Cafe'd Minaike113(法華講員コミュニティサイト)

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Cafe'd Minaike113

店長日記

令和5年12月30日(土)

今日は午前中に、長女の大事な先輩とそのお父様(パパ友)と四人で、お昼を御一緒出来ました。 自然と信心と、そのご家族の深い話になったのですが、とてもご苦労されていることが分かりました。

その後、講中の一斉街頭折伏に参加したかったのですが、間に合わなかったので、一度自宅に戻り、長女の先輩ご家族の追善のお焼香を上げてさせて頂きました。

総括報告会、出陣式に参加する西武線の道中で、このパパ友へメッセージを送りました。

御主管からの御指導では、今日は「出陣式」であること。
大聖人様は、二陣三陣続けと仰られている。七百年経って我ら御本尊様にお会い出来たこと。
また、大聖人様、日興上人、日目上人依頼、今日に日如上人に至るまでの代々の御法主上人猊下、また我ら御在世の先輩方のおかげで、我らが大仏法に会えたことの感謝の気持ちを、折伏の行動に顕していくことをお話下さいました。

何とも有り難く御主管の近くでご挨拶もさせて頂きました。決意も新たに進みたいです。
小さな一歩でも、前に進みます!

帰りに来年の手帳を購入しました。

最後に
我が御主管が、御宗門の総監職を御勇退されたことに、謹んで敬意を顕し、重ねて謹んでお祝い申し上げます。

令和5年12月29日(金)

今朝は、西武線が遅延したのですが、護られ、ほぼ時間通りに会社に到着しました。仕事納めしてきました。

この通勤の路線は、自分にとってはとても不思議で、自分の生まれた場所、青年期住んでた場所、昔の仕事場、我が家発祥の場所、通院した病院の駅などなど笑
三多摩を南北に走るモノレールです。
晴れていると池袋、新宿の高層ビルも見えます。
高い位置を走るので景色もよく、富士山も顔を出します。

立川市高松町、小平小川町、立川駅前、多摩センター。。とても思い入れのある場所を通過します。
懐かしいです。

今も富士山の麓から夕焼けが光って絵に描いたような景色を通過しました。

来年を今年より、より善くするための信行を、重ねて行きたいです。

令和5年12月28日(木)

家族では、隣町に住む一人暮らしの父の心配をするのですが、逆に我が家のインフルエンザの家族の罹患について心配されてしまいました。(先週の話になります)
毎土曜日に妻が仕事の為、なかなか子供を置いて実家に行くことが出来ず、逆に父が来訪してくれます。長女の塾通いについても提案してくれました。

お正月の元旦勤行へ一緒に、我が家の車で行きましょうと誘ったのですが、このお正月はちょっと一人で居たいらしいです。
少し心配してしまいます。元気は元気そうです。いつも御尊師が父の事を心配してくださいます。

若干、町の人たちが故郷や海外?へ移動することを、自宅前の鎌倉街道の車の量(音)で感じます、年末ですね。
輸送班時代の先輩が、今年が暮れる事について国土世間が寂しがっている様で、との記事をFacebookに載せられてましたが、今年は本当に慶祝の善き一年であったと思います。

30日午前中に折伏対象者と会えるのが、少し楽しみです。しかし、大掃除と年賀状がガッツリ残っていてます。

地区の壮年部座談会で、ある先輩が、「お金を持っている人が皆、(功徳を)頂けるってもんじゃないから、この信心は。」という話が心にのしかかります。
どう、この信心を、御本尊様を、ずっとおたもち、していくか。本当に厳しく深い話です。

どれだけ唱題あげたのかと、自己の成就した折伏の実数と、法統相続と色々課題があります。
年末になりますが、まだまだ折伏は諦めず頑張ります。

令和5年12月26日(火)

日曜日は、壮年長宅で、我が地区の壮年部座談会でした。
この地区の壮年長さんは、近年折伏を何人もされております。新居や新車が輝いておりました。
凄く功徳を頂いている姿、その一部と思いました。

t班長の軽快な司会の元、座談会はひざ詰めでの話は、とても心に響きました。
「結局、みな折伏してないから、結果が出てないのです!やればできます!」
その確信の言葉は重かったです。

我が家では数日前から、3人目の発熱者が出て、個人的には家事が大変でした。
年始に家族の体調が悪かったら大変です。

そう、あっという間に年の瀬が迫っております。
年の瀬という感覚がありません。

令和5年12月22日(金)

今日は長女の誕生日でした。14歳になりました。
御本尊様から功徳を頂き、終業式の今日、長女は学年代表で全校生徒の前で発表がありましたが、ミスなく堂々と発言できたそうです。

また、
昨年卒業された長女の先輩は高校でも合唱部に入られたのですが、そのお父様から合唱の発表(ディズニーソング・ホールニューワールド)の綺麗な歌声が送られて来ました。
本日夕方、埼玉テレビでLIVE放映されたホットな映像でした。

この歌声・映像が今も流れる中、長女の誕生から今までの事を少し思い出しております。
父親にも素敵なプレゼントを頂いたような気分になりました。

そのご家族とは年末に食事に行きます。何とか信心に縁させてあげたい御家族です。

波乱の年末の仕事のピークを今日超えました。ちょっと大変でしたが、功徳で乗り越える事ができました。
来年へ向けての準備が仕事でも始まります。

命は不思議で、色々な縁で心が変わります。
この1時間でも自分の命は色々変わっております。

御本尊様という最善最高の縁にもっと深く近くならなければと思いますが、その最高の恩返しは折伏です。

先日、大学の先輩に言われました。支部の第一線で活動していて素晴らしいと。
しかし、まだまだまだ全然なんです。

昔、地区のある方は、「折伏」という言葉を出すことが大事だと仰っておられました。
何度も何度も耳にする言葉ですが、この言葉を大事に今後も発していきたいです、実践しなければと思います。
我が支部の名に恥じないように。。。

令和5年12月21日(木)

(こんなに祈って、動いているのに、何でこんな結果なんだろ❓)
って思うことが自分にはあります。
相当罪障深い。。と。
実際には、自分自身きっとそれほど動けてないのでしょう。

慶祝の年は、ふるいにかけられる、と言われますが、とても試されてるな、と感じます。
先日、御尊師は
「広宣流布を祈る。その中に、願い事が叶っていく」
との御指導を、されてました。

年末まで仕事もバタバタしてますが、頑張ります。

令和5年12月19日(火)

昨日は、どうしても腰が痛いので、同じ地域で開業されている信心の先輩でもある整骨院へお伺いしてきました。
この院長とは、個人的に、もう、35年ぐらいずっと縁があります。すごいです。
お寺と、大学の先輩でもあります。
その丁寧で、心温まる施術は、地域の方々にも評判が良いようです。見習うべき法華の振舞です。

日曜から今日まで、ととても驚くニュースが2つ、自分の周りに聞こえてきております。

周りの方々の、闘病生活についての話で、あまり良い話ではないように聞こえますが、凄い功徳の体験をされている方々がいます。

今日は輸送班の大先輩と電話にてお話することが出来ました。
この方は、近年の輸送班をずっと中心にけん引してきた方で、久しぶりに会話が出来たのですが、この方の同志にあたる方の、闘病生活、大功徳の話を頂きました。

通話した輸送班の、上記とは別の先輩のiさんは、壮絶な闘病体験をされております。きっと全国の体験発表にもなるでしょう。
その話は、自分に確信をもたらしました。
奇しくも、今日は次女の誕生日でしたが、この大事な日に又あらたな御本尊様への信が深まりました。

信心、家族の為に体を酷使し続けてきたその方は、身体のある一部を破壊されるような事態になったのに、今は歌も歌いコミュニケーションが取れる状態というのです。快復に向かっているように感じます。
引き続き強い祈りを続けていきたいです。

令和5年12月17日(日)

今日は14時からの一斉折伏に参加させて頂きました。
我がグループは講頭がいらっしゃる小隊でした。久しぶりの外への折伏で、本当に生命力を頂きました。
講頭は一人の方に30分ぐらいずっとお話をされておりました。
自分もネパールカレー屋に働く、ネパールの方へ英語を交えて信心の話をすることが出来ました。
英会話レベルを上げたいです。

夜は、有意義な今年最後の地区ミーティングとなりました。
我が地区も地区長を中心にまとまった姿が見られます。

年末までの戦いを、一斉折伏でも地区でも誓い合いました。

我が家では2人目の高熱者が出ましたが、すぐに熱が下がり、明日は学校へ元気に登校できそうです。

夕に、いとこより連絡が入りました。
少し心配な話だったので、強く御本尊様への御祈念をしていきたいと思います。

令和5年12月15日(金)

やっと週末です。今週は長かったです。
冬タイヤに車を履き替えるために、タイヤを運んでいたら、ちょっと腰を痛めてしまいました。
もう歳ですね。。汗
ん・・老苦です。笑

信心の事で今日は長女に相談したことがあります。
長女のいう事と妻のいうことが一致したので、その方向で行きたいと思います。

昨日、昔所属していた会社の上司にメッセージをしたら、意外に話が盛り上がって、今度会う事になりました。
古い折伏ノートを観たら、13年前に下種していた方で、日蓮正宗のパンフレットや、洗心も渡していたみたいです。
ちょっと会うのが楽しみです。

班の大先輩に、折伏は一人に絞るのではなく、せんべい屋が沢山せんべいを焼いて、ひっくり返していくように、下種先を沢山持つようにアドバイスされたことを思い出しておりました。
年末に長女の関係で、また来年にもこの先輩と会う約束が取れました。

年末には、その1年の御褒美を御本尊様から頂くことがある、と上記の班の先輩から教えて頂いたことがあります。
今年は、やり残しが多いので、ちょっと御褒美を頂くところではありませんね。
年末まで頑張ります。

令和5年12月14日(木)

日曜日の御講では御主管より「法華題目抄」についての御法話を頂きました。
三千年に一度咲く、「優曇華」の花に値うよりも、大梵天王宮より芥子を投げて針の先に刺さるより、須弥山に針を立ててその針の穴に糸が通るよりも法華経の題目に値うことのほうが難しいというのですから、想像がつきません。

この法華題目抄の日目上人の写本が宮城の正宗寺院・妙教寺に所蔵されているそうです。
御真筆も各所に散在されているようですが、こちらは早く正宗寺院に戻ってきてほしいです。

我ら過去に積み重ねて来た謗法は、祈っただけで消せるのではない、自行化他の信心。折伏するのが唯一の道という温かい御指導を頂きました。
今日は、百人下種表の一覧を見て、昔の上司にメッセージを送りました。

今週は残業が多いというよりは、やることや、気を遣う事が多く大変です。
年末に、長女友人の御家族と食事に行く約束が取れました。その方は法道院鼓笛隊の動画を見てくれて感動していました。

令和5年12月10日(日)

長女がインフルに罹患してしまい、週末バタバタしてました。
長女は今日、留守番です。

7日の壮年部唱題会で、y御尊師は
・仏性を顕す生活
・成仏とは仏様の命を顕す一切衆生救済の折伏であること
・下種の世間を広げる
との三つの大事をお話でした。

また、歳をとると時が早く感じるのは、
・新陳代謝が落ちるため
・新しい体験、発見がなくなるため
という学説をご教示くださいました。人は新しいことには防衛本能で、恐れチャレンジしなくなるようです。

年末に、チャレンジする、折伏に精進するように御指導です。

年末。
益々寒くなって、身体の動きが鈍くなり、血流も悪くなります笑
体を、動かしていかなければと思います。

我が支部を本当に大事に思います。異体同心頑張ります!

令和5年12月6日(木)

以前、回経の時に、在勤のmkさんにこのようなお話を頂きました。

それは、
南閻浮提に住む我々は忍土(娑婆世界)といわれる、この国土に生まれてきてますが、これは願って生まれてきているらしいです。
その他の、楽な東や西の国に生まれて来ることも出来るそうですが、願ってこの国土に生まれて来た我らだというのです。
凄くありませんか?自分はこの話に、とても感動してしまいました。

個人的にも、仕事も大変で、色々な迷いもあり、こんな大変な人生・・と思う事はありますが、願ってこの土に生まれて今いるわけですから、それはある意味凄いことです。

豪華な歌番組が夜にやっていると、いよいよ年末が見えて来てしまった、と感じる時期ですが・・あっという間に師走です。
1日1日がとても、大事に思います。

令和5年12月3日(日)

今日は多忙だった仕事から帰る夕方に、「大ニュースが2つ有るので、帰宅したら話する」というメッセージが自宅から来ました。
色々想像しながら、帰宅してみると驚く話が幾つかありました。

ひとつは、我が長女所属の中等部スタッフで、大変お世話になった女子部員さんが、なんと御住職様とご結婚されるというお話でした。
何と素晴らしい話かと思ったのと、本当に幸せな人生が始まることを、本当におめでたく思いました。
御家族のお慶び如何ばかりかと、思います。本当におめでとうございます。

もう一つは、家族でご縁のある埼玉の同志が、なんと法道院信徒として池袋に戻られるという話でした。
家族で、喜びが溢れ、長女もその戻られた家族の御長女と仲が良いので、本当に喜んでおりました。
さっそく、その御主人(青年部時代の後輩)にお電話をさせて頂きました。

よく、日曜日に池袋を街頭折伏した後、ラーメンを一緒に食べていた仲です。

もうひとつびっくりしたことは、総本山外護の輸送・整理班の組織についての話でした。
少しこれも衝撃的でした。

今日は、このタイミングで色々な変化が今日一日で我が家に有りました。
仕事での嫌な事など風の前の塵にもならず、吹っ飛んでしまった、今日の夕方で、色々な情報の整理がまだ出来てませんが、とにかく全てが幸せに向かっているようで、御本尊様の功徳に有難く思うばかりです。

令和5年12月2日(土)

師走になってしまいました。
少し寒さが増しております。

長女が先週、テスト期間で、勉強をしていたのですが、歌声しか聞こえないため、少し大丈夫かなと思っておりました。
今回のテストは、テストの合計点をどうしても上げなければならない背水の陣でのテストです。
どうしても、勉強をしている雰囲気がなかったので、一言、喝を入れようと思ったのですが、思いとどまりました。
(長女を信じてみよう)と思ったのです。

長女のテストが返ってきました。
するとどうでしょう。前回の惨たんたるテスト結果から、100点+された5教科合計点でした。
惨たんが讃嘆にかわりました。

やっと普通のテスト結果が返って来たので、親としても少し嬉しかったです。


今日は自分の大学時代の事を少し思い出したので、GoogleMapで市川市の真間・国府台付近を観ておりました。
それほど風景が変わっておらず、安心しました。

懐かしいです。

その後、「六巻抄」を少し拝していたら、「真間の一体仏」についての日寛上人の話があり、これは日蓮大聖人様御在世信徒の、一機一縁の御本尊であること。一機とは、平等でないことを云うそうで、法華経以外の諸経もその縁により説いたそれぞれの教えとのことです。

「法華は広大、平等、明了の演説」
とありました。

自分の大学の事を思い出していて、なおつかその真間弘法寺にある、富木常忍殿が願主で造立し、日頂師が御開眼された釈迦仏とはどんなものだろうと思っていた矢先に、この六巻抄の御金言に巡り合えて不思議な感じがしております。
我が家の近いところで整骨院を開業されている先輩も、同じ大学に通われておりました。

令和5年11月29日(水)

今週は仕事が多忙で、またプレッシャーもあり少し大変でした。
しかし功徳を頂き、護られている事を感じる現証がありました。諸天の動きも感じます。

実は仕事のある局面で、「観妙院様指導集」のお言葉をとっさに思い出しました。
その言葉に護られました。
その時に、観妙院様のそのお言葉の深い意味を少しだけ感じました。
不思議な現象でした。

令和5年11月26日(日)

今日は幹部会前に、武蔵野第二のt班長さんに来て頂き、対象者のカレー屋に折伏にお伺いすることが出来ました。
予想以上に人が居たのですが、人が居なくなり話せるタイミングで、ヒンディー語を交えてt班長は信心の話を進めてくれました。
用意した2冊の冊子をお渡ししたのですが、お寺に参詣の約束を取り付ける事が出来ませんでした。
又、御祈念をお願いし、自分でも御祈念しつつ明日から又進んでいきたいです。

t班長さんは、お店や道中、教学「文・義・意」という事を教えてくださり、サンスクリット語の法華経などの「文・義」はあってもそれは文献であり、最後の「意」は、日蓮正宗の血脈がある御僧侶でないと、伝える事ができない、在家では伝わらない旨を詳細にお話しくださいました。

幹部会では御主管がお元気にお出ましになられ、法華経が難信難解であることを「諸経と法華経の難易の事」を引かれ御指導され、又12月3日の広布唱題会に大結集するように、御指示されました。

おっと、自分は12/3は朝から仕事が入ってしまい参詣が出来ません。
ちょっと残念ですが、今日は御主管の御指導が拝聴できて有難く思います。

世界で起こる紛争が、早く終わるように、正法が広まるように、自分のできることは小さいですが折伏を進めていきたいです。

令和5年11月23日(木)

今日は子供の御会式が奉修され、我が三人娘も鼓笛隊で音の御供養をさせて頂きました。
また、次女は学校のお友達をお寺にお連れでき、またそのお友達は鼓笛隊の制服を着させて頂くことも出来ました。

ご自宅までその友人を送った時に、御両親にもご挨拶できたので、今後このご家族を幸せを導けるように信心の話を進めていきたいです。

次女の折伏のお手伝いをさせて頂いたおかげで、沢山功徳を頂きました。
心が今、とても安心な気持ちで溢れております。

子供の御会式の最中、西部の壮年長さんのお子さんの近くにいたタイミングが有ったのですが、ずっとニコニコしていました。
本当に小さなお子さんは可愛いです。
我が子たちもこんな小さな時がありました。懐かしいのと、今目の前に、鼓笛隊で成長した姿を見ていて、嬉しくも、またこんな可愛い時代はもう来ないとなると少しだけ寂しい感じもしました。

自分が中学生時代の2つ上の先輩に、白子のy班長さんの導きでお会いすることができ、また沢山昔話が出来ました。懐かしい館山合宿の話に花が咲きました。
同じ白子の同志の御長男が、子供をお連れされて、幼いお子さんで可愛かったです。この御長男も、つい先日中学生だった感覚なのですが、時が経つのは早いです。

御会式には、懐かしい同志と会える時です。
今日もたくさんの方とお話することが出来ました。

33年前の今日、自分の大学で「法道会」が開かれた日でした。
学会の妨害や、脅しがあって大変でした。
令和の今日の日。学会の悪の元凶。元会長の不幸な、学会葬がいとなまれ、深い深い堕地獄の日となりました。

ひとたび、一時つらかった時を乗り越え、我ら功徳を頂いてます。
歓喜でお寺に参詣できた我々は、御本尊様にどこまでも護られ、幸せが三世に続きます。

令和5年11月20日(月)

総本山では、御大会が奉修されていますが、Facebookでも諸先輩や同志が総本山よりメッセージをくれました。
同志から送られた写真を見ると、今総本山では、透き通るような晴れわたる空があるようで、諸天が本当に喜んで吉瑞を顕わしているように思えます。

「常住此説法」のお経文の如く、昨日の組長会での御尊師のお話は、生きている仏法、眼前に在りとお示しのような、不思議にも思える自分には合致した話でした。仏様は、自分の心の内をいつの間にか御存知でした。

物の見方は、人の境界により変わります。
悪く見える状況もその人の捉え方ひとつなんですね。

また、今の自分の姿は、ありとあらゆる自分の言動・行動の結果でしかないとは深い御指導です。

そして己身の魔が一番強い魔であること。
今の自分の迷いを払うようなお話でした。

そして今日気が付いた事は、どんなに欲しいと思っているものが手に入ったとしても、また次が欲しくなる・・きっとそうなんです。
人(自分)の欲望は愚かです。

総本山の虚空に溢れる功徳が日本中に、きっと充満して、国土世間を善くするのだと思います。

令和5年11月19日(日)

長女がリビングで勉強しております。テスト前です。
その前で、Cafe'dの更新をしております。

今日の全体組長会は、お話ひとつひとつがインパクトが強く、記載しきれません。

御尊師は、物事の捉え方のお話として、アフリカへ行った、イギリスの靴屋さんの2つの会社の、それぞれの営業マンのお話をされました。
A社の営業は言いました。「大変です。靴を履いている人が、今アフリカにはいません。」
B社の営業は言いました。「チャンスです。靴を履いている人がいないので、靴が沢山売れそうです。」
と(上記のような表現だったかと思います)

また、今の自分は全て過去の自身の言動行動の結果であること。
最大の魔は己身の魔であることなど。。
有難いい御指導です。
また、講頭は、「組長会に来るか迷ったとは思いますが、来た事が尊いのです。この場所で心に残る言葉が、後の自分の一番苦しい時の助けになります。」
とのお話でした。

組長会では白子の先輩と一緒のグループでのミニ座談会だったのですが、その後押しもあって、自分の午後の組座の前に、
対象者のカレー屋さんに立ち寄りました。

今日は、自分の組座談会・第一回目の記念すべき開催となりました。

令和5年11月18日(土)

今日は皆さんご存知の、創価の池田氏死去のニュースが流れました。
平成2年11月16日のスピーチと時が符号するように、丁度34年経った、11月15日です。
仏罰は本当に本当に厳しいです。

今年はやはり凄いです。
日本を代表する新興宗教の3つの教祖が死去する年となります。
謗徒の裁きはまだまだあるかも知れません。

以前にs大講頭が、日興上人御聖誕770年の慶事の前後に(当時水曜講でしたでしょうか)
「来る平成33年の大聖人様御聖誕の時には、今度は、大聖人様がお出ましになるぞ!という凄い年になるのです。(趣意)」
とのお言葉が忘れられません。

その時はあまり意味が分かりませんでしたが、今ならわかるような気がします。

令和5年11月16日(木)

明日未明から荒れ模様のようで、我が現場でも出社を控えて在宅勤務にするように促されるメッセージがありました。
明日は出社予定だったのですが在宅勤務に切り替わりました。
仕事では、今日も周りに護られながら功徳を頂きながら進めているものの、明日は乗り越えなければならない大きな壁のある、ちょっと嫌な日です。頑張ります。

中国とアメリカの首脳会談が開かれてました。少しでも世の中が善い方向に向かうように、祈りたいです。
観ると、首相同士が2人で歩いている友好的な姿があったようです。
中国首相から「この関係を継続していきたい」という前向きな発言もあり、期待をしたいです。

山梨側から見える富士山は11月に入っても「春」のような姿をずっと見せているようです。
ちょっと異常な気候です。
長野県上田市上塩尻では、先月「山桜」が咲いてしまったようです。笑

「食欲」や「読書」や「紅葉狩り」の『秋』はどこへ行ってしまったのか、一気に冬到来という感じがしております。
全く秋のニュースが無いような11月です。
秋は短いという話も、四季が二季(夏と冬だけ)になるという話もありますが、秋好きな自分として、色々な意味でも、いきなり季節が寒すぎて困ります。

令和5年11月14日(火)

中等部スタッフの時に一緒に信心していた、当時の部員さん達は、令和の今、あらゆる分野で活躍しております。
FacebookやLINE、その他、直接対面で声を掛け合う後輩も多いです。

しかし、少し地域的に関東より遠くで活躍している後輩もおります。
今も、昔と変わらずメッセージをくれる当時の部員さんがいて、Facebookなどで誕生日などにやり取りが始まる場合もあります。

今日も嬉しいメッセージが来ました。

九州でお医者さんの卵として活躍して、頑張っている後輩がいます。
本当に苦労しながら、頑張っています。

当時、お寺やお山や合宿所で笑いあった、一緒だった部員さんたちとの時間は、決して無駄な時間ではなかったことが今になると分かります。
世間の荒波にもまれ、信心と各分野の最前線で皆、戦ってます。
心から、縁のある皆の幸せを祈っていきたいです。

令和5年11月12日(日)

時系列で週末の事柄をお伝えしたいです。
土曜日は、授業参観で、次女と三女の学校へ行ってきました。
授業参観の中で、「音楽会」があったのですが、その子供たちが歌った曲がずっと頭を今も流れております。

インディージョーンズのテーマ曲、ドラえもん、平成たぬきぽんぽこの3曲が印象的でした。
平成たぬきは、多摩地域の宅地開発で、動物たちが人間に反乱を起こすジブリ作品ですが、実家の三多摩方面の話とあって、子供たちと当時一緒に観ていました。
インディージョーンズのテーマソングは、エンディングでもオープニングでも同じ曲が流れていたかと思います。
子供たちは一生懸命に緊張しながら歌って、又楽器を演奏してました。
40年ぐらい前の自分の姿を、思い出しておりました。笑
自分の両親はどんな気持ちで観ていたのか、、今の自分には少しだけ分かるような気がします。

今日は三女の七五三で、朝から少しバタバタしておりました。
三女は妻と一緒に写真館に朝から向かっておりました。

長女と次女で電車でお寺に向かい、鼓笛隊の練習前に、唱題行に参加させて頂きました。
少年部長も仰ってましたが、魔が強い時期なのですね。
皆さん苦労なされております。

御報恩御講並びに目師会では、御尊師からは、①末法の良薬とは南無妙法蓮華経だけであること。
②全ての人に信心を伝えていくこと
を御指導くださいました。
かぶ御講と云われる、目師会に、御宝前にあがっていたかぶが印象的です。

鼓笛隊の御父兄打ち合わせに参加させて頂いた後、2時間唱題がまだ完結しておらず本堂に再度戻りました。 お昼には、ばったり埼玉南部のO班長さんに会いましたが、古い御信者さん宅にある、古い御本尊様について御教示くださいました。

日応上人様の板常住御本尊様は小さな板御本尊様があるそうです。台座の姿は今は見られない形との事で、拝してみたいです。
日恭上人様のお守り常住御本尊様は、昔O班長さんの家系には三体ご下附された過去があるそうです。 日恭上人の御本尊様はお寺に収め今は御当代上人様の御本尊様が御安置されております。本当にすごいです。

護城会の後輩たちが、我が家の車の駐車場の場所を確保していてくれました。着物だと三女も歩きにくそうでした。

七五三の後、御担当御僧侶mkさんは、子供たちにこのようにお話くださいました。
「みなさんにひとつだけ覚えていただきたい事があります。これから楽しい時も苦しい時もお題目を唱える事を忘れないでください。」

「御両親、親御さんにお伝えしたい事は、子育ても仏道修行と思って法統相続に精進されてください。」との端的な2つを御指導くださいました。
家事や子供たちの事でどれだけ時間を使い気を使って来たかを振り返ると、それが全て仏道修行だったんだと思えば、このお言葉にとても救われます。

少年部の子供たちの帰りを待っていると白子のy班長さんと会いました。
「昔の月例登山で、y委員長さんが、『法華講だからといってずれた事をしていると、生まれ変わって、あ、同じ御本尊様の元に生まれたと思ったら、偽本尊の家に生まれたって事だってある』と仰っていたのが、印象的で、今すごくそれを、御主管の御指導から思い出す事があるよ」
と仰ってました。
「中等部、高等部から、今までいる我らが、昔に居た、今埋もれている人材を掘り起こしていく使命がある」と。。。

まだまだ話したい事があるのですが、ちょっと遅くなってしまいました。この辺りで今日は失礼します。

令和5年11月10日(金)

昨日は壮年部唱題会に参詣させて頂きました。
西部の壮年長さん、又埼玉南部竜門会のOさんによる折伏ミニ体験では、「不動明王・愛染明王」又、「八幡大菩薩」を個別に信仰対象する人への破折の内容でした。皆さん、地道に又苦労しながら普段着の折伏を実践されております。

y御尊師よりは、御相伝である「本尊三度相伝」という甚深の御法門を聴聞させていただき、何故梵字で不動・愛染が御本尊様へおしたためなのか、八幡大菩薩の八幡の意味や、又日蓮大聖人様の御真筆御本尊様の南無妙法蓮華経 日蓮花押に、梵字・漢語・日本語の意義が含まれている事など、不相伝家では決して拝聴しえないです。

今朝、早速、「富士宗学要集第一巻」を御宝前で開いて拝しておりました。


鎌倉時代の当時、仏教を信仰している人の中には、火を起こす、「火打ち袋」に念珠を入れていた事が「種々御振舞御書」におしたためだったかと思います。
その当時の「火打ち袋」はどんな形だったのかを調べたら、丁度、今でいう「小さな巾着袋」に似たものでした。
姉の遺品の中で古い模様の小さな巾着袋があるのですが、その中に名札とお念珠を入れる事にしました。

明日は次女、三女の音楽会が学校で開催されます。
対象者のパパ友にも会えるかも知れません。

次女は一生懸命、お友達をお寺に誘っているみたいです。御会式のパンフレットを渡すことが出来たようです。

令和5年11月9日(木)

今日はとても嬉しいメッセージが海外の御尊師から来ました。
こちらの御尊師も、大変厳しい国土世間にある寺院の御住職様であり、命がけで法を護られている御尊師です。
このメッセージを胸に、又今夜もお寺での、壮年部唱題会に元気に参加できそうです。

昔のある信心の大恩師が、自分に仰った言葉を今日は御宝前で思い出しました。
「御本尊様を、"はかり"にかけているだろ?」

{そうだ・・
あれもこれも、これだけやったのにって、、御本尊様を秤にかけていないか?}
って思いました。
最近の自分・・心入れ替えなければ・・

令和5年11月7日(火)

個人的な話で恐縮ですが、2つの心の懸念していた事が解決しました。
仕事でスッキリしない事が多かったのですが、少し成果が出て、明日以降に繋がる内容です。

本当に辛抱強く頑張れば功徳を頂ける事を感じました。意外な形で両方解決して、諸天が顕れて救われました。
そしてその元は、朝の真剣な唱題です。
どうしても解決したい事が解決して、心が穏やかです。

「人生楽ありