店長日記
令和5年8月10日(木)
先週は身体に支障が出て、今週は仕事が障害になって大変でした。
笑
壮年部唱題会へ行くと朝から決意したら、色々な事が整って、今日は本堂に参詣し、御法話と壮年長さんの素晴らしいお話も聴くことが出来ました。
元気をたくさん頂きました。
法華講の方で、大聖人様の御真筆御本尊様を700有余年お持ちされている方がいらっしゃると、昔の妙教に載ってました。文永11年の御本尊様です。
それも地域に残る伝説に近い形で、残っているのです、凄いことです。
我ら代々、法統相続していかなければとあらためて思います。
令和5年8月6日(日)
今日の広布唱題会で、御主管は「一代五時継図」を引用されの「広宣流布」についての文証を種々御教示くださいました。
とても難しい内容で、帰宅後、御書を開き拝しておりました。日蓮正宗の甚深の御法門は難しいのですが、御書を拝しているだけで心穏やかになります。何度も拝したいです。
この後、夏の大法道院展(後半)の計画について班の方々と話しができました。
埼玉南部のO班長さんが先日、色々昔の資料を下さいました。
その中には、「貞明皇后」が日蓮正宗へ入信した経緯の書かれた冊子複製でした。
昔、我が祖母もよく話をしていた内容で、天皇家に日蓮正宗の常住御本尊様が入られたということで、幼ながらに少し印象的でした。
折伏を繰り返し実践していく中で、「仏教の書籍」について質問されたお客様を入信させたことで天皇家へ、法縁が繋がります。
どこにどんな縁があるか分からないので、ひとりひとりの折伏の実践が大事である旨が、最後に書かれておりました。
令和5年8月4日(金)
慶祝登山前には魔が強かったのですが、しかし三姉妹の鼓笛隊演奏を広布坊で果たし、子供たちの姿に我等元気を頂き、父も暑い中、元気に登山をさせていただくことが出来ました。
父は、広布坊での御尊師の御指導を父もじっくり拝聴しているようでした。
また御開扉までの送迎バスで、リモート、声だけしか聴いたことのない、秋田の地区の大先輩とお会いすることができました。次はいつお会いできるでしょうか。
この登山での大歓喜は大きかったのですが、下山後も魔が強く、家族全員の体調が崩れ、今日まで大変でした。
父だけは一週間、元気です。笑
自分は、仕事は休めませんでした。。
やっと金曜日という感じで、今日を迎えております。
登山の翌日、甲子園へ向けた東東京大会の決勝が行われていたようで、母校がこの試合でした。
負けてしまったのですが、とても懐かしい感じがしております。
自分たちの現役高校の時は、1年と3年の時に甲子園に野球部が出場したので、自分も甲子園に応援に行きました。
酷暑の中での高校野球は少し大変そうですが、今年は、特に夏がひどい暑さです。
日本は「四季」が、夏と冬の「ニ季」になるとの話をTVでやってました。
令和5年7月23日(日)
夏なのに、ウグイスが朝、鳴いておりました。
春告げ鳥なはずなのですが、真夏でも涼しげな朝は鳴いております。
梅雨が昨日(7/22)明けたみたいですね。
今朝は、長女の部活の送迎で、中学生が六人も我が家の車に乗りました。
まぁ騒がしいのですがw、とても元気をもらいました。
この子達が、この夏、物凄い力を発揮します。
子供たちの笑い声に、青年部時代を、少し思い出しておりました。
昨夜は、久しぶりに激励会に一年半ぶりぐらいの参加です。
御尊師より沢山のお話を拝聴し、なおかつ、我が家の宿業についても、お聴きしてしまいました。
人の寿命は短い人もいるが、もしかしたら30年も前になくなる人が、今まで生きていたかも知れない。
それを長い寿命を、仏様から頂いていたかも、知れない。
家の宿業と考えないようにしましょう、との話でした。
この後、幹部会前に、寺族でもあり、自分が中等部スタッフの時の部員さんが、本堂にいて、声をかけてくれました。
また交流していきたいと思います。
幹部会では、御主管から
7~8年前の、8月に折伏完遂する勢いのある時の、幹部会のメモを引用され、現状を嘆かれておりました。「様子がかなり違う」と。
幹部会でのミニ座談会では、親しくして頂いている西都の地区長さんとたまたま前後、隣合わせでした。
バンド仲間、40年来ずっと折伏している友人を何とか折伏きたいとの強い地区長さんの御決意を聴くことが出来ました。
自分も実践あるのみです。
令和5年7月21日(金)
長女の、全国へ向けた闘いが始まっております。
昨年は埼玉県代表となり、関東大会まで行きました。
親も他人事ではなく、会場への送り迎えも、お寺の鼓笛隊の活動に加えて増え初めます。
今年も感動のフィールド?に、長女が立てるように最大限応援したいです。
しかしこれも全て御本尊様から戴いた功徳であり、自分の実力じゃない事。
妙法の中学生として、広宣流布の為に舞台に立っている事を感じて欲しいです。
令和5年7月17日(月)
