると今度は、資料を沢山集めます。その模型に必要な材料を計画します。
そして、着手した時から、設計図(ラフスケッチが多いですが)を基に写真などの記録を取りながら進めていくわけです。
鎌倉時代ならば、絵巻物。鎌倉時代の絵巻物が無ければ、その対象物がある地域の近世の絵巻物。
しかし、たまに困る事があります。それは、
ちゃんとした設計図もある、しかし実際の写真を見ると、違う設計に見える。
建物が設計図に沿って作っていくうちに、修正しつつ制作することは、多々ありますが、実際の写真と違う場合に、どちらが本当の造形なのか。
それを知る生き証人がいれば、聞けばよいのですがなかなか確認できないことが多いので、情報をとにかく集めます。
製作途中で、大発見があったりもします。
完成形を何においてもまず、思い描いてから着手することは大事であると、実際の一般論でも言われており、個人的にもとても大事であると感じます。
自分の短い休みが終わってしまいました。
令和4年8月16日(火)
自分の業界は、お盆休みなどは出勤が多く、夏休みは9月以降にとることが当たり前なのですが、今年は通常のお盆休みに近い休みが取れました。
今日は会社に出勤しております。
福岡から家族も上京しており、我が家は騒がしさに輪をかけております。
大法道院展期間中は、いつもより少しだけ多く家庭訪問に回れ、久しぶりに行った地域には、便利な新街道なども出来ていて、発見もありました。
班員さんの信心と、御本尊様のことを大事に、これからも時間を作って、御主管のご指導通りに、育成、家庭訪問に回りたいです。
子供達は、彼女達自身の幼い時の記憶が、いま意外に残っていることに、私自身、驚くことがあります。
あんなに幼い時の記憶を小学生、中学になっても覚えているとは、昔の録画ビデオなど見返して観たくなります。
またもテキストを忘れてしまいましたが、今日は勉強会に、何とか参詣したいです。
この日記で、自分は、たまに歌の歌詞などいれて自分の世界に入っているような事がありますが、スルーしてくださいますと幸いです。
令和4年8月12日(金)
大法道院期間中、昨日は車中で講演会を拝聴しながら、多摩地域の家庭訪問に回っておりました。
u御尊師の御法話は、大聖人様の御一代の内容が含まれておりましたが、鎌倉の町が思い浮かび、良観が数百人の邪徒を集めて雨ごいの祈祷をしている様子が思い浮かぶような内容でした。
家庭訪問しながら、不思議な感覚で拝聴してました。
昨日、夕方の報告会では、白子のy班長さんが、折伏を成就され、それまでの決死の決意があった上での今回の成果があった話がありました。見習わなければ・・
台風が近づいているようで、昨日の家庭訪問中も、大風を道端で、立ち止まってしのいでいる人がいました。
信心の歩みは進めつつも、お気をつけてお過ごしください。
企画部長が企画後の御挨拶の中で、「難を乗り越える為に、自分自身の信心を強くする事が大事」とのポイントを仰られておりました。
令和4年8月9日(火)
先日の広布唱題会で、御主管は
「大聖人様が、先陣を切って下さっている。折伏戦に参加しなさい、二陣、三陣続け、と仰られている。鎌倉時代は先制政治、君主が全て独断で決めることができた、今は民主的、立憲政治である。二陣三陣続くことが、我らの幸せの道である!(趣意)」とのご指導を頂きました。
夏の大法道院展に向けた企画が盛りだくさんですね。うちの長女も中等部の企画に参加するそうです。
今朝は、青年部時代に組織で縁があった方のお塔婆お寺であげさせて頂きました。もったいなくも御主管お導師のお経で、さぞかし精霊もお喜びかと思います。
我が班の組長さんも、同志も参詣されてました。
個人や、班の折伏成就のため、情報共有も大事に、新来者が来れるように祈っていきます。
日興上人様の時代には、沢山の大聖人様ご真筆御本尊様が蔵されていたそうですが、多くは保田の妙本寺へ強奪した輩がおり、また、その保田妙本寺の日濃という人は、御本尊を売り出してしまったそうです。
そのために、南条時光さんへ与えられた御本尊様が埼玉県戸田市にあったり、寂日坊日華師授与の御本尊も、我らが日目上人へ授与御本尊も、関西方面の邪宗にいってしまいました。
我らが法道院に蔵されていた日禅師授与御本尊や、常泉寺の日仙師授与御本尊のように無事にご帰還されたご真筆も多々あるようです。
日秀師授与の御本尊様はどちらにいかれたのでしょうか。暫くみつかっていないみたいです。
令和4年8月3日(水)
先日の支部団体登山では、帰りの豪雨に皆さんは逢いませんでしたか。
河口湖から大月までの高速、とんでもなく豪雨で、高速道路にあれほど水溜まりもビックリしました。
行きは、富士山から噴火したときの形のような雲が上部に張り付いてました。
富士山が見えたのはこの時だけでしたね。
御開扉では、三女も静かに参加させて頂き、また育成の御祈念もさせて頂きました。
今回のご登山では、名古屋の同志や、白子の班長さんで、昔ながらの親しき先輩家族と一緒でした。
育成をしっかりされていて、一緒にご登山されている姿に脱帽です。
白子はバスでこられてましたね。
同志のaさんにも会えました。
本山大坊受付の親しい御尊師に、昔の写真をお渡しすることが出来ました。
下山後、今回は仕事の問題が山積していて、気持ちが晴れないのは、化他行が弱いからだと思っております。
下種の相手を探してみて、今週残り化他行がんばってみます。
令和4年7月30日(土)②
鎌倉時代に思いを馳せ、富木常忍不審状(四信五品抄の機縁となった富木殿より日昭師への文書)を拝すると、富木殿のおおせには、
「適(たまた)ま明師に値ひ奉り、法門を聴聞せしむと雖ども、根性闇鈍の間、忽ちに妄失す」
とあり、適ま明師に会う、とあり大聖人様に、お会いした時の様子を思いながらの記載があります。
たまたまお会いした、との状況は、辻説法の場なのか、清澄寺なのか、有縁なのか、船の中なのかは、富木殿しか分からないので、想像するしかありません。
「昔し僅かに聞く所の法門、皆以て忘失せしめ畢ぬ」
僅かに聞くところの法門とは、下総若宮の「百日百座説法」のことなのか、「身延説法」なのかも、分かりません。
百日百座の説法の内容を残してくれていたらどれ程良かったかと、残念です。
宗史は深いです。
令和4年7月30日(土)
仕事での波乱の今週が終わろうとしております。
しかし、少し考えを切り替えたら、少し安心に変わりました。仕事で、ここまでが限界という考えを変えました。
昔、(自分は本当にお酒は飲めませんが)お酒の場で、ある先輩がこんな話をしてくれました。
「お酒をここまでが限界(飲める)って、自分で決めないほうが、強くなるよ。」
自分はそもそもお酒が強くなりたいと思わないので、その言葉はさらっと流しておりました。
(少し抽象的な話ですが)今まで、仕事である限界点を決めて、それを超えると仕事の進め方に少し躊躇していたのですが、それをとっぱらって進めたら、仕事への意欲が高まった気がします。
物事、やはり限界点を少し高い位置に定めると違うのかも知れません。仕事は、引き続き大変な状況には変わりませんが、お題目で、冷静で動揺しない命で進めていきたいです。
仕事の波乱とは裏腹に、我が家に、昨日から、ほんわかした出来事がありました。
暑い玄関先に、セミが弱ってひっくり返っておりました。
それを妻が見つけ、心の優しい次女が家の中に連れて来ました。
虫かごの中に草や石を集め、住み家を作り、カブトムシゼリーをあげ、水を霧吹きしておりました。
夕方になり少し涼しくなったので、狭い狭い裏庭のスイレン鉢にセミを移しました。
「明日、いなかったら、元気になって飛んで行ったってことだ。」
親が願う優しい子になってほしいというササやかな思いは、御本尊様の功徳で少しだけ叶っているという感じがしております。
明日の支部団体登山の準備中です。
令和4年7月25日(月)
先日の幹部会で御主管は、「折伏は、成仏の一歩が始まる」行である事。又「信心を頑張る」という決意では、何を頑張るのかという具体化した決意の大事をご指導くださいました。(ご指導一部)
自分も気持ちが弱っていると「頑張る・・」って言葉で終わってしまうので、週単位の具体化した決意を心がけたいです。
土日は、地区の優先唱題。実家への訪問。班員さん宅への家庭訪問。リモート幹部会。地区別組長会と少しだけ忙しかったのですが、さすがに今朝は疲れが残っておりました。
また、先週仕事が嫌な終わり方だったので、今朝から仕事が憂鬱だったのですが、「御宮仕を法華経」との御指南から、一生懸命仕事に取り組みました。
小さな事の積み重ねでしかないので、仕事も信心も地道に、徳を積み重ねていきたいです。
令和4年7月21日(木)
Microsoft某アプリの障害で、午前中は会社でバタバタでした。
今日は大好きな蕎麦がお昼ですが、先日、お山の帰りに長女が食べたコンビニの蕎麦は、「静岡の本ワサビ」がとても緑色がキラキラしていて美味しそうでした。
結果、ワサビだけ帰宅後長女からもらいました。。笑
又お山で【ワサビ漬け】を買いましたが、消費スピードが速いです。
お山往復の車内では、古い音楽が耳元に流れながらの登山でした。
長女がいたので、梅沢富美男さんではありません。笑
SMAPの曲でした。
「晴れ渡る空。世界中が、幸せになれ!」
雨雲が本当に晴れ渡り、よい登山でした。今月末も御登山させて頂きます。
昨日の会社リモート打ち合わせでは、落ち込むような話があり、今日はローテンションです。
朝は会社に行く前、お寺に参詣できました。
がんばります。
令和4年7月19日(火)②
今日は会社で、7月の行事表を確認しておりました。
不覚にも御主管の勉強会であることを遅れて確認しました。
(教材も又お念珠もお寺参詣用を持ってきていない。。)
少しの葛藤がありましたが、此処を外してはならん!とお寺に足がむきました。
「信心の原点を持ってきていない方には、コピーを用意してあります」との護城会mさんのアナウンスは諸天の声にも聞こえました。
今夜のご講義は、テキストで言うとわずかなページ数ですが、「善知識・悪知識」というキーワードを、御主管が耳にされれば、これ程までの深く心に残るお話になるのかと、本当に思いました。
Googleの検索キーワードは数文字であっても、莫大な情報が引き出されると似ております。データーベースの大きさが自分とは桁が違います。
甚深の御指導は、正当門家・血脈のある空間でないと、拝聴できないと、深く感じます。
日因上人様の自画像があるとのことで、いつか拝見してみたいです。
本当に参詣できて、よかったです。皆様に会えてよかったです、、また明日も頑張れます。
地道に功徳を積んで、折伏に繋げて行きたいです。
令和4年7月19日(火)
日曜日に、長女と共に総本山へ「中等部研修登山」へ付き添いで参詣させて頂くことが出来ました。
行きの中央道で見る山々は、霧がかかってとても幻想的で、不思議な景色でした。
雨が降る総本山は、全く富士山が見える雰囲気もなかったのですが、長女のハイテンションな様子は、心が歓喜しているようです。
客殿で、御法主上人猊下様、大導師の唱題行に遅ればせながら参加ができました。
大聖人さまの御影さまは、少し遠くに感じました。
中学生のお子さんを持つ白子の先輩と
も会え、少し話をすることができました。
中等部の研修会は、内容は、画面での説明もわかりやすく、本当に親としても参加出来てよかったです。
「南無妙法蓮華経と唱えることで、正しく不安が消えていく」との御指南が心に刻まれます。
御開扉では、始まる前に雲が薄くなっておりました。
御法主上人猊下の正面に座れたのですが、前回よりも、後ろの位置となってしまいました。なかなか、前のほうに座るためには努力が必要です。しかし、本門戒壇の大御本尊様のお姿を拝しながら真剣に折伏御祈念できたのは、よかったです。
御開扉終わると、どうでしょう。
集まった中学生の純粋な信心が、空を晴れ渡らせました。
富士山が姿を見せました。凄い現証です!
売店では、輸送班の先輩と会うことができ、長女そっちのけで写真も一緒に撮り、感激の瞬間です。
なかなか、本山でしか会えない方が多いですね。
帰りも渋滞なく、清々しく帰宅しました。
昨日は仏法講演会にリモート参加し、聞法の功徳で、心溢れる思いがいします。
令和4年7月12日(火)
我が家の仏壇は、大石寺の客殿を模した世界に2つだけの(1つは発注者の希望に沿った形にプロトタイプを作成し、2つ目を発注者に渡すそうです。特注は2つ作ると聞いたことがあります。)仏壇で、そのプロトタイプのほうなのですが、色々なサイトを見ると、「大石寺御影堂」を模した仏壇もあって、鎌倉時代の雰囲気のある趣のある物が正宗の仏壇として売られていました。(日蓮正宗仏具屋「天晴」より)
正直、子供達の成人後の為に欲しくなりました。笑
埼玉南部で大雨注意報が出ていますが、我が家付近も例に漏れず大粒の雨が窓を打っております。
皆さん、お足元お気をつけください。
先日、会社の帰りに自分のタイミングに合わせてくれた同僚に、信心の話を直接することができました。
まだまだ頑張らねばと思います。
令和4年7月11日(月)
あまりにもショッキングな映像と共に、日本とは思えないような、テロが起こってしまいました。
元首相のその在職当時は、諸々揶揄されつつも政治活動をされ、真面目な方との印象がありますが、何故このような事が起こってしまったか、本人御自身が一番ハテナのまま亡くなられたのかも知れません。
末法の世相そのままに、恐ろしい世の中の側面を観た思いがします。
ご冥福をお祈りいたします。
昨日、遅ればせながら3回目のワクチン接種が叶いました。健康でワクチン接種できることへも御本尊様への感謝の気持ちが強く、少々の副作用も有難さを感じます。
伝統の6月が、あっという間に功徳の中で過ぎてしまいました。
コロナが微増する中でも、会社への出勤が少しだけ増え、又生活スタイルも少し元に戻りつつあります。
y御尊師は先日の壮年部唱題会で「お題目を唱えて、諸天を動かす。行足という実行する力が大事。数という成果ではなく、信心の結果を出していく」事をご指導くださいました。
昨日も地区のミーティングが開催され、有意義な意見交換と今週の計画が互いに共有されました。
異体同心の姿を感じます。
我が母にも縁のある、親戚の地区の方で、日興上人様の御本尊様をおたもちされている方がいらっしゃいます。
先日、山門で変わらぬお元気な御姿を見て、少々お話することができました。
不思議な縁で、日興上人様の御本尊様を毎日拝せるのはすごい事ですね。
功徳を毎日積んでいれば、それは大変な事もありますが、安心した生活は護られるわけです。
それには折伏実践しかないとは分かっていても、いざ、行足という実践を伴う修行はまだまだ自分には足りません。
最近、思う事は、「余事を交えず」実践する信心の難しさです。どうしても己心の我見が頭をもたげます。
令和4年7月3日(日)
始めて全体の組長会に参加させて頂きました。
班長会より、(当たり前ですが)参加者が多く、少し静かな活気を感じました。
「最初に勤行した時の事を覚えていますか。誰としましたか。」
ちょっとインパクトのある問いかけであるのと、「恩」という事がダイレクトに胸にせまる言葉でした。
自分はおそらく、初めて勤行した場所は、「豊島区東長崎」。
「祖母と叔父と叔母と、母と姉と、親戚のお姉さんと妹分」とで一緒に、常住様の前でしたのが初めての勤行だったと思います。
組長となり、まず今日の組長会のヒトコマ、この企画の話は一生忘れないと思います。
御尊師から問いかけがありました。
「皆さんは自分は運の良い人と思いますか?悪い人と思いますか?」
との話に、”運の悪い人”で恐る恐る手を挙げてしまいました。
今年は特に大変な出来事が多いので、そのように行動しました。
豊臣秀吉は、臣下に、「自分は運の良い人である」と主張した人間を主将にしたそうです。
人物として悲観的なのか、楽観的なのかのみを確認する質問だったそうです。
んー確かに、自分はマイナス思考ですね。。
暗い気持ちで信心をするのではなく、組員さんが楽しく信心が出来るように、とのお話でした。
この後、副班長さんと(池袋エリアですが)家庭訪問へ行く事ができました。
鼓笛隊練習を終えた長女と次女と本堂で集合し、帰宅しました。
夜は地区の作戦会でした。
内容は「作戦」なので秘密で、割愛しますが、我が地区の皆さんの色々な話は。。最後に地区長がぴしっと纏めてくれるので安心して自由な意見が出せます。
令和4年7月1日(金)
7月になりました。
猛暑は来週、少し落ち着くみたいですが、夏本番という感じの毎日で、夜中も涼しさがありません。
子供がお友達からもらって来たカブトムシの幼虫2匹が同時にサナギになりました。
もう一匹の幼虫は、我が家の庭から出て来たのですが、クワガタかカミキリムシか何かかと思いますが、成虫になるまで不明です。
昨日、会社の帰りに道路脇で困っていそうな若い方がいました。
お声かけすると、自転車の車輪に服が挟まって動けない状態で、又すぐ横の車道には、車が走ってました。
助けずにはおられず、その自転車の車輪を逆回転させ、解放することができました。その方に、お礼を言われました。
世法の事でも、心配りを忘れないようにしたいと、最近改心した自分は、このような状況に会い人助けが出来て少しだけ嬉しいです。
日目上人や、日尊師のご足跡の詳細を知るために「上新田の歴史、郷土」について、の宮城県登米市の市役所に調査をお願いしたら、快諾してくださり、関係部署「市教育委員会教育部・文化財文化振興室及び歴史博物館」に問い合わせしてくださっております。
東北の方は温かいですね。
日尊師が1度、日興上人から破門されたときの「梨の木」跡は【発願梨木】という名前で、富士宮市の「北山中学校」の校庭にあり、GoogleMAPでも確認することが出来ました。
日興上人様の厳格なお弟子への御教導の御姿は、ずっとこの北山中学に残っているみたいです。
明日の法話会へ以前より下種してリモート法話会にも参加してくれていた後輩を誘いました。
良く話を聞くと結婚するというのです。
引き続き、法話会に誘ってください、との話でした。
縁ある周りの方々が幸せになるのは、本当に嬉しいです。
令和4年6月27日(月)
梅雨明けが、関東で発表されました。
暑いはずです。。
我が家の、本山で以前買ったキュウスには下記の文字が刻まれてました。
【千峯紫翠因晴出百呑泉聲欲蓉春】
【清乃】
大自然の中で、色鮮やかな木々や花に囲まれて、晴れているので喉が渇き、泉の清水を飲んでいる。春が、来るのを待ちわびる。
というキヨノさんの呟きなのでしょうか。
自分は漢文は弱いので、この辺にしておきます。笑
昨日、念願の法華講講習会登山に参加させて頂きました。
山梨に入り、71号線の新緑の山道では、どこからも、また道を抜けるまでずっとウグイスが鳴いておりました。
ウグイスが自分の車を追ってきたわけではないのですが笑
此処彼処に森にウグイスがいるという事が分かりました。
でも、少し善き知らせかも知れませんね。。笑
本山の登山受付の登山事務所では、本年ご卒業されたmさんとお会い出来ました。沢山お世話になった方です。
また、内事部でも、ご縁の深いm御尊師にご挨拶ができました。
ご講義では、温かい講中作りの大事が教えられ、また折伏は何故するのか❓育成で、大事な心構えなど、細かい大事なお話が凝縮されており、テキストにはメモいっぱいです。
御開扉では、行きの森に居たウグイスが知らせてくれたように、中央の前の方に座らせて頂き、御法主上人猊下様の正面で、ご説法を拝聴できました。
異体同心の折伏をお誓いもうしあげました。
外は少し小雨で涼しげで、傘はささない程度の慈雨が降っておりました。
帰りにひとつやるべき目的がありました。
それは、売店に行き、昔昔。祖母や母がいつも立ち寄っていた売店が、どの売店で、いま、何処に移動したかを確認する事です。
実はその店を、突き止める事ができました。。パチパチ。笑
昔、お山にいくと必ず立ち寄っていた売店。。祖母や母は
【お茶が美味しい】といって、漬物を食べながら、ずっと長話をしていたことを思い出します。
御開扉前の時間だったのか、下山前だったか。。
その売店には、我が家、子々孫々まで通って欲しいお店です。
懐かしい。。
このお店を教えてくれた、別の売店で「わさび漬け」と「味噌玉(飴)」を購入しました。
帰りは上野原から少し渋滞でした。
令和4年6月25日(土)
今日は本当に暑い日でした。
エアコン全開とまではいかずとも、そのスイッチを押しておりました。
リモートで参加した法話会では、仏法は「文証、理証、現証」において正法である事が証明され、特に「現証」が大事であることをご教示くださいました。
途中、映像のトラブルが有ったようですが、設営の方々も大変ですが魔が強いですね。
この法話会にもさせまいとする魔が生じてきます。
講頭からの御挨拶で、聞いた事のある御法話も、「当たり前と聞くのか有難いと拝聴するのか」で大きな違いがあることをお話されておりました。
よく祖母が言っていた、「袈裟衣を付けられた御主管、御尊師、御僧侶の仰られる事は、本堂の御本尊様の仰られる事を拝しなさい」という言葉も思い出します。
今の自分に置き換えた時に、同じ内容の御法話でも本当に有難く心に響くお言葉である時があります。
自分の行いは、過去の事だと結構忘れている事が多く、人間関係でもやってしまった、言ってしまった、と後悔することもたまにあります。
原因は正しく結果が出てきます。
そんな後悔がないように、九思一言のお言葉をいつも心がけたいです。
1~2ヵ月前でしょうか。
三女と行った公園があります。今日はリモートの法話会の後、同じ子供達と公園に行きました。
とても暑かったのですが、今、この元気にこの公園に来れる事を嬉しく思います。
「現証」としてこの信心が正法であることを身で体験しております。この実証を御主管の仰せのように縁ある方々、皆に折伏していきたいです。
明日も暑いようです。
どうぞ、みなさま、水分補給を十分になされ、お過ごしください。
令和4年6月23日(木)
内船の四条金吾さんが住んでいた場所には、四条さんが薬として使った薬草などの秘薬が、半鐘の内側に文字として刻まれている事が、「日蓮正宗史の基礎的研究」という書籍に載ってました。詳しく薬草の名前や効能が載っていて凄くびっくりしました。四条さんの後の人が残したようです。
我が家の御宝前におあげする「初水」を注ぐキュウスは、昔本山で買ったものです。
今、売店の入り口付近に、なぜかお茶のキュウスばかり売っている店があって、沢山、キュウスがあったのを覚えております。
そのお店がなくなる直前でしょうか、我が家で一つ小さなキュウスを買いました。
大事に使っております。
そのキュウスには、何か漢文で文字が刻まれており、山が描かれ、お年寄りが杖をついてあるいている姿も、そのキュウスに刻まれておりました。
その文字は何が書かれているのか少し調べたのですが分かりませんでした。日蓮正宗とは関係のない、中国の歌か何かのようです。
日目上人に弟子の日尊師がお会いしたという場所が宮城県登米市中田町宝江新井田という所にあるらしく、GoogleMapなどで探していると面白いです。
個人的には「宝江森六丁目」だと思っていたのですが、日興上人日目上人正伝には違う住所が書かれていたので、また明日など会社の通勤時間にスマホで少し探すのが楽しみです。
令和4年6月20日(火)
日曜日は、子供達の鼓笛隊の送迎(係w)でしたが、その待ち時間にお寺の山門付近で皆さんにお会いできました。
久しぶりな方や、地区の皆さんや同志。又お礼を言わなければならない諸先輩とも会え、元気をもらった気分でした。
自宅へ帰宅してから、リモートでの幹部会に参加。
御主管は「同生同名御書」を引かれ、鎌倉御在世の大難の時に、人目もはばからず、信心を貫き通した当時の御信者さんの姿から、我等いまどれだけ有難い環境の中で、信心が出来るかという事をご指導頂きました。
鎌倉時代は信者さんも少ないですから、政治権力で跡形もなく、宗門が潰されそうになった時代です。その中を御在世のご信徒が大聖人様を外護してくださった、その御恩ははかり知れません。
この幹部会で、我が班の副班長さんへ辞令がありました。
地道に活動されている組長さんだったので、副班長として益々ご活躍されそうです。
青年部は信心が深くて、また生命力に溢れていてよいですね。苦労して育成に精進している青年部スタッフに我が3人娘も安心して任せられます。
少しでも愚痴の命があると、魔が近寄ってきます。「不幸を冗長しよう」と。。
魔は本当に、小さな隙間めがけてやってきます。みなさん、用心用心。
令和4年6月18日(土)
嬉しい事に、追加枠で「講習会登山」へのエントリーが完了しました。
今年は完全に諦めていたので、個人的には本当に嬉しい登山となりそうです。
今日は家族が講習会登山に行っております。
昨日の壮年部の唱題会は、リモート参加させて頂きましたが、御尊師から「志」というキーワードがありました。
志あたらに、頑張りたいです。しかし今週は下種ができませんでした。頑張らねば・・
令和4年6月15日(水)
梅雨が終わると夏はもうすぐです。
日本の夏は、猛暑・酷暑、と最近は言われるので、このまま梅雨で良いかもと思う人も希にいるかも知れません。
子供達は「プール」の時期がやってきました。
自分は小学校の時プールが、嫌でいやで仕方ありませんでした。泳げなかったからです。
年少の時にスイミングスクールに嫌々行っていたのですが、長続きせず、高学年を迎えてました。
小学校の時のプールは、ずっと授業中お題目を震えながら心で唱えておりました。笑
あの時ほど真剣にお題目を唱えた事は無かったかも知れません。鮮明にその記憶が残ってます。
その後、中学でやっとw平泳ぎも息継ぎも出来るようになり、やっと楽しいプールの時期がやってきてました。
水泳大会も25m、それなりに泳いだ時はうれしかったですね。
遺伝か因縁か。。長女もプールが大嫌いです。
丁度先日、父が自分に、「子供達も悩みがあるものだから、色々聞いてあげなさい!」と云われたばかりで、丁度、子供達の様子を観てました。
最近、長女の顔が暗いので、原因はすぐわかりました。
水泳が嫌なのが、伝わってきたので、今夜は膝詰めで、寝る前にじっくり話をしました。
自分も水泳の授業が嫌だったこと。泳げるようになった過程。
嫌な授業を楽しくするには、小さな目標を立ててクリアしていく。水泳できる子に平泳ぎの泳ぎ方を教えてもらう。
同じ1時間ならば、どうせなら楽しい水泳の授業にする。
何より、「祈っておくから、大丈夫だから。」と伝えました。
少しは明日は明るい笑顔が見えるでしょうか。
今日は日応上人様の祥月命日ですね。上人の温かい御慈悲を感じつつ、安心してまた明日から信心生活に頑張りたいです。
弁惑観心抄の現代漢字訳を、今日は数行ですが進めました。
令和4年6月10日(金)
父から先ほど、丁度メッセージが届きました。
「今、お前の生きる、この時(小さな子供がいる時期)が一番充実していて、良い時なんだぞ(趣意)」
・・ずっしり来る言葉です。
6/8に、下記の記載をしたばかりだったので、仏様に6/8の日記を見られているような気がしました。
父は、この時期は一番悩みもなくうまく行っていたときで、親子ともども気を抜けない大変だけれども一番充実していて、良い時だったと。。
この私の生きる時期は、「一番充実しなくてはいけない、大切な時」だそうです。
人生の先達がいうのですから、片手間に聴いていられません。心に刻みたいと思います。
令和4年6月8日(水)
先日の広布唱題会で御主管は、「実際に、実践していく」事の大事をご指導くださいました。
自分は、何事も頭で考えがちですが、やはり折伏の実践をしていくことで、功徳と御仏智を頂けるのですから、座しておらず実践していかなればと思っております。
今日は数学に悩む長女が、頭を抱えておりました。
昔、「中卒東大一直線」というドラマがやっておりました。当時、爽やかだった坂上忍さんが主演だったでしょうか。
ドラマのテーマソングのメロディだけ頭に残っておりましたが、あれは「モッズ」というバンドだったことをネットで見て、思い出しました。
切ない曲でした、懐かしいです。少しYutubeで聴いておりました。
当時の実家を少し思い出しました。
「時間はダイヤモンドの光」らしいです。本当にそう、思います。
中卒東大一直線より
↑クリックしてください
「今までの人生で、どの時が、一番幸せでしたか?」
という質問をされたら、自分はいつも、「今!この時です!」って必ずこたえられる自分でした。
でも最近はどうでしょうか。
全然、そのようには答えられない自分でした。
最近、自分の変わった小さな事は、些細な事で「怒らなくなった」という事です。
少し寛大な自分で居たいと思うようになりました。
信心は折伏を、班や組員さんをいつも考えて進んでいきたいです。
先日、次女の学校の先生にパンフレットを渡して信心の話ができました。手品がとても好きな先生だったので、少し話が盛り上がってしまいました。
令和4年6月3日(土)
実家の父が、我が家のメダカのスイレン鉢にくれた「ホテイアオイ」が見事な紫の花を咲かせました。
さっそく、SNSに載せました。
以前の日記で、「地獄の1年から脱した」などと記載してしまいましたが、少し表現が良くなかったです。
時に体調を崩していて、その時は地獄の一時的な境界だったかも知れませんが、いつも仏様に護られる生活で、その中で大変な時もあった、という事です。
父が仕事帰りに我が家に寄ってくれる事が少し増えてます。
元気で嬉しいのですが、今日は雷雨だったので、心配でした。
令和4年6月2日(木)
御書におしたための、火を起こすときに使う【ほくち】って何でどんな形だろうか、と現代人は思うものです。
今、馴染みがないですからね。
子供達が好きな「冒険少年」など番組を観ていると、
(ああ、これが火口〈ほくち〉かぁ)
と、初めて知るわけです。
【法華初心成仏抄(1314頁)】には、
祈りが成就するのは、
「よき師」と「よき旦那」と「よき法」
「よき火打」と「よき石の角」と、この「よき火口」
で火を起こすことが出来る、と分かりやすく譬えて、御指南くださっております。
自分自身、いつもこの「よき旦那」になれず、守られない生活をしておりました。
連続折伏のとき御主管から頂いた、お念珠をご宝前の奥にしまい、自分が買った水晶のお念珠ばかり使用していたのですが、その使用期間。何故か体調崩していたりしてました。
心が自分は曲がっていると感じます。
釈尊が菩提樹の下で悟った
阿耨多羅三藐三菩提
(あのくたらさんみゃくさんぼだい)
って、何だろう?
って、いつも思うわけです。
三世諸仏総勘文教相廃立には、我が身が、「地」「水」「火」「風」「空」
なりと、知ろしめして
即座に悟り
というのは、どういう感覚なのでしょうか。
どこまでいっても、難しいです。
修行が、自分には足りません。これからは、仏様に守られる生活をしていきます!
令和4年5月27日(金)
今日は病み上がり休暇を頂いております。
しかし、午前中は家の掃除をしつつ過ごしておりました。
午後は、次女の先生との二者面談があります。
やっとこのタイミングを迎えました。話をするストーリーは出来ていて、パンフレットも手帳に挟んで揃えております。
先生に信心の話をしてまいります。御報恩の折伏です。
先週、一番大事な通院の時、最寄り駅のロータリーで御婦人に声をかけられました。
「能安寺です。」
法華講の同志が街頭折伏しておられました。
これほどまで励まされた事はありませんでした。御本尊様はいつも傍に居てくださる事を感じました。
良い意味で負けてはいられません。そして自分はその時、復活を心に誓いました。
我が住む国土世間には法華講の方が比較的に多く住んでいるように感じました。
この国土を本当の意味で寂光土にしなければ、御報恩しなければと思います。
今日はその第一歩。個人的に出陣の時です。
弱々しくも出発のエンジン音が聞こえて来ました。頑張ります。
令和4年5月26日(木)
サザンオールスターズの「ミスブランニューディ」の音楽がスマホから、耳元で流れ始めました。
そして立ち上がり歩き出しました。
地獄の一年から、やっと脱した時でした。こんな長くなるとは思いませんでした。
病院からの帰りです。
内臓の病ではないのですが、最近は少し生活に支障が出るレベルでした。
本当に御本尊様に守られました。
仕事も上司に恵まれているので、安心してお休みを頂きました。
もう若くないので、身体を労っていきたいです、本当に。。
この闘病期間中、色々深く考えておりました。
釈尊仏法の「八正道」からやり直そうと。。
釈尊、初転法輪での内容だったかと思います。
正見(しょうけん):正しく物事を見る。
正思(しょうし):正しく考える。
正語(しょうご):正しい言葉使いをする。
正業(しょうごう):正しい行動を常に心がける。
正命(しょうみょう):正しい生活をする。
正精進(しょうしょうじん):正しく努力する。
正念(しょうねん):正しい人生の目的を意識する。
正定(しょうじょう):正しく心を集中し安定させてゆく。
↑
基本から正して、折伏頑張ります。
令和4年5月25日(水)
昨夜は、このサイト運営でお世話になっている宝相寺の壮年部の方とメッセージのやりとりをしておりました。
御法主上人様の御指南を更新する上で、テキストベースで文字を頂いています。
地域は違えど、異体同心の熱いメッセージが来て、本当に嬉しかったです。
今日も仕事帰りの父が、我が家に立ち寄ってくれました。
我が家、スイレン鉢のメダカにも心を砕いてくれてます、優しい父です。
地区の同志より、LINEでメッセージを頂きました。
今度は自分が、班員さん、組員さんに気遣いしなければなりません。
自分の事ばかりで、悩み、止まってもいられません。
爽やかな五月の風が吹いております。
良い風が、地区の折伏を後押ししてくれる気がします。自分もがんばります!
令和4年5月21日(土)
今夜は80過ぎた父が激励に(家庭訪問)、我が家に来てくれました。
少しだけ、孫たちとの夕食を楽しんでくれました。笑顔を久しぶりに見ました。
「俺も60代に同じ経験をした。。」と、大変な時代の話を聞かせてくれました。
サプライズです。諸天善神です。親子の因縁です。。
こちらが、父に激励されました。元気をもらいました。あまり詳しい事は、申し上げられません。
自分は内臓系は健康なのですが、爆弾を少し抱えてました。
この一年の苦しみが、やっと、やっと少しずつ晴れて来ております。
今週は、病み上がりで余り動けませんが、嬉しい痛み、悲鳴です。
こんなに嬉しい事はありません。
身体をより大事にしなければと、思います。
そして、親孝行の気持ちがより深まっております。
令和4年5月10日(火)
ウグイスとツバメは、両鳥ともスズメ目(もく)らしく、少し似ているのかも知れません。
ここ最近、ツバメが数年ぶりに、我が家駐車場に巣を作ろうと周辺を飛び回ってます。
ウグイスのホーホケキョの前の鳴き声とツバメの鳴き声が似ています。自分だけかも。
最近鳴いているのは、ツバメ?
会社の帰りに高校の時に聞いていた女性ロックバンドのアルバムを聴いております。
あの頃は何も考えず?好き勝手な事やってたな、と。。あれから30年以上経ってしまいました。
それにしても、サザンも曲が良いです。
(情熱を消さないで♪一人しょわないで♪晴れ渡る空のように♪)
令和4年5月7日(土)
今日は次女の授業参観でした。
次女の教室は4階で、校庭奥の新緑が教室の背景となり、良い環境で勉強させて頂いているのが有難いです。
コロナで短い参観時間であったのと、人数制限がはありました。
ママチャリを飛ばして学校から帰宅しました。
帰宅後、法話会にもリモートで間に合い、mさんの御法話を拝聴できました。
人生に起こるあらゆる障魔は南無妙法蓮華経のお題目で払う事ができ、また一生、このお題目で徳を積んで、乗り越えていくとのお話を心に刻みました。
法話会の途中で、班の方からのお電話がありました。
この班の方とは、昨日・今日と激励を頂きました。
沢山の生命力と元気を頂戴した思いで、実際に心身が不思議と軽いです。
魔がとにかく強く、これから本物の信心の時なんだと。一生涯、信心は続くのだから、無理はいけない。神経を使い過ぎている、との言葉も頂きました。
己心の魔が強いとのお話を先日の御法話でも頂きましたが、己心にやられないように、信心を強固にしていきたいです。
輝いた明日からの信心生活の為に、頑張ります。
令和4年5月3日(火)
今日は子供達を連れて実家に行きました。
実家の御宝前には、綺麗にお樒が水で洗われ・飾られており、ご飯もあげられていて、安心しました。
少しお題目をあげさせて頂きました。
実家に隣接、平行して走る空堀川は、近所の子供達が水遊びをしています。
水辺にはオイカワが泳いでおりました。ザリガニ採りに来ている親子がおります。少し遠くで魚釣りをしている姿がありました。
カルガモがガーガー云いながら泳いでます。
先日の我が家の法要の時に、久しぶりに真隣・御近所の叔母さんと再会したのですが、今日も会う事が出来ました。
お孫さんと一緒でした。折伏したい相手です。
大法道院展期間中につき、昨日は会社の人へオンライン法話会へお誘いしたのですが、返事がなかったり有っても良い内容ではありません。
先日の広布唱題会での御法話では、己心の魔が最大、最強の魔であることをご指導頂き、改めてはっとしました。この障害が己心の魔であることに気が付きませんでした。
元品の無明・・
心配事は絶えませんが、少し明るく頑張ります。
令和4年4月29日(金)
ここ数日朝に、我が家の近くにウグイスがやってきて、さえずっております。
今年は、4/24あたりから透き通った声で鳴いております。
昨日父が我が家を訪れました。自分が在宅中の昼間に、来てくれました。
父に、逆に元気をもらった感じです。
笑
在宅だったので、運動するように言われました。笑
今朝の唱題行のあと、i幹事が
「先代から以前頂いた御指導で、立正安国論の原理に基づいた信心を基本に、それぞれの分野で活躍するように」
との、話をしてくださいました。
今日からの大法道院展の案内を、送れてない新来者に合間をぬって送信したいと思います。
令和4年4月21日(木)
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
スマホを見ても、テレビを見ても暗い戦争のニュースばかりですね。
それらニュースの中から、又明るいニュースを必死に探そうとしても、心が暗くなるばかりです。
n御尊師が、この世相の中でうつ病その他の病になる人が出て来ないか心配の旨お話されていた事がありました。
自分も例に漏れず、ちょっと調子が悪くて、少し詳細な検査までしてもらいました。
結果、お腹のガスが痛みを発症していました。とても軽く済みました。
自分は、7年前ぐらいに小さな胆石があったのですが、その胆石は全く消えておりました。(おそらく大きくならずに流れた)
また、先祖が苦しんできた病気の兆候もありませんでした。先生云く安心してください、と。
これほどの功徳はありません。
健康という大功徳を実感しております。
我等住む世界を「忍土」。又「衆苦充満」と説かれます。
自分も心配な事だらけです。
大変な状況ではありますが、しかし絶対に我等。隠れての沢山の功徳を頂いていると感じます。この自分の惰弱な信仰、上記の健康体験からもそのように思いました。
令和4年4月17日(日)
今日は、久しぶりに山門折伏に立たせて頂きました。
最初ひとりだったのですが、東京西部の班長さんとその班員さんもされていたので、その後、又混ざって行っておりました。
山門に立っていると、ある信者さんがお声かけくださいました。
「山門でのお声かけは、『三大秘法の南無妙法蓮華経です』ってそれだけで良いと思いますよ。」というのです。
学生の時でしょうか、このように教えられました。
「南無妙法蓮華経は、日蓮宗も唱える。しかし我等、その南無妙法蓮華経とは違い、三大秘法の南無妙法蓮華経である。それが下種の大事と。」
その話を少し思い出しました。
4行下種は、御尊師のご指導にもあるように、街頭でお声かけし聞いてくれる人には積極的にすべきですよね。
山門で通り過ぎる、一瞬の縁のある人には、この『三大秘法の南無妙法蓮華経です』という下種は効果がある、功徳があると少し感じました。
4月の大事な折伏を、明日から心がけて生活していきたいです。
令和4年4月16日(土)
今日は我が家の法要の日だったのですが、たくさん勇気を頂いた日となりました。
特に、御主管に父と共にお会いする機会があり、一生の宝となる貴重な時間となり、父も大感激です。
御主管は諸々大変な中、信徒に時間を割いてくださる御姿はもったいない事です。
お経では、先祖へ沢山の追善を頂き、沢山の諸先達からの激励と、また親戚との会食も有難かったです。
ある地区長さんが御自身の大変な状況を教えてくださいました。我が地区の地区長も今大変苦労されておりますが、その中で本当に信心根本に精進されている姿に、とても励まされました。
今、戦争が勃発しており、日本近海でも不穏な動きがあります。
皆、不安な気持ちであふれております。
その中、アメリカの空母アブラハムリンカーンが自衛隊との合同練習を実施しておりました。日米安保の論議はずっとありますが、それはさておいても諸天のように少し思えました。
少しだけ安心しました。
今のこの時期、諸天が顕れないということは仏様に諸天が叱咤される所業であると思います。それはないので、諸天が必ずこれから顕れると信じております。
令和4年4月9日(日)
今日の唱題行のあと、m幹事は御主管の御指導を引用され、「対話」の大事をお話くださいました。
幹事もこの春に環境が大きく変わられたとこの事で、ご苦労されていると感じました。
今日は実家に行ったのですが、この25年ぐらい実施したくて出来なかった事が実現した日でした。
これは、御本尊様の後ろの金色の背紙は、仏壇が古いのと、自分が実家にいた時の掃除の仕方も悪く、近くには川も流れる環境で、湿気もあり、日に日に汚れがめだってました。少しカビが生えてしまっているよな感じもしていて、y御尊師に相談させて頂いたところ、仏壇の修復に、練馬のa班長を紹介されました。
今日は班長においで頂き、交換して頂いたのです。
御本尊様が偉大過ぎるので、その御本尊様の環境が大きく変わったことで、大きく我が家も国土世間も変わると感じます。
これがきっかけで、全てが、世の中に波及して、善くなると信じております。
令和4年4月5日(火)
ネガティブな日記が多いせいか、はたまた、顔に出ていたのか?
東京西部の壮年長さんにお声かけ頂き、少し心配されてしまいました。
自分は何とか元気で、心はズタズタだったのですが。。何とか復活です!
これまで、自分はluckyな事が多かったのですが、ここ最近、数年、落ち込む事ばかりでした。徳を使いすぎたかも知れません。
祈りと行を変えたら?心がかわりました。必死にならなきゃと。。
今日は、お昼のお弁当に、サービスのお茶とボールペンをもらって、それだけでluckyでした。風が変わるかも。。笑
皆さん、お風呂とか、ゆっくり入ってリラックスされてますか?
お忙しい日々を皆さん送られてると思いますが、たまには、ご自身を労ってあげてください。
母がよく言ってました。
「生身の人間だから」と。
たくさん、たまには自分にご褒美をあげてください。お願いいたします。
令和4年4月3日(日)ver.2
話が前後しますが、今日の広布唱題会では御主管より大事な人事の発表があり、少し衝撃的な内容でした。
この変化の中で、たくさんの色々な事が起こっているように思います。
全て良い方向へ進む一手であり、その進むべき道に我等ならって歩んでいくだけだと感じます。
法教院より、o御尊師が帰還されました。本当に嬉しかったです!
我が家の御入仏にいらした御尊師が戻られたのです、我が家から歓声があがりました。
今日は鼓笛隊の子供達の送迎があり、お寺へ参詣したのと、長女、次女とそれぞれ時間を共有ができ、有意義に時間が過ごせました。
夜の地区リモート会議には、又情報共有がなされ具体的な動きや、これまでの成果が話され、リモートならではの相乗、良効果があるように思え、この時期の信心の在り方を忘れず、また大事にしていきたいと思いました。
令和4年4月3日(日)
昨日は、桜満開の総本山へ参詣することが出来ました。
中央道からは左右に桜が散見され、遠く見える白い富士山も不思議と少しピンクがかって見えるのが不思議でした。
圏央道と中央道は、予定通りの渋滞でしたが、着山時間はギリギリとなり、
賑わう広布坊には日頃会える皆さんだけでなく、大阪、名古屋の先輩・同志昼食も、コロナも少し忘れて話してました。
桜満開のお山に圧倒され、撮った写真は30枚を越えて、実家の父にも送信。
地区で大阪グループの、青年部時代にお世話になった方のお子さんが立派な女子部になられ、その当時、ベビーベットで寝ている横で組唱題会を小声でさせて頂いた頃を思い出しておりました。
長女は、中等部の合宿に参加させて頂き、遠目で見守ってましたが、青年部の仲間入りとなり。。次女はお姉さんの居ない自覚が出来たのか、三女へ御本尊様へ手を合わせるように促している姿がありました。
御開扉では、御壮健でいらっしゃる御法主上人を拝し、また勇気凛々です。
青年部が主となり、ドローンでの写真撮影も圧倒され、オンラインの登山申し込みなど、斬新な在り方に脱帽です。
帰りの渋滞は無かったのですが、圏央道に入った途端、三女のトイレで西八王子で降りるなど、イレギュラーな事はありましたが、本当に感動に次ぐ感動の登山で、忘れられないお山となると思います。
御報恩は育成と折伏しかありません。
頑張ります。
今日は広布唱題会をリモート参加させて頂き、午後は子供たちの鼓笛隊の送迎でお寺に参詣させて頂きました。
令和4年3月30日(水)
一週間は早いです。もう水曜日です。
今日は次女と生まれる前の自分達の「命」について、話が盛り上がりました。
次女は、自分は過去に、動物だったかも知れないし、ひいおばあちゃんだったかも知れないし、という話をしてくれました。
夢で滝のある大自然の中、「鳥」のような自分が居たらしいです。ひいおばあちゃんというのは、本人の願望なのかも知れません。
(私)自分自身は自分が、羊か何かの動物だった夢を見たことがあります。
綺麗な川が流れております。その川の上には、川とは平行というよりは、少し交差するように、高い位置に、吊り橋のような橋がかかっていて、見上げております。
川の水を飲んでいたのですが、上の橋から、「人の声」が聞こえて、周りが一斉に逃げます。
よく考えると四つん這いのような高さの目線で、周りが全て羊でした。羊の仲間たちが、一斉に一方の方向へ逃げていきます。爆
結果、自分が過去に羊だったことを悟りました。笑
今、どうして人間としてこの世界に生きているのかを、本気で悩んで眠れない学生時代が、何度も何日もありました。
この今の自分の存在は何なのか。
何故自分がこの世にいるかは、この後、お寺で拝聴した話から少しだけ知る事になります。
「広宣流布のために生まれて来た。」
もちろん、御主管のご指導のように、自分の出来ることはほんの小さな事でしかありません。
未来に全く名も残らない我等が、広宣流布の為にこの大事な時に生まれて来た。これほどの光栄な事はありません。
不思議な因縁で、今、このお寺で皆と修業が出来る。これほどうれしい事はありません、本当に。
過去を想像するだけで、わくわくします。未来を思うと嬉しくてゾクゾクします。
令和4年3月24日(木)
今日は、長女の卒業式でした。
会社はお休みを頂き、体育館で参加させて頂きました。
奇しくも今日は、佐渡から鎌倉へ戻られる大聖人様が、我が家の前を通る鎌倉街道を歩かれたかも知れない善き日であり、あたたかな陽気の中、卒業式の会場には、子供達の元気な姿がありました。
綺麗なスリッパが無く、朝から24時間営業のSEIYUへ行ったのですが、売っておらず(汗)
そして、父兄入場完了の時間ギリギリで、この鎌倉街道を朝から走っておりました。(笑)
長女の少しだけ背が伸びて、成長した姿に、この前幼稚園を卒業したばかりと思っていたのですが、「孫にも衣装?」の感があり、長女も見た目は立派な中学生となれそうです。
お寺に何度も来てくれ、また、自宅の御本尊様にも手を合わせている長女の友人が卒業式を迎える事も嬉しくて、もう感動です。
仕事は年度末で大変な時期を迎えますが、功徳を戴き順調です。
3月26日は、佐渡から戻られた大聖人様が鎌倉へ戻られる時となり、いよいよ春を迎える時期となります。
心から春を迎えられるよう、精進ですね。
顕正会を脱会する直前の対象者が、少し入講が厳しい状況にもあり、ちょっと困っております。
また、明日から折伏を念頭に頑張ります。
令和4年3月22日(火)
今月は夢の中の出来事のような日々で、あっという間に月末が近づいて来ております。
先月に記載しようと思っていた事を書きたいと思います。
大聖人様が御入滅した地は、今は邪宗となっておりますが、「本行坊(寺)」という跡地があります。
池上宗仲さんは、どうしてこの地に「本行」という名前を付けたのだろうと考えた事がありました。
[未来万年まで、この事を伝えなければ・・]池上さんは、そう思ったのかも知れないと勝手に思った事があります。
「富士宗学要集五巻」では伝記が沢山載っておりますが、大聖人様が御入滅の際、お経の最中、「寿量品の中間」で御入滅されたという記載がありました。
どのお経の偈文?御文で御入滅になったのか、想像したことがあります。
「我本行菩薩道」・・・このお経のすごい話を、今はお山に上がられた、又少し親しく今でもさせて頂いている、MJさんから拝聴した話を思い出しておりました。
釈尊が菩薩の修行をされていたという文証でもあり、その菩薩の修行をしていた時の「仏様」はどなかた?という事です。
すなわち、もちろん日蓮大聖人様、御本佛様です。
もしかしたら、この大聖人様の御入滅は「我本行菩薩道」を読誦され、御入滅になられ、それを万代にこの事実を残したいと池上殿が思ったのであれば、それは跡地に、「本行」という文字の残したのではないだろうか、と思ったわけです。
事実、何故その名前が今も寺院としてなっても残っているのかの、由来はどこにも残ってないのが現状です。
強信な池上殿の信心が若し当時、存在し、深く考えたならば、そんな事実があるかも知れないとの、凡人の戯言(たわごと)です。
釈尊が御出生され、修行され、悩まれ、生老病死の四苦を深く思われ、この苦悩はどこからきたのか、解決策はないのか?
その出世の本懐は法華経であり、文底には南妙法蓮華経の命が流れているわけです。
末法の我等、眼前に御本尊様はおわしまし、「不老不死」の大功徳のある御本尊様であるのですから、すごいです。
生死を超えてしまう。
名誉だ、目の前の利益だ、女だ、金だ。人より優れている事だ、などと考えるこの凡人のレベルでは想像もつきません。
日顕上人様の唱題の書には、お題目の功徳は「生」「死」共に遊楽を感じるという、その境界は想像もできませんが、一歩一歩進んでいかなければいけないと思っております。
昨日は、親しい後輩と少しLINEのやり取りをしておりました。仲間は心強いですね。
皆様と共に、心から安心して信心が日々、出来るよう頑張ってまいります。
令和4年3月19日(土)
リモートの朝の唱題行に少しだけ参加させて頂き、そのまま車へ乗車。
早咲きの桜並木の合間を通り、今日は少年部の卒部式へ、お寺に参詣しました。
254が混んでいて、遅れて到着したのですが、長女の卒部の言葉にギリギリ間に合いました。
地元の小学校の「卒業式」はもちろん、それなりに大事ですが、お寺の少年部の卒部式のほうが三世の生命からも大事だと思っております。
御尊師からは、少年部員へ「皆さんにも悩みがあるでしょう。中等部にいっても色々悩みが出てきます。大人となっても悩みがあるものです。しかし、全て御本尊様に祈る事によって、【乗り越えて】いくのです。」とのお話を拝聴することができました。
講頭もご参加され、ひとりひとりの少年部員へ語り掛けるように、中等部にあがってからのお話もしてくださいました。前講頭の優しい魂がそのまま引き継がれているような、本当に温かい少年部員への激励でした。
青年部長と中等部副部長さんも参加され、これから沢山楽しいことがあること。また小学校と違い、短い三年間の中等部生活を大事にしてほしいとのお話でした。
青年部は、しっかりしていて、頼もしいですね。
このお寺への道中、父から「LINE」を始めたとのメッセージと「友達」への招待が来ました。
ショートメールで「笑」の言葉を入れただけで、機嫌が悪くなるような、昭和の人なのですが、LINEを始めたことに驚きました。
さっそく、子供達とのビデオ通話をやってみました。
明日は、実際に実家に子供を連れて行ってきます。
今夜は自分がカレーを作ったのですが、昔のお寺のコッテリした、祖母の作ったカレーとそっくりでした。
懐かしい感じがしました。
暗いニュースや、寂しい事や、大変な事が多いですが、悩んでもいられないです。
親の事や、仕事の案件も待ってくれません。
もっと大変な人は多いはずです。
希望を持って、カタパルトに乗り、大きく飛躍・出発し。。
又明日からまた進んでいきます。
令和4年3月14日(月)
昨日、いつもと変わりなく「笑点」がやっていたみたいで、録画を少し観てました。
昔からの長者番組ですね。
先日、実家に帰ったら、田舎にも拘わらず、駅が風変わりしており驚きました。町も少しだけ変化があります。
時が、知らぬ合間に流れているのを、町の変化により、より深く感じます。
少し暗いニュースが、多いですね。
御尊師も、うつ病や病気の人が増えないと良いのですが、とのお話をされてました。
広布唱題会のご法話で、御主管は
「身口意の三業で、実践」していくこと。信心とは実践である。
折伏を実践し、皆で共々に、幸せになっていきましょう、との温かいお言葉を頂きました。
実家に、日顕上人様の御登座前の書籍があったはずなのですが、見つかりませんでした。
あと、昭和40年代の我が家の過去帳もあるはずです。。
昭和50年、法道院新築落慶の写真集はちゃんとありました!
令和4年3月11日(金)
一昨日、顕正会の方が、お寺に参詣されました。
もう、何度もお寺に来ております。入講前提で来院したのですが「脱会届」だけは、書くことが出来ないとのことで、帰られました。
色々思うことはあったようですが、この脱会という最後の悪縁との絶縁行為に魔が生じております。
また御祈念していきたいです。
先週からの公私に渡る激務で、身体がボロボロで、今日は会社出勤日なのですが、湿布だらけのサイボーグみたいになっております。
しかし、昨日はお山のご縁ある御尊師より、お電話を頂き、激励賜り、心が元気です!
やるぞーーー!
頑張ります!
令和4年3月8日(火)
我が班の班員さんの御入佛式の帰りの西武線、電車の中です。
フィリピン出身のこの方は、同じフィリピンのお友達に信心の話をしたいと言っており、折伏の意欲のある方です。
「フィリピン一国を妙法の國にしてください」と、とお願いしておきました。笑
「佛様のお遣い」で折伏をさせて頂ける。
この御入佛式も佛様のお遣いでさせて頂き、功徳を沢山頂きました。
霊山の先祖もきっと喜んでくれていると思います。
令和4年3月6日(日)
実家のお風呂に久しぶりに入りました。こんなにも深かったかな?と、昔を思い出しておりました。
この実家を離れてから23年も経ってしまいました。
今週は長かったです。
やっと終わりました。
父とたくさん話をすることもできました。
「文の底に秘してしづめ」とは開目抄の御金言ではありますが、信心には沢山、秘すべしの事があるように思えます。
御主管の御慈悲は深く、御尊師のご指導はその御主管の御心が通じており、たくさんの温かさを感じるこの週末となりました。
この1週間ほど、我が家の罪障消滅をこれほどまで強く祈った事はきっとないと思います。
罪障消滅には、折伏しかない事をいつもご指導頂いているので、また明日から頑張ります。
実は今日、折伏の一歩を進められたので、この大願が成就するように、祈っていきます。
令和4年2月28日(月)
二週間ぶりに仕事前にお寺に参詣させて頂き、御主管御導師の勤行を御一緒させて頂きました。
本山へ上がられるお世話になったmさんにもご挨拶させて頂き、お寺をあとにしました。
時が経つのが早いです。
通勤時。。いつも選曲が悪いと言われるかも知れませんが、クリスタルキングの「大都会」が耳元に流れておりました。
大都会と聞いて、何処を想像されますか?
新宿、池袋でしょうか。渋谷ですか?
この曲は実は九州「福岡」をイメージした曲、「大都会」だそうです。
新所沢の田舎町から、大都会「池袋」を経由して、会社に行きます。
いつも、「果てしない夢を追い続け」る、自分は、50になりました。笑
まだまだ、色々やりたいことはあって困ります。
1980年代の曲は善いです。
今週は暖かいようですが、桜咲く春がもうすぐやってきます。出会い別れの時期ですが、また折伏の縁を沢山繋げていきたいてす。
令和4年2月27日(日)
昨日の幹部会では御主管のご指導があり、広宣流布は一生のうちに我らが成し遂げるのだ!広宣流布は一時(いっとき)にくることがある。それを信じて折伏に励むようにとの、熱烈なお話でした。
海外部のビデオ放映も感動的でした。
海外の方の、大御本尊様への恋慕渇仰の信心が深すぎます。折伏を完全達成した國もありました。
諸天が現れる日である、今日、27日。(松葉ヶ谷法難は8/27ですが、この日、諸天が顕れ大聖人様をお守り申し上げた日ですね)
今日は子供達のリモート少年部大会の前、板橋赤塚の母方の実家にお伺いし、常住様に自我偈一巻あげさせて頂き、叔父叔母に少し孝行ができました。
諸天に遣わされて、母方実家に行ったような気持ちがしております。
自分の母の所属していた豊島地区(旧中部地区)座談会に、幼い時、自分も参加しておりました。
懐かしい感じがしております。
地区長さんとも連携させて頂きました。今日は、懐かしい母実家の御本尊様へお題目をあげることが出来ました。
少年部大会では、純粋な少年部員の体験発表に励まされ、活力が湧いてきます。
我が東京第一B鼓笛隊は、実質「最優秀賞」の価値あり、代表演奏となり、そこに我が子等も末席で参加させて戴きました。
鼓笛隊員はお寺の温かいお心籠ったお昼を頂いたようです。本当に喜んで帰路についておりました。
もったいない事です。一生の宝となる、今日であったと思います。
令和4年2月25日(金)
ウクライナとロシアの戦争が始まってしまいました。
早い終戦を心より祈りたいです。
今週も、波乱の一週間でした。汗
発端は、三女の保育園で陽性の人が出て、保育園が今週休園となりました。
それだけでなく、三女本人が濃厚接触者とされ、今日までが自宅待期期間でした。
その余波は長女、次女にも及び学校は今週休みとなり、オンライン授業をしておりました。
実は今週は、小学校に於ける長女の学年の「六年生を送る会」があり、楽しみにしていたこの会に長女は出れなくなり、大泣きしておりました。
「一生に一度なんだよ・・」
とコロナ禍で色々な事が叶わなかったこの1年の思い入れがある「六送会」だったようです。
六年生を送る会の、この日(2/22)は、親の祥月命日であり、良い事があるはずなのにどうしてかとまでは、思いませんでしたが、長女が可哀そうでした。
(きっと意味がある・・)と思っておりました。
親の祥月命日に泣いている長女は「行きたかった・・」と泣いておりました。ティッシュが山積みです。
この長女(親の生まれ変わり?)のつぶやきが、親の「生きたかった・・」の声に聞こえたように思えました。
我が親は病気となって、19の姉と16の自分を残し霊山に旅立ちましたが、姉の成人式や子の成長、孫の顔も見たかったのではと想像されます。
「(まだもっと長く)生きたかった・・」
信心をしていて、(もう2度と自分の周りでこのような悲劇が起こってはならない!)と強く青年期は思っておりました。
信心をしている人は、全てが思い通りで、満足でそんな数年が続いて、本当に本当に幸せな中で、境涯で霊山に行くと聞いた事があります。
母は、過去の我が家の謗法により満足な今生ではなかったと、勝手に思っております。
そんな事を言ったら、霊山の諸先達に怒られるかも知れません。
親の信心を大事に、子に伝えていきたいです。
・・話は現代に戻りますが、今週は小学校でも欠席の人が多かった為、この「六送会」は再度、実施されるかも知れないとの事を学校が提案してくれているみたいです。
もしこの六送会が再度、実施されるようなら長女は本当に御本尊様に護られていると思います。
(話は変わります)
鎌倉の辻説法跡の横に日蓮宗の像を祭る堂が出来てしまいました。鎌倉の町が汚され史実が濁ってしまいます。
悲しい事ですね。
茶色か何かの袈裟を付けた大聖人を模した像は、きっと往時を思えぬものとなっております。
四条金吾殿の長野の所領である飯田市殿岡に、四条殿の像が建てられたみたいです。
(これも日蓮正宗とは無関係のものです。)
しかし此処、飯田市には日蓮正宗の寺院があるようです。
御書を拝すると、四条金吾殿が殿岡から身延にお米をご供養された内容が残っております。
真心のお米の御供養とは本当に、尊いですね。
末代の我等も見習わなければなりませんね。頑張ります。
令和4年2月23日(水)
(訳あって、今夜の勉強会に参詣することが叶いませんでした汗)
昨日はパソコンのキーボードが打ちづらく、すっきりしない状態だったので、「キー」のひとつひとつを外し、丁寧に汚れを落としたら、今日のキータッチがスムーズでびっくりです。新しいノートを使っているみたいです。
こんなにもパソコンを使用している時の感覚が良いならば、早く掃除をすべきでした。
話のレベルは違い過ぎますが、観妙院上人のご指導で、「良い糊(のり)を作るには、米粒のひとつひとつを丁寧に潰していく作業が、時間はかかりそであるが、一番良い糊を作るコツ」という話から、組織づくりの大事をご指導いただいた話を思い出しました。
日應上人様の「辨惑観心抄」の現代漢字訳は、結構時間がかかっており、これは一生時間がかかるかも知れません。
この子供の寝かしつけの時間だけでは足りないかも知れません。汗
令和4年2月22日(火)
コロナが家族ギリギリのところまで押し寄せて来ております。
凄い魔です。
しかし、家族は皆元気です。
一難去って、の感が少しありますが、心落ち着けて信心の一念強く、ひとつひとつ乗り越えていきたいです。
今日は親の祥月命日なのですが、昨日は叔母より電話を戴き、追善供養の旨お寺へお願いしたとの丁寧は内容の話を頂きました。
35年近く経っても人から思われ、追善されるような信心をしていた事に、身内ながらも尊敬の念が少し湧きます。
冥益をたくさん、たくさん頂いている昨今、御本尊様への感謝を忘れず頑張ります。
令和4年2月19日(土)
昨日は、長女の中学入学説明会と、住宅関連の事で銀行へ出向いた為に会社はお休みを頂きました。
今月の、大きなイベントごとが終わりました。
今日の法話会には、いつも拝聴してくれる新来者の後輩が、リモート参加してくれました。
本当に嬉しいです。見えない功徳を頂いているのではないでしょうか。
明日は自分の入信記念日の、個人的には善き日です。このタイミングで、不思議な功徳を頂くように思えます。
一切は時による、とは指南を頂いていながら、体験しないと分からない・実感しないものです。
御本尊様の功力を、自分の欲しいタイミングというか、願いにより、早く早くと希望しがちですが、これも「時」によるというのですから
「時を待つべきのみ」とは、その内容は、甚深の御金言と感じます。
大聖人様は、御自身のご住居を「家」「小菴(しょうあん)」「庵室(あじち)」、または「坊」、「大坊」とも表現されておられます。
それぞれに使い分けがあるように感じて、調べておりました。
「庵室」とGoogleで検索すると、鎌倉時代の絵巻物のようなものが出てきて、まさに身延の庵室はこんな感じであったのでは、という絵巻を見る事が出来ました。
結果、松葉ヶ谷の草庵は、2、3間の小さな小さな農民の住むような「家」。塚原三枚堂は1間4面の堂。身延は、3間4面の草堂が、文永期に同じ大きさの庵室となり、又弘安4年には、10間4面の大坊の建て替えられる(ちょうど、蓮蔵坊ぐらいの大きさ、雰囲気かと思います。)
という個人的な見解を持っております。
令和4年2月15日(火)ver.2
ご宝前で不思議な事がありました。
唱題が終わった後、ご本尊様の中央やや右の「舎利弗尊者」様のあたりから、ピンク色の一枚の花びらのような形が浮き上がりました。
(春?。。しかし、自分は会社では仕事が大変で、身体もボロボロ感があるのに、なんでだろう?でも、何か良いことありそうで、嬉しい)
という感想でした。
良く考えたら明日は2月16日で、大聖人様御聖誕の日であることに気がつきました。
これから大聖人様がお出ましになり、いよいよ世の中の暗闇が明るくなる時であることを思うとき、やっぱり春は近いかも、と思いました。
令和4年2月15日(火)
皆さんはうどん派ですか?蕎麦派ですか?
自分は昔から蕎麦が大好きで、年越しそばは、いつもより少し豪華なので年末の楽しみです。
学生の時などは、駅のホームの蕎麦たべてましたね。。日暮里とか、所沢とかの駅の蕎麦は、美味しかったです。
懐かしいです。
今日のお昼は蕎麦にしました。
ゆっくりと考える時間も無い、この世の中で、蕎麦かうどんか、どちらが好きか何てことに、頭を使わせてしまい、失礼しました。
たまには贅沢じゃなくとも、好きな食べ物を口にしているときは、幸せです。
信心しているのに、不動明王の徳がまだ自分には、まだ顕れてません。
もっともっと、心落ち着いて、信心がしたいです。
令和4年2月13日(日)
あっという間の三連休が終わりました。
今朝、唱題行の後、i幹事が御主管の勉強会の御指導を一部引用されて話をされてました。(自分は勉強会へは参加できませんでした)
御本尊様から護られる、というだけでなく、信心を正して頂けること。
また、「詐(いつわり)親しむは是、彼が怨なり」という御金言から、信心の同志とは仲が良いというだけではいけない、一つの広宣流布という志で繋がっていく事。
かえって詐りの仲の良さは、その人の敵となるような反対な事が起きるという内容だったと思います。
気を付けていかなければと思います。
代理で参加させて頂いた組長会で、班の組長さん、組員さんと話しをする機会がありました。
コロナ禍で、厳しい環境下でギリギリのコミュニケーションの中で、団結を図る難しさと、又喜びも感じます。
「組織固め」とは言葉では簡単ですが、難しいですね。一人一人の命と会話するわけです。
御尊師からは、組員さんから嫌な顔をされたりすることがあるのが組長さんである。御主管の代わりであり、猊下様の代わりあり、御本尊様の代わりである大事な役目である。それが罪障消滅である。
海外の方への信心の進め方は「準備」が大事であること、等々御指導でした。
今日は元気な組員さんが講頭と沢山話が出来たのですが、その中で、「新来者を2月中にお連れしましょう」との約束を果たそう!と決意をして帰られました。
今夜も、日曜日夜の締めの地区リモートミーティングが開催されました。
令和4年2月12日(土)
今朝は、御主管御出仕の唱題行にリモートで参加させて頂きました。
元気な御姿を拝するだけで、今日は良い日と思えます。
唱題行の後、m幹事が御自分の御経験から、朝の勤行の決まった時間に始める事が、その日計画したスケジュールが時間通りになるか否かである事。
御主管ご指導より御報恩の信心が大切である事をお話くださいました。
包み隠さない失敗談を交えての話を聞くと、なぜか少し自分は安心します。頑張ろうと思えます。
今日は今年初めてのリモートでの班座談会が開催されました。
先日、御主管より、大聖人様御在世の疫病の時に大信者が入信したとの話がありましたが、我が班でも年頭に班員さんが折伏された方を、大事に皆が育成しようと思っております。
Zoomでの40分以内の開催は、少し時間が短い時間と思われ、早くコロナ禍を超えて、対面での座談会で沢山の功徳を頂きたいです。
(全然話は変わりますが)
昨日のお寺参詣への道中で、スマホで鎌倉時代の建物を検索しておりました。
「合掌造り」と云われる、茅葺きの建物は、手で合掌したような逆V字型の屋根で趣があります。
大聖人様は身延を始め、当時寒い地方でお住まいでしたが、このような雪国の茅葺は屋根に角度があり、雪の干渉をなるべく受けないような作りだったような気がしますが、今も、3間4面の草庵の屋根の形がどうだったか?分かりません。
仮そめに建てた庵とは、草堂とはどれほど質素だったか。しかし大雪に耐えられる耐震性。鎌倉時代の絵巻物を、道中色々見ておりました。
令和4年2月11日(金)
今日は子供の御誕生会がリモートで開催されました。
リモートの少年部員は、御主管から親しくご指導を頂きました。家に居て、聞法の功徳を頂けるのはもったいないことですね。
「心の師とはなるとも心を師とせざれ」の御金言より、こうしたいという勝手な気持ちを抑えて、自分のやるべき事をたち止まって考える。佛様がこれは止めなさい、と教えて下さる。
その習慣を付けるように、分かり易くご指導でした。
壇上の御主管と、自宅の子供達と映像で繋がっている状況は、少し不思議でした。
この後の学生部の「白鳥の恩をば黒鳥に報ずる」の劇は、本当にすばらしかったですね。
映像もNHKを見ているかのようであり、3人の娘達はパソコン画面にかじりついてました。
少し自分が少年部に戻ったかと錯覚するひとときです。
この後、自分は組長人事について講頭、i幹事、副地区長と打合せがあり、お寺に向かいました。
細かい班員さんの確認とこれからの班の進め方が明確になる打合せは1時間半があっという間でした。
今年御卒業される恩ある御僧侶への挨拶を最後にさせて頂き、我が家からの贈物もお渡しすることができ、子供たちだけでなく、1日、自分も功徳を頂いた思いです。
令和4年2月9日(水)
日興上人様御正当の2/7早朝の夢は、我が家北側の壁に小さな星が降り注ぐ不思議な夢でした。
何か夢のことばかり書いているので、相当寝ているんだろうな?と思われてるかも知れません汗
今朝は仕事前にお寺に参詣させて頂きました。
今朝、御主管を生で拝して、生命力を頂いた思いです。
佛様から見て、自分はどのように見られているのかと、想うことがあります。
班員さんを大事に思いながら、また折伏の成果を願いながら、お題目を真剣に唱えて頑張ります。
会社は、コロナ対策で周りに人がおりません。
令和4年2月6日(日)
ひとつ失敗しました。
この日記の年始初頭のデータが消えてました。
恐らく、このサイト更新は自分しかできないので、スマホで更新時のミスだと思います。(二回目です汗)
ちゃんとバックアップするようにしました。
広布唱題会にリモート参加させて頂き、御主管よりご指導を頂きました。
大聖人様の御在世当時の疫病が起こった時は、宗史に残る信者さんが入信した年だそうです。
これはすごいですね。御書にある年表を自分もしっかりと拝してしまいました。
興師会では、日興遺誡置文の御金言を引かれ、万代に我等救われていくこと。唯授一人の血脈相承の大事。
日興上人様の正系門下である、我等日蓮正宗信徒は、日興上人様の御報恩の為に、この日興遺誡置文の髄力弘通をしていくことをご教示くださいました。
コロナで引きこもっていてはダメと、自分に云われているようなご指導でした。
電話で下種が出来たり、お寺に参詣したいというリモート参加の新来者がいるものの、まだまだ動いている同志のように頑張らねばと思います。
今夜は、地区リモート座談会では、お題目の功徳の体験が沢山聞かれました。
地区の唯一の連絡会のような位置づけでもあり、班の活性化にも、計画の為にも役立つ会合となっております。
令和4年2月4日(金)
昨日の節分会にリモートで参加させて頂きました。
御尊師は、御法話の中で、「妙一尼御前御消息(832頁)」の
「冬は必ず春となる」
との御金言を引かれておられました。
人生の節目、逆境の時に大聖人様の教えを通じて乗り越えていくことの大事をご教示くださいました。
昔の御宗門では、「法華福不可量ふくわうち」と掛け声を発せられ、節分会を奉修されていたとのお話がありました。
大豆御書から、おそらく御在世も節分をされていたかも知れないとの御相伝の上からの甚深の御法話です。
北京で冬季オリンピックが開催されましたが、このコロナ禍で、世間的には明るい話題かも知れませんが、この国土世間は大変厳しい状況が続いており、テレビで観戦を楽しむどころでは無いのではないでしょうか。
我等御法主上人様の御指南、御主管ご指導の元、信心の歩みを進めるしか、世間を明るく出来ない事ですね。
個人的には、特に唱題の真剣さを改善しました。
m幹事が仰られるように、御本尊様から目を離したら、刀で切られるぞとの覚悟はありませんが、本当に御本尊様がいつもと違って見えるほど、目を離さずお題目を唱えております。
ここから、全てを初めていきたいと思います。
令和4年2月1日(火)
今日は夕食事時に、この所沢にも石焼き芋の販売車がゆっくり走っていました。
寒空から
「いしやきぃーいもぉっ♪」
という懐かしい音声が聞こえてきました。少し風情のある、ほっとする瞬間でした。
実家では、ラーメン屋台が家の前に来てましたね。
きっと、このコロナ禍では、この焼き芋販売も1人としてお客さんは居ないような気がします。
日曜日の地区幹部ミーティングでは、副地区長から月末(1/31月曜)にそれぞれ1下種しましょう!との御指示がでて、さっそく自分も昨日はLINEで。又、今日は通話で、下種をさせて頂きました。
2月になってしまいました。
爆発的なコロナ感染は、会社の現場まで忍び寄っております。
凄い魔です。
大悪の此の時期を乗り越えれば大善が待っているとは知りながらも、なかなかつらい時期が続きます。
迷いは、己心の大魔です。
御指南通り、邪義邪宗の害毒でしかない、この世の中の混乱は、我等が一念と行動で変えるしかないですね。
頑張らねば・・
令和4年1月30日(土)
今日は、気仙沼の学生時代の同志にお願いし、ある貴重なデータを頂く事が出来ました。
我が家の子々孫々へ伝えられる大切なものとなります。
定例の地区のミーティングがリモートで開催されておりました。
コロナ禍に負けない他班の動きについて情報共有がありました。
来週の動きについても、計画が立てられております。
三部担当者会での内容も共有されておりました。
お父様の看病で大変な地区長へのエールが皆から送られておりました。
皆で、大変な地区長を応援していきたいです。
(話は変わります)
世の中の不幸と混乱の原因が、邪義邪宗の害毒によるとの御指南が身に染みる事があります。今思えば!と思う内容です。(少し恥ずかしい話です)
学生時代卒業間近に、あるコンピュータゲームをしておりました。
そのゲームは主人公が旅をするゲームで、その主人公は町や森にいる敵と戦って少しずつパワーアップしていきます。
魔法や武道、剣術でモンスターを倒していきます。
実はこのゲーム、明日に、ゲームの続きをするために今日までの戦闘記録を「データセーブ」をするわけです。
そのゲームでは「キリスト教の教会」へ行って、誓いの言葉を云い、ゲーム記録を保存する仕組みになっていました。
自分は「たががゲーム」と心にお題目を唱えながらゲームをセーブしておりました。
ところがどうでしょう。この後です。今まで、千葉市川真間の大聖人様ご縁のある地域での大学で楽しく過ごしていたのに、苦しい日々が待ってました。
6年間付き合っていた彼女と別れ、新入社員として入社した会社はいろんな意味で大変な会社で、少しして退職。
路頭に迷う社会人生活の始まりでした。この時は平成7~8年で、学会問題で、地域の学会員との対応でも、大変な時期でした。
どうしてこんな事になるのか・・
その時は気が付きませんでしたが、きっとこのゲームの小さな謗法(ゲーム上でキリスト教の教会へ行く)が、大変な自分の罪障となって重くのしかかっていた事に、今気が付くのです。謗法をしてきて、不幸になっていくタイミング一緒だからです。
謗法は、クリスマスの音楽に乗って自身の頭の中を流れ、汚染することもあります。
本当に怖い事です。
御法主上人猊下の御言葉を、深く身に感じる事があります。
令和4年1月29日(土)
あっという間に一週間経ってしまいました。
今週は仕事(開発)が多忙で、いつも使わない頭が疲れて大変でした。
近い日の希望や、喜びがあると、
「その日まで頑張ろう」
と思えます。
やっと少しだけ光が見えて来ております。
コロナで、在宅ベースの勤務指示が出ておりますが、家では少しの筋トレなど、運動不足解消に日々努めております。
今週は少し多忙過ぎて、心の余裕もなく大変でしたが、来週はどんな一週間になるでしょうか。
日寛上人の文段集を拝しております。報恩抄のところの
「事中の事理」
とのお言葉は、
「事中の事。理。」と拝することも出来るかも、と思いました。
六巻抄の「事を事に行ずる」との御金言からも、
この文段集の報恩抄のところには、
戒壇論で、本門戒壇の大御本尊様、ましますところの「事の戒壇」
また広宣流布した時の事の戒壇の中の、もう一段先の事の戒壇。
そして、それとは別に我ら自宅の御本尊様の御安置の「理(義)の戒壇」とわけられるからです。
これは我見なので、信心が曲がらないように、機会あれば御僧侶にお聴きしたいです。
令和4年1月24日(月)
音楽を聴いていて、その音楽の途中で聴くのを止めると、その音楽がそのあとずっと頭をリピートしている法則が、自分の中だけにはあります。
笑
今朝、会社に着くのでスマホの音楽プレーヤーのスイッチを止めると、その後、ずっと午前中・・仕事場で梅沢富美男さんの【夢芝居】が流れておりました。
なかなか渋い週始めとなっています。
w
昨日は鼓笛隊の送迎と、地区の優先唱題で次女とお寺に参詣しました。
本堂にいる時、講頭がお声かけ頂き、班の個々人の一人の対象者まで気をかけてくださり、本当に決め細やかなご対応と、行動力に脱帽です。
久しぶりに、白子の同期aさん(実際は1つ下)と話をすることが出来ました。
コロナじゃなければ、また飯いきたいです。
帰りの電車に乗る前まで、次女の食欲が凄くてびっくりです。
前に、w班長が
「信心を頑張るとお腹が空くんだよ」といって、お蕎麦を食べられていた姿を思い出します。
次女なりに頑張っている様子です。
昨夜の地区ミーティングでは他班や、国際部の様子が分かる内容でした。
皆さん、苦労されて頑張っていらっしゃいます。
この日記では、ネガティブな言葉を使わないように気にかけてます。なかなか出来てません。
サザンオールスターズの歌で「ことだま(言葉の魂)」ってフレーズがありますが、ネガティブな言葉はマイナスな力が働きます。
不特定多数が数人でも目にする文書を作るので、気をつかわなくては、と思います。日本語は難しいですね。(個人的意見です。)
令和4年1月22日(土)ver.2
今日の法話会は、我が地区の高等部員であり、地区長のところの娘さんが司会として立たれていて、嬉しかったですね。
その子が幼稚園ぐらいの時から知っているのですが、我が長女の鼓笛隊でもお世話になり、家族のような地区の人材に、これからも応援していきたいと思います。
夜の幹部会にリモート参加させて頂きました。
縁ある同志が体験発表されていて、病苦との苦難の話は自分も詳細を知りませんでした。ご両親を折伏された体験は、裏には壮絶な思いがあったものと思います。真似できません。
コロナ禍が又爆発的に魔の蠢動として表れている中で、講中から丁寧な方針が打ち出され、我等は進むばかりとは思いますが、早く難局を脱したいです。
先に記載した、御本尊様から大聖人様がお出ましになるのを命で拝するような、その信心が出来れば、世の中に怖いものや不安など、全く無くなるのだと思います。一生成仏抄の御金言の如くですね。
令和4年1月22日(土)
今日は、会社の後輩が、リモートで開催の法話会に参加してくれました。
早く妙法に帰依できるように祈っていきたいです。
(話は変わります)以前に、Facebookで繋がっている先輩が、その所属している支部の御婦人の話をしてくださいました。
毎日4時間唱題をされている最中に突如として御本尊様の「南無妙法蓮華経」のお文字が反転して、大聖人様がお出ましになり、
『よく頑張ってますね』と仰られ、又元に戻った、という体験でした。
凄くありませんか。?
御本尊様は生きていらっしゃるとは聞いていても、中々命で感じることは難しいと思います。
自分のような付け焼刃の信心をしていると化けの皮がはがれ、恥ずかしいですが、不惜身命の信心をされている方の体験は、本当に心からすごいです。
法話会の御尊師のお話も心にジーンと響く内容でした。色々メモをとりました。
色々叶えたい願い事は沢山あるものの、唯今日を生きて、信心させて頂ける事を、本当に有難く思います。
令和4年1月19日(水)
(i幹事の真似ではないですが)
先代が引用されていた
『上野殿御返事』の
「梵天・帝釈等の御計らひとして、日本国一時に信ずる事あるべし」(新編1123㌻)の御金言に
個人的には当時、相当驚いたのと、広宣流布の姿を少し垣間見る想いがしました。
一時とは、一度に、いっぺんに
と訳すのか、子丑寅からする24時間を12で割る二時間とするのかは別としても、
前日は謗法だらけの世界が、翌日【広宣流布する】というのです。
広宣流布したら、人々の今の小さな悩みも病も、すっ飛びます。
平和な世界を観て、その後の人生は穏やかに過ごせると確信します。
先祖の生前の沢山の苦しみもきっと無駄じゃなかったことと思うかも知れません。
また、その住んでいる地域、信者間での大先達として一番であり、市町村の信心をリードしていくことになります。
そんな時代にならないかと、仕事しながら漠然と思っております。
しかし、役者は揃っていると思います。
令和4年1月18日(火)
自分が小学校ぐらいでしょうか。
母が私の頭を指さして、「ここが妙」
喉を指して、「法」
胸を指して「蓮」
お腹を指して「華」
「足が『経』なんだよ」
と云いました。
その印象が強くて40年経ってもはっきりと記憶に残っておりました。
これは「観妙院様のご指導」の中の話かは、聞く事ができませんでしたが、
「御義口伝(新編1728頁)」にちゃんとある御金言であることを、昨日しりました。
我等一身の当体が妙法蓮華経であると。
母はそれを言葉で残してくれたことが、今、本当に有難く思っている、今日の日です。
「色心二法抄」の御金言も併せて拝しております。
令和4年1月16日(日)
塚原問答の善き日である今日は、大聖人様が邪宗に問答で勝ち、邪宗がこぞって大聖人門下となった日であり、我等にとって勝利の日と拝されます。
今日は子供たちの鼓笛隊で良い話がありました。また我が家でも小さな喜びもあり、世間の大きな魔から護られている事を実感する夜となりました。
御講の前に甲府から参詣する同志にも会え、今週は動きがあまりとれませんでしたが、班員さんと直に話せる事にありがたく思いました。
平行して地区のリモート幹部会・作戦会が今夜も開催され、情報共有と来週計画が立てられる内容となりました。
コロナ感染症が身近に迫る事を感じる出来事が多々あり、「寅」年の初頭は少し大変な感はしますが、昨年の余波はきっと春ぐらいには良い方向へ向かうと信じたいです。
コロナ第6波がどのような様相になるのかは分かりませんが、御法主上人の御指南と何度も拝し、また御主管ご指導の元すすめば、安心して生活はでき、必ず護られると思います。
釈尊の尊父様は、城の四方八方に綺麗な庭園を造り、釈尊が出家しないように城を出ないようにしました。
しかし、釈尊は目の前の綺麗な景色や人が、人間の無常を逃れる術でない事を悟り、城を出るのです。
世界に名の知れた某大王は「不老不死の薬」を求めて、旅に出ます。
やっと巡り会えた偽物の「不老不死」といわれる薬、「水銀」の毒を飲んでしまい、死んでしまいます。
その大王が死んだその時期は夏場であった為、腐り、においがして、大王が死んだ事をごまかす為、腐った魚と共に國に帰ったというような記載があります。
大聖人様の御本尊様は「不老不死」の御本尊様であり、この薬を末法の我等に残してくださったのですが、その深い意味が自分にはまだ
分かりません。
しかし、仏様が「不老不死」としてとどめ置かれた御本尊様がいらっしゃることに、この上ない安心を覚えないのは、まだまだ自分の信心は甘いと思っております。
昔、西遊記(堺正章主演)の中国時代劇の歌には、
「そこ、行けばどんな夢も、叶うと、いうよ。
誰もみな、いきたがるが、遥かな世界。
その國の名はガンダーラ。
何処かにあるユートピア
どうしたら行けるのだろう。
教えてほしい。
(インドに、その國はあるといわれているよ)」
そう、歌詞にありました。
前にも旧日記に記載しましたが、そのどんな夢も叶う、不老不死の薬は、大石寺におわしますぞ!
ということを広く広めていかなければと思います。
しかし、自分自身は、目の前の小さな事でアップアップなので、まずお題目を唱えて頑張ります。
令和4年1月14日(金)
自分は諸天に護られてないのでは?
と不安になることって、ありませんか?
自分はたまにあります。
何をしてもうまくいかない。。
問題がどれも解決しない。笑
順調な時は、全て、自分の進む道、場所まで決まっていて、時間もスムーズに無駄なく進んで、困った事が一つ一つ解決する。。
ひとつ、大きな問題が起きたところで、全てがブルーになることもありますよね。
そんなときの、皆さんの解決策は何ですか?
昔、班の先達が、「行き詰まった折伏だぞ!」って教えてくださいました。
そんな時は折伏するなんて、気力もなかなか湧きませんが、それしかないみたいです。
加えるならばもちろん、唱題と折伏ですね。
こんなお話があります。書籍で拝された方もいるかもしれません。Facebookのある方の記載から引用させて頂きます。
日顕上人御言葉
「私にも、辛く、苦しく、涙がポロポロこぼれながらも、真剣に唱題をした経験が何度もあります。」
(日顕上人・観心本尊抄講話の拝説)
このお言葉を拝した時、自分の悩みなんて何くそーって、思うわけです。
頑張ります。。
令和4年1月12日(水)ver.2
今日はFacebookでも、沢山の方に誕生日のお祝いメッセージを頂きました。
一昨日、ご授戒のお経の時、御主管が少し遠く本堂にいらっしゃり、お見かけしたのですが、挨拶させて頂くタイミングを外してしまいました。
お経の後、講頭に班の折伏成就のお礼で挨拶すると、面白おかしく、長女と自分にササヤイテくださり、長女と大爆笑でした。
器が大きな講頭も頂く我ら幸せですね。
埼玉南部のo班長さんが、支部の昔の写真を沢山みせて下さいました。昔の大先達に負けない組織を皆で作り上げたいですね。
日曜日のご報恩御講では、
「但し御信心によるべし」との御金言、また、今起こっている事は、全て自分自身の過去世の業の報いを受けている、とのお話は、心につき刺さりました。
ご法話を拝聴すると、次の1ヶ月の進むべき方向性と、希望が沸いてきます。
まだ夜が明けてない、少し寒い、駅まで道を歩きながら、こんな日に自分が産まれたんだ、どんな気持ちだったのか、両親の気持ちを想像してみました。
3600gの男の子が産まれたと、本当に喜んだそうです。
出産後、寝ていた(気を失って)母は、筒の形の空まで伸びる物が、目の前にあり遠く空を見ていて、
父親にほっぺを何度か叩かれて、目を覚ましたそうです。
(前にも記載しましたが、)母親の足跡がお前なんだぞ!と東京西部の昔の地区長さんが話してくれました。
恥じない信心をしなければと強く思います。
こんな温かい厳しい御主管、お弟子の御尊師が我らにはついて下さってます。
怖いものはありません。
令和4年1月12日(水)
忘れないうちに月曜日の出来事からお伝えいたします。
一昨日(1/10)は、何とも凄い1日でした。
次女の鼓笛隊練習が午前中
長女が午後の為
午前中、リモート唱題行の始まるタイミングで、妻と次女を車で最寄りまで送り、帰宅後リモート唱題。
11:00に車で長女と三女を連れてお寺に向かい、池袋で妻と交代し、長女とお寺に向かいました。
五歳の三女は、お寺往復のドライブとなります、とんぼ返りです。
長女を7階に送った後、法之道で写真をデータでもらう約束で、一階に立ち寄りました。
その後、渋谷区の班員さんを訪ねて家庭訪問に。会えませんでした。
お寺に戻ると、副地区長さんから教えて頂いた通り、班の拠点のwさんご家族が新来者をお連れしていて、そのまま入信となりました。
長女とご授戒のお経に参加です。
電車で帰宅後、最寄り駅に家族が迎えに来てくれていて、帰宅後は、前倒しの私自信の誕生日会で、ソフトクリームベースのケーキが待ってました。
怒涛の月曜日でした。
班の方が入信により、増えて嬉しいです。
今日は自分の誕生日で50になり、嬉しいです。爆
令和4年1月9日(日)
リモートで、「御報恩御講」に参加させて頂きました。
御尊師は「経王殿御返事」の拝読御書よりご指導くださいました。
「鬼子母神」は悪鬼だったのが諸天善神となる姿を相伝仏法の上から、子供たちにも分かり易く話され、我等、諸天の加護があること。
「真剣な勤行・唱題」の再確認。今起こっている我等が困っている事は総て、自身から出た業、因であること。
いかなる病、苦悩が平癒していくこと。自然治癒し快復していく。いかなる定業・不定業も宿命転換できるという、信心の大功徳を頂けるとの御法話でした。
朝の唱題行後にm幹事は、再度、法・財・身の御供養についての大事をお話されておりました。
幹事は、地区の大先達だったwさんとご縁のあるので、先達と話、通じるところを感じます。
Facebookでつながっている先輩の御友人で、信心なされている方(aさん)は、昔、ヘルニアで虎ノ門病院で診察を待っていると、後に折伏された方から声をかけられます。
うちへ来なさいと。
「ほねつぎ」と小さく書かれた家の、診察ベッドの前には御宝前があり、
「あなたの宿業だから、しっかりとお題目をあげて頑張りなさい!」(この後に入信)
と言われ、手術せずに完治したそうです。
また、そのaさん云く
今年(昨年)は、『業』と『魔』が強い。魔を魔と見破っていくこと。
乗り超える為に、信心の★「確信」★が大事です!
とのコメントを書かれておりました。
信心の大確信のあるかたの言葉は、心への響きが違います。。注:★は店長記入w
ここから正直な話をします。
昨年、(今年)の障魔は、実は個人的には「別罰」と思っておりました。
しかし、浅識でした。
法華講全体が、そうであること、大変な時期であることをこのaさんのメッセージで分かりました。
少し安心したというか、より乗り越えようと、この御報恩御講の日に強く思いました。