三連休が終わりました。
この連休の、我が支部の折伏の大イベントである「大法道院展」の前に、学会の叔母を誘いましたが、バリバリの信者なので、軽くあしらわれました。
「何、馬鹿なこと言ってるの?」と。。
悪口を言われました。有難いことです。
大罪障消滅です。笑
我が義理の叔父でもある、この学会の叔母の旦那の顔面はブラックジャックのような手術跡があり、この姿は、誰の目にも幸せには見えません。
もう80歳になった叔母も、学会のふわっとした教義に、どこか不安なのではないでしょうか。
このブラックジャック的な叔父は以前、私に「もう大石寺には行けないもんな・・」と漏らしておりました。
それとは反対に我等法華講は、幸せです。
変毒以薬ができます。
調子が悪くなれば、体調管理を真剣に考えるので、その後の体が健康になっていきます。
体験済です。
「体調に気をつけなさい!体を大事にしなきゃいけないぞ!」と仏様に言われているようで、更賜寿命の功徳で、気づかせて頂けるのです。
この連休中には、大酷暑の中、副班長と池袋付近を街頭折伏に動く事ができ、パンフレットも渡せました。
私事ですが、過去25年ぐらいの写真整理が出来、情報が整いいました。
大きな功徳を頂くとき、これも釈尊仏法で云う「化城」に到着したような気分なのでしょうか。
また頑張らなくてはと思います。
この酷暑は明日(7/18火)をピークに、一度少しだけ通常の暑さに戻るようです。
令和5年7月12日(水)
昨日、回経にて御僧侶mさんにお供することが出来ました。埼玉南部のOさんも御僧侶のお供だったようです。朝少し会話が出来ました。
コロナで3年ぶりとの事で、御僧侶のお経により我が地域の国土世間が浄化されます。
法門件数はそれほど多くはありませんでしたが、もったいなくも自分は御僧侶mさんの横でずっと色々、御法門を拝聴することが出来ました。
・依正不二
・内薫外護
・二而不二
・染浄二門
という深い内容でした。(漢字は、御僧侶mさんに聴いてしまいました)
少しでも分かるように、教学辞典を少し見ておりました。
また、御僧侶mさんの生い立ちや実家のお話までお聴きできました。
班の方の御心を頂き、お昼も御僧侶と御一緒、頂戴する果報は有難く思います。
焼けるような日差しを超えて、回経が無事に終わりましたが、
・回経で得られる功徳で信心の喜びを感じて精進。
・法統相続を確実にしていくこと。
・先祖への塔婆回向を、これからも忘れずに実践すること。
との我が家で頂いたご指導を心に刻みたいと思います。
令和5年7月8日(土)
皆さん、ちょっと体調崩したりしてませんか?
こんなに寒暖差が激しいと(猛暑とエアコンの場所など)体がついていけず、また湿気も後押しして、けだるさが増します。
それに加えて、変に、重いものを持ったり、無理に荷物を持ち、筋肉を使っていたりすると、節々が居たくなったりして(あれ、なんか体が痛いな、病気かな。。)なんて勘違いすることもあります。
なかなか、熱中症も他人事ではないので、お気をつけください。
今日は来週の小平班回経の準備で、お正月前のように大々的に御宝前の掃除をしておりました。
金蓮華がピカピカで、光輝いております。
大聖人様がいらした佐渡の一之沢の御足跡の寺院は、火事で堂宇がみな焼けてしまいましたが、御宝物(ごほうもつ)はどうなったのか気になります。
元は日興門流の寺院だったので、少なからず大石寺と縁があります。この場所で沢山の御本尊様が御図顕されたそうです。
この年になると疲れがなかなか抜けない事があり、快復術を模索しております。笑
令和5年7月6日(木)
今日は、真夏を思わせる猛暑でした。まだ七月上旬です。スマホで、海の画像が沢山目につきました。
また創価破折の書籍を購入しました。理論武装をしていると話したくなるので、イザという時の為にも、たくさん理論武装したいです。
日精上人の誹謗といい、それを勉強すればするほど、日蓮正宗の正義が顕揚されます!凄い有難いことです。
おかげで、御本尊様への強い信と、より善い執着が、自身に強く根付きます。
令和5年7月5日(水)
慶祝登山のある年は、自分にとっては、人生にとても影響のある方と出会う年です。
平成14年は、大講堂の階段で初めて間近に現御主管(当時、大石寺理事でいらした)にお会いし、初めて間近でお辞儀で挨拶させて頂きました。
その他、不思議な因縁の方々とこの年に会っております。
そして、その数年後に再会するパターンです。
平成14年当時は、輸送班もさせて頂いていて、よく法華講の芸能人の方々にも、総本山で会いましたね。
会話もさせて頂きました。
彼ら彼女たちは、御開扉の始まる直前で来て、終わったらすぐ下山するパターンがあります。
笑
今年は折伏躍動の年なので、色々な方々と、たくさん会話を重ねていきたいです。
令和5年7月2日(日)
広布唱題会では、御主管より立正案国論、国主諌暁について御法話を頂きました。
撰時抄の御真筆が本堂スクリーン出されます。謹んで拝すること、有難いです。
「余に三度の高名あり」
と、ひとつひとつが命懸けの、大聖人様の折伏の話です。
地区別、班別の打ち合わせでは、班の方々と計画を立てられ、これから何とか班の誓願達成に向かい頑張ります。
広布唱題会のあと、御主管に親しく本堂後ろでお会いする事が出来ました。申し訳なく思います。
そう先日、西都の地区長さん(プロ級ギターリスト)に、昔のギターを見せて頂きました。
少し感動でした。その地区長さんとも今日も会話ができました。
この後、家族と分かれ、家庭訪問と、実家方面へと向かいます。
家庭訪問は、中学の時に折伏させて頂いて連絡がとれない方の実家です。
その家は、何と、駐車場になってました。皆さん元気でしょうか。少し心配です。
実家に着くと、父は、自動車で来ると思っていたらしく、お昼はどうしようかとのことで、自転車で近場に行く事になりました。
清流添いの自転車道路は、心地よく緑が溢れてました。
実家近隣は、まだまだ田舎で、自然が戻りつつあります。
風呂敷を借りようと思って、父の画廊にいくと、
「法道院落慶」と刻まれた緑の大きな風呂敷が出てきました。
凄く感動です。父から譲り受けました。
Facebookに、この風呂敷の画像は上げようかと思います。
大事にしたいです。
きっと、信心を、していない一般の人々のように、休みは寝ていても休み、ゲームしていても休みですが、こうして一歩でも信心を進めると、田舎の見れない景色や、父、昔の実家、昔の自分に、会うことができ、なんとも言えない功徳を頂きます。(あっもちろん、自分も時間ある時にスマホとかでもゲームしますが。笑)
少しお題目を、実家でも唱えさせて頂きました。
令和5年7月1日(土)
7月になりました。
今日は、先月から予定していた、三女のお友達のパパ友さんとランチに行って参りました。
こんなに美味しく楽しい折伏は有難いです。
7年前に雑司ヶ谷に事務所を構えていて、法道院の前を通勤で歩いていたようで、山門の写真が載るパンフレットをお渡しすると、少し懐かしい景色だったようです。
大事にご家族なので、信心が一緒にできるように御祈念していきたいです。色々と不思議な縁がある方です。
令和5年6月30日(金)
あっという間の一週間が経ちました。
仕事は多忙ながらも、少しだけ心に余裕を持てる環境で有難く思っております。
御報恩御講のy御尊師の御法話を思い出しました。
「今留めて此に在く。汝取って服すべし」のお経文を引かれて、『自らの意思、力で大良薬をのむ。唯御本尊様が自然に何かをしてくださるのではなくて、自らの因縁と向き合って、自ら志を起こして命に入れなければいけない。信じ行ずるときのみ得脱する。』との御法話は、信心はある意味でとても厳しいです。
Facebookで、昔の「日蓮正宗法華講夏期講習会・講義集」について先輩が紹介されておりました。
丁度我が実家にも同じ冊子がありました。昭和50年の講義集で、日顕上人が御登座前の教学部長の時の御講義が載っております。
実は縁あって、昭和51年~53年までの3冊も購入する機会があり、我が家に、今手元に4冊あります。
この昭和50年の講義集は、たしか高等部か学生部時代に初めて拝して、衝撃を受けました。
日寛上人の御生涯、また戒壇という事についても詳細を御講義なのです。
今日、我が家に到着した昭和53年の御講義集には御当代日如上人様が「法華取要抄」の御講義をされており、大変難解な内容で深く、最後の「しっかりと信心に住せられまして、共々に、広宣流布のため、異体同心に団結して御奉公の誠を尽くして頂きますよう」というお言葉を心に刻みました。
本文は在家には難しいのですが、内容は何度も読み返したいです。
この講義集では、正信会へ退転した渡辺某の講義もありました。
これには、「人が死んでいくとき、信心が無い人は、下に地獄に落ちるので、目が上を向いてしまう。信心を全うした人は、上へ上へ上るので、目が下に向くのです。上へ登るような境界で一生を終われるようにしたいものです(趣意)」というような内容が載っておりました。
悲しいかな、その講義をしたその渡辺氏は、自分の講義内容とは逆の、下へ落ちていく境界で目が上に上がった地獄の相で亡くなったと思われる事は、本当に不憫です。
聖典は改訂版も出ており、拝されている方も多々いるとは思いますが、日時上人の御事蹟には、今の小泉久遠寺で、その当時居た「日伝」が仙波(川越市)の檀林の壇徒から謗法の布施を受け取った事を、我が日時上人が厳しく指摘した内容が載っております。当時の御当代上人の有難い御指南です。
この後、どうでしょう。この日伝は、政治的な力を使って、大石寺の東坊地を奪う暴挙に出るのです。
『御法門』で争って、大石寺に歯向かうとかではなく、「自分の悪行を指摘されたことに対する逆上」で、大石寺の東坊地を占領する暴挙に出たのです。
なんとも、「感情論」が渦巻く、生々しいというか、人間くさいというか、宗史にもこんな人間の汚いところが残されております。
こんなどうでもよい暴挙にも、我が御歴代、御先師、当時の御主管、御住職方の御苦労があって今の我らの安心して信心をさせていただける事、有難く思います。
令和5年6月26日(月)
先週は、少し信心でポイントを外してしまいました。
班として幹部会出欠確認の報告が遅れてしまいました。自分の意識の低さとスケジュールを把握していない事に反省です。
昨日は、山門折伏をされている姿と、町では街頭折伏をされている法道院の同志を見たので、自分も久しぶりに一人でしたが、池袋の町をずっと歩いておりました。
お声かけできたのは外国人の2人だけではありましたが、雰囲気は昔に戻りつつあり、人が溢れております。
昨日の幹部会では、我が班でも組長さんが増え、また組織力が少し上がると感じております。
先週末は健康診断だったのですが、すべての結果が出ているわけではないのですが、また健康という大功徳を頂きました。
当たり前の事が、本当に有難く思う時があります。
幹部会で、御主管は「他人の為、人の足元を提灯で照らせば、自分の足元も照らされる。仏様に対し恥となるような下を向いている信心ではだめだ」と信行について喝を頂きました。
今週末は、三女の縁で、折伏対象者とお会いできます。何とか折伏につなげたいです。
令和5年6月20日(火)
今日は、在宅勤務を終え、急ぎ足でお寺に参詣させて頂きました。
観妙院上人のお経に、参列させて頂きました。
お塔婆をお願いし忘れていて、申し訳なくも受付に謹んでお願いしました。
本堂中央に座ってると、講頭が「観妙院様の、どんな想い出があるかな?」
と、自分に聞かれたので学生部時代に四階で面会させて頂いた話をお伝えしました。
当時の学生部長だった応顕寺の現講頭さんが、観妙院様に自分を紹介して下さり、
「今まで信心を頑張れてなかったと、彼は言うのですがこれから頑張るって話してるのです」
と伝えて下さいました。
そうすると、
「己を知るを仏とは言うなり、だよ」
と笑顔でお伝えくださった事を想い出し、講頭にお伝えしました。
o御尊師はご法話で、
「観妙院様は、本門戒壇の大御本尊様と血脈が、日蓮正宗で最も大事であること。信心とは折伏なりと、常々、折伏が大事であることをお話でした。」
と、ご指導下さいました。
役職は情熱で実践すること。
常に御当代上人に近い存在だったこと。
御本尊様から決して離れない信心。
観妙院様の前で折伏三世帯しますと、何も考えず決意したら本当に三世帯の折伏が成就したこと。
諸々みなさんの観妙院様のお話を拝聴できました。
講頭に、精進のきっかけを頂きました。
本当に折伏で、ご報恩できるように精進していきます!
令和5年6月14日(水)
仕事に少しだけ忙殺されております。順風ばかりじゃありませんね。汗
プロジェクトもハードの障害が起きて、全体が少しバタバタしておりました。
信心の先達の御苦労からすれば、どうでも無い塵のような苦労です。そう思うと、すべてが前向きに進められます。
そんな自分に今日は変化を持たせて、在宅で、3台のパソコンを立ち上げております。
2台は仕事用。あと一台は、まさにこのCafe'd更新しているパソコン(自前自宅pc)で、会社の勤怠をWebで実施することもあるのですが、、
だいたい、この3台目のパソコンを立ち上げる時は、余裕があるときです。
実は心も余裕はあまりないのですが、わざと立ち上げました。
また、あとで大日蓮出版への書籍の注文「弁惑観心抄(現代語版)」をしようと思っております。
金沢法難の御信徒が、弾圧の中、どのようなお題目を唱えていたのかは、全く自分の境界ではわかりませんが、その先達の御苦労はきっと自分の一万倍ぐらいの大変さだったと思います。
{命あるかぎり・・あとの時代の為に、当御信徒たちの為に}との思いはきっと我等の幸せにつながっており、申し訳なく思うばかりです。
令和5年6月9日(金)
今日は学生部時代の先輩の、母上のお通夜に参列させて頂きました。
戒名について、御尊師から甚深のお話がありました。御主管の深いお心を聴くことが出来ました。
当時の先達、同志とも少しだけ会話し、当時を懐かしく思っております。
30年前の話です。
ご主人(先輩のお父様)がとても明るくて、何故か安心に満ち溢れている感じがして、少し、こちらも大安心しました。
先輩は九州に転勤をずっとされていて、青年部から親元離れたままだったので、親孝行という観点で、少し後悔があったのかもと、少し想像しておりました。
このあと、葬儀終わって、東京を飛び立たれる時の、その先輩の事を想うと、いたたまれません。
これからのご家族の現世安穏を祈っていきたいです。
我が家、近隣のウグイスが、この時期に珍しく盛んに鳴いてます。
駅のホームを歩いていると、地元でも人は大変多いです。
この人混みの中にいる自分は大した存在ではないですが、今日の先輩の母上のように清らかな信心で、人を幸せにしなければと思います。反省ばかりです。
今日は何故か、1日が、2日ぐらいに感じます。
令和5年6月5日(月)
今日は、朝から我が家の近くで野生の「ウグイス」がお経に合わせて鳴いておりました。
3年ぶりでしょうか。近くにやってきました。
緑がまだまだあるこの地域にウグイスが居る事はうれしいです。
今朝は気持ち、強めに鈴を鳴らしておりました。
昨日の広布唱題会で、御主管は「祈っているだけでは折伏は成就しないので、皆で決意して動こう!」と御指導くださいました。
来月の大法道院展の準備をとのお話でした。
日応上人のお経の御法話でも、御主管は、日応上人の3大事業に加えて弁惑観心抄の御述作と、帝都不況の2つを加えられ御指導でした。
弁惑観心抄の旧版を所持していた自分は、必死に平仮名の書き下しをデータにしていたのですが、新版が出ていたのですね。
ちょっと嬉しいショックな話でした。
早速、新版を買い、自分の一つの書き下し分データ化の作業は終えてみたいと思います。データが完成したら、御僧侶にご使用いただこうと思っておりました。
東京西部の壮年長さんのお子さんが御誕生されたとの事で、本当にうれしい事ですね。
我が支部の宝のお子が生まれて、顔を見るのが楽しみです。おめでとうございます!この壮年長さんは、このお子さんの御誕生前後の日、3人の人を同時に折伏成就されました。
自分は宗史が大好きで御宗門の関係書籍は、いつも何かしら拝読しておりますが、なぜか「金沢法難」だけはあまり読んでなかったのですが、ちょっときっかけがあり、金沢法難の前期のあたりを、我が家秘蔵の3冊ぐらいを重ねて、読んでおりました。
命がけで信心して、牢屋で獄死なされた法華講の大先達が御苦労されて、寺院を建立された宗史は、万代に語り継がれることでしょう。昭和ではなく江戸時代のお話です。
身の貧しきを嘆くのではなく、信心の貧しきを嘆きなさい、との日寛上人の御指南は心に響き、涙しないものはいないですね。
この御指南の裏に、法華講の先達の御苦労が輝ける宗史があるわけですね。
歴史に埋もれそうな史実や、大事な御本尊様が、守られますように。
堀上人の
「冥護せられて、優曇華の出現を祈るや切なり」のお言葉が思い出されました。
今、心から安心して信心ができる時代の果報を、当たり前と思わず、目の前の自身の小さな苦労に左右されることなく頑張ります。
三女のお友達のパパ友さんと食事の約束ができました。折伏の小さな一歩です。
令和5年5月28日(日)
今日は、お伺いしたかった同志の元へ、やっとお伺いすることが出来ました。
久しぶりに青年部の家庭訪問ぐらい、たくさん歩きました。
訪問先で、御本人は元気そうだったので、引き続き、このご家族の幸せを御祈念したいと思います。
でもお会いできて、善かったです。
その帰り、訪問先の最寄り駅まで歩いていると、信号の反対側に邪僧が居ました。
歩幅をわざと合わせ、声をかけると、「池上系の日蓮宗」の邪僧であることが分かりました。
大石寺の信徒であること。又「二箇相承を御存知ですか?」
というと「知ってます」との事。
大聖人様の直弟子である、「日頂師の直筆の二箇相承の証明の記載があることを御存知ですか?正しく日興上人に、また大石寺に法脈が受け継がれているんですよ!」
というと逃げるように反対側の信号にいきなり渡ろうとして、自転車に当たりそうになり、人に怒られておりました。
笑
逃げなきゃいいのに。。結構やさしい口調だったのですが、笑顔でしたし。、自分。。笑
最後に駅に向かう邪僧へ、「よく考えてみてください!」と最後の一撃を加えてお寺へ戻りました。
今日はこの後、三女がお昼すぎに鼓笛隊練習が終わるので、迎えに行き家族と合流。先に三女と帰宅しました。
長女、次女はこの後、3時半まで練習が続き、車で帰宅です。
子供たちの鼓笛隊の時間に合わせることで、親も修行になります。
一昨日は、金曜日に地方へ出張でした。
仕事が早く終わったので、上司に「餃子と一緒に食べませんか?」と誘われ4人でお店へ向かいました。
宇都宮の新・路面電車の試運転が駅前でなされており、写真に収める事もできました。
この現場で、自分が日蓮正宗の信者であることをお伝えすることができました。
仕事自体は、功徳を頂き大成功です。
新幹線で帰宅しました。
この成果は成果として収め、明日からまた積み重ねて成果をあげたいです。
最近、折伏の意識の変化として、「折伏育成カード」を書きたくなった、という事です。これは大きいです。
令和5年5月21日(日)
昨日、授業参観がありました。
お寺に数回参詣してくれた長女の友人の、御父兄(父親)にお会いし、信心の話をさせて頂きました。
また、リモート法話会のお誘いをする予定です。(お誘いする雰囲気ができました)
折伏推進指導会で、御主管は海外の方の育成について、例を挙げられ、アメリカに総本山があると仮定して、英語の御経を覚える日本人だったら、と本当に海外の方への配慮ある育成の大事をお話されておりました。
伝統ある6月の折伏についても御強調なされておりました。頭ではなく、身に実践するという事の大事は身に染みます、がんばります。
今日は西武線の車内で、三女のお友達とお父様(パパ友さん)とばったりお会いしました。
(少し信心の話を今までしていたので)今日はより深く電車でさせて頂きました。
また池袋までずっと一緒で、菩提寺の横を西武線が通るので、「ここなんです!」と話すると、池袋南口を少し御存知で、「明治通り沿い、池袋駅から右ですよね、知ってます。」と仰っていたので、深く信心の話をよりできそうです。
お寺に着くと、ある壮年長さんとお話する機会があり、善い話が聞けました。
内容は二人だけの内緒なのですが、その話は、自分にとっても本当にうれしく、元気になりました。
班長会では、昔多摩地区にいらしていて、自分の母とも一緒の世代で戦われていた大先達とお話する機会があり、母の信心の様子も少し聞けました。
「バリバリでしたよ、お母さん!」
少しうれしい話です。
その大先達は、お子さんの法統相続に悩まれており、自分もその手助けができるように、連絡先を確認して、今後連絡をその息子さんに取りたいと思っております。
我が先祖も、がんばれと応援してくれると思います。
三女の鼓笛隊から帰り、最寄り駅に顕正会がいたので、導師本尊のコピー偽本尊論でお話しておきました。
三女も横にいました。釈尊の弟子が、釈尊の説法を無言でうなずいて折伏に参加するように、三女、無言の破折です。笑。
心強いので、今度三女に話を代わってもらおうと思います。爆
今日はリモートでの地区ミーティングでは、熱く皆さんの意見が聞けました。地区長中心のミーティングは有難いです。地区長の貴重な体験とお話はいつも自分の心に突き刺さります。
組織が、学会のようにならないように気を付けるべきことについて、講頭からお話がありましたが、本門戒壇の大御本尊様と血脈の大事。指導教師の御主管の指導のままに進むこと。これは班長の立場でも同様であり、御主管に直接御指導を頂くこと、それをお願いする事もあり得る話だ、との内容でした。
心に刻んでいきたいです。
個人的に付け加えるならば、在家のカリスマ的なひとりを作り、情報が集中しないようにすること。
長は常に周りの意見を聞く事を大事として、一人で決めた内容で事を進めない。私物化しない。中小企業の社長のようにワンマンは怖いです。全部ひとりの意見で話が進むわけです。
(自分自身の小さな組織でも当てはまります。気を付けなければと思います。)
大企業の株主総会があり、株主の意見が尊重されるように、全体として進められる風通しのよい組織であること。
が求められると思います。
その点、我が支部はとても健全で、僧俗一致の姿で、御主管を中心に信徒も動く体制があるので、きっと安心です。
武蔵野のm班長のように一般的にも常識的な方をすごく尊敬します。自分も頑張ります。
令和5年5月17日(水)
昨日の勉強会では、御主管より法華講(ほっけこう)組織について詳細なお話を頂きました。
自分も(i幹事と一緒で)、やっとの思いでお寺へ参詣ができました。
組織は、異体同心の大事と、我らの宿業による今の苦悩は、組織の中で蘇生されて罪障消滅ができることもテキストから御指導頂きました。
その他の話は謹んで割愛させて頂きます。
埼玉南部のO班長は、日応上人時代の初代の講頭って誰なんだろうね?ってお話されてました。
O班長がしらない支部の歴史を自分が知るわけでもないのですが、少し調べてみたくなりました。
今日は暑かったですね。真夏のようです。
在宅だったのですが、いつもは快適な狭い自分の場所も太陽が差し込み、窓全開でした。
夜を迎え、就寝し、朝になりいつも思うことは、朝に魔がいることが多いなという事です。
夜の勤行を夕19時に終えたとすると、それから10時間程度、御本尊様に向かってないわけですから、己心の魔も盛り上がってくるわけです。
そして、朝の勤行をするとスッキリして、気持ちが整理されて、仕事に向き合えるわけです。今日の計画が明確になります。
そう、今日は長女が体育祭前なのに、足を少し捻挫してみたいです。
明日は病院に連れていくかも知れません。腫れは引くでしょうか。
縁ある後輩たちや、我が子に何を残せるのかって少し考える事があります。
自分も人生の中盤をとっくに超えております。
令和5年5月15日(月)
父からメッセージが来ました。
昔むかしの話でした。父が5歳ごろの話です。
なんと、昭和19年ごろの話ですから、驚きです。
荻窪の中島飛行場から戦闘機の「隼」が立川飛行場に到着すると、ベテランパイロットがテスト飛行するそうです。それを金網越し離陸を見ていたそうです。
「ちいさな飛行機だなぁ」という印象が今でも残っているそうです。
その立川飛行場のその場所に、今度連れて行ってくれるそうです。
(話は変わります)
先日の授業参観は、子供の様子がよくわかります。先生のいうことを聞いていないなぁと。しかしコツコツの平仮名をノートになぞっている姿は少し個性的にも見えました。
是正することはしなければ。。しかし子供も自我があるから、なかなか云うことを聞かないこもあり、これは心を変えるしかないので、やっぱり信心だと感じます。
仕事が忙しいと少しイライラしたりします。今日は家族皆が少し命がよくない状態だったかもしれません。
んーー今夜は、自分から悪い命が派生したものかも知れません。
明日は仕事を早めに上げなければ・・頑張ります。
令和5年5月14日(日)
御報恩御講に参詣させて頂きました。
次女が体調悪く、鼓笛隊の練習を休んだのですが、午後の御講のタイミングで体調が快復したようで、一緒に参詣ができ、家族と合流できました。
御主管は、本門戒壇の大御本尊様が、根本中の根本であること。一機一縁の御真筆の御本尊様との違いを明確に御指導くださいました。
正に、このお話は異流儀の考えを破折されている内容であり、根幹となりますね。
本門戒壇の大御本尊様と一機一縁の真筆御本尊に、「諸宗は本尊に迷」っているところの話であり、大事な内容でした。
御報恩御講終了後、御主管より、本堂で家族にお声かけ頂いた事は有難く、まさに本堂の御本尊様にお話し頂いたことと、心に刻まれる日となりました。
今日は地区のリモート幹部会に参加させて頂きました。
この小さな会合にも功徳をもちろん感じます。
「人生楽ありゃ、苦もあるさ」とは水戸黄門のテーマソングの一節ですが、三女に歌ってみせたら、?な顔をしていました。
我が家の人生訓を少し教えなければと思った昨今です。
というのも、三女は基本的な勤行とあいさつが、しっかりできるように願っております。
令和5年5月13日(土)
今日は三女の授業参観に参りました。
2時間目の後に中休みがありました。そういえば・・自分の世代にもこのような長い休み時間があったことを思い出しておりました。
教室には誰もいなくなります。w
皆が校庭に飛び出していきました。先生も汗だくになって児童と走り回っておりました。
5分前の予鈴で、校庭に散らばっている児童が、狭い正面玄関・下駄箱を目指して走り出し、集まって来ました。
吸い寄せられるように笑
わが娘は、やっぱり先生の話を聴いておらず、ちょっと大事な話はちゃんと聞くように指導しなければと思います。
授業参観は、家庭での教育を是正するためにも大事な行事であることを感じました。
小学校の時に、自分は、入院したことがありました。
退院間近に、忙しい父がお見舞いに来てくれました。あるプレゼントを持って。。
それは第二次世界大戦の時の日本の戦闘機「ハヤブサ(隼)」のプラモデルでした。
この隼は、自分と、また父の生まれ故郷である「立川飛行場」でそのほとんどが生産されていた事実を最近しりました。
戦時中、この飛行機を父は見ていたのかも知れません。もう、二度と戦争は起きてはならないと。。
その思いを込めて、プレゼントを持ってきてくれたのかわかりませんが、入院中か、退院後にそのプラモデルを作った記憶があります。
令和5年5月12日(金)
今日は仕事が21:30までかかり多忙さが増しております。
父がメッセージを送ってきました。
「今、現在が、人生で、一番大変でかつ、大事な時」
とのこと。
確かにとても忙しいなかにも、充実している時なのかも知れません。今は分かりませんが。。
明日は子供の授業参観で、楽しみです。
令和5年5月11日(木)
雨が午後から降ってきました。
今日は在宅勤務で残業がほぼ決定していたので、リモートでの壮年部唱題会に参加させて頂きました。
o御尊師は、壮年部員に対して青年部時代の情熱を燃やして支部を盛り上げるように。「熱湯の信心、信仰」の大事について堀上人の御指南を引用されて御指導くださいました。
福岡の「八女茶」を暫く飲んでおりました。これも味が深く冷やして結構いけます。八女茶の在庫がなくなったので、先日、お山で買った「やぶ北棒茶」を飲んだら、本当に懐かしい味がしました。
これは、祖母とお山で飲んだお茶の味がしました。意外に覚えているものです。
それもそのはずで、この総本山のこの売店は、祖母の代にずっとお山にいくと通っていたお店で、(この日記でも記載しましたが)そのお店を元あった場所から、記憶からやっと探し当てたお店です。
今日はそのお茶の味が懐かしくて記載してしまいました。「やぶ北棒茶」は八女茶よりも色が濃いです。
令和5年5月9日(火)
ゴールデンウィークが終わり、また新たに生活が始まりました。
妙法受持の功徳について、御法主上人が御指南のように、新年度に環境が変わりました。
仕事は忙しくも充実しております。
折伏のアンテナを又張り直して行かなければと思います。
学生の時から30年、愛用してきた御書ケースを新調します。
今日到着します。
ウッド調の茶色ベースは変わりませんが、新しい御書ケースは気分も変わります。
白鳥のイナナク声を聞いて王様が元気になる説話がありますが、自分は今、室内で育てているメダカの稚魚の成長に励まされます。
こんなに小さくても命があるんだと。
メダカブリーダーになりつつあり、稚魚は、40匹ほどです。
昨年失敗したので、今年は次女の協力を得てます。
三女が鼓笛隊で少し練習が進み、スタッフの方にも誉められたみたいです。
聴いてみると、
「(ご本尊様に)お願いしからだよ。思いは通じるんだよ」
と親顔負けの発言がありました。笑
令和5年5月7日(日)
昨日は、少年部の親子遠足に参加させて頂きました。白子の同志や青年部長や、後輩達とも一緒でした。
親は街頭折伏をすることが分かっているため、今回もパンフレット持参です。
子供たちは、友達を増やす内容で、最大14人の少年部員と会話のできる企画をしておりました。
また、元気に青年部の皆さんに混ざって遊んでもらってました。
あの少年部員の体力は凄いです。
自分が青年部時代の後輩たちが、親となり、自分の子供達とそのお子さんが同世代で、再び信心の活動を一緒にしているのが不思議です。
担当御僧侶msさんとも、親しく話して頂くことが出来ました。
我が家の広大な夢について、少し聴いて頂きました。
少年部長が、ハイクオリティな近代機器で、子供たちを楽しませてくれてました。
自分も宇宙の世界をVRで体験させて頂きました。
街頭折伏では、父兄みなで出発し、一人の外国籍の方に白子の婦人部の方とパンフレットをお渡しすることができました。
(今しがたですが)お寺に近い駐車場で、白子の班長さんや、埼玉南部の地区長さんにバッタリ会いました。
大法道院展、最終日。みなに会い、その頑張りに励まされます。
令和5年5月5日(金)
人それぞれ生活形態が違うので、お寺に参詣するタイミングもそれぞれマチマチですが、自分も及ばずながらも久しぶりに2日連続でお寺に参詣させて頂きました。この変化は大きいです。
参詣したくても出来ない方はいるので、有りがたく感じます。
昨日も唱題行あとに、御主管よりお言葉があり、久しぶりに本堂に唱題の声が響き渡っていることを喜ばれておられました。
一時間が短く感じました。
昨日は、三女の鼓笛隊についておりました。
すこーーし、演奏のレベルが
レベル1から
レベル2ぐらいになったかも知れません。
今日は子供の日で、我が家も子供たちと実家に、参りました。
川で三人の子供と遊んでいるお父さんがいたので、採ったメダカをその、子供にあげつつ、下種したかったのですが、苗字も聞けず。
我が家の実家の場所を伝えるだけになりました。
また川に遊びに、来るそうです。
令和5年5月3日(水)
今日は班の方と家庭訪問を予定しており、お寺に唱題行から参詣させて頂きました。
壮年部のスタッフのエリアで、東京西部の壮年長さんの隣におり、1時間がとても速く感じました。
班の方への家庭訪問中に、ある班員さんへ連絡すると「二度と連絡するな。俺は無理やり入信させられたんだ」と久しぶりに電話で誹謗されました。
罪障消滅です。笑
今日は、お寺では本堂が本当に輝いている感じがしました。
参詣の功徳を感じます。
今日は帰宅後、少しだけDIYする時間がとれました。ステンレスバンドで機器を巻いておりました。
令和5年5月1日(月)
昨日の日記で 「幹部会では御主管から開目抄の御金言から」 と申しましたが、メモを確認したら「立宗会」でのご法話でした。訂正しお詫び致します。
令和5年4月30日(日)
三女の鼓笛隊練習に、立ち合ってみました。まるで、昔の自分を見てるようです。
私自身、小学校当時や仕事初めなど、他の人からずっと成すことが遅れていて、出来なくて、いつも悔しくて、その自分の姿に三女が重なります。笑
でも三女は、鼓笛隊の基礎が出来なかったのですが、泣かないだけ立派と思っていたら、最後に泣いてしまいました。
今日は壮年部座談会で、我がチームは、見事に所沢地元の3人と、その縁のある班長さんと4人でした。
本当に其の身そのままの話を皆がされていて、信心の同志は正直な方が多いことに気が付き、より今日のメンバーには親近感がわいてきております。
地元の同志sさんとは今度家族ぐるみの時間を作る予定です。
幹部会では御主管から開目抄の御金言から、大聖人様が立宗されるとき、幕府など為政者からの大難があることを覚悟されながらも、一切衆生を救うために南無妙法蓮華経と唱えいだされた事について、甚深の御指導でした。
「二辺の中にはいうべし」との深い御本仏様の御心に少しだけ触れることが出来ました。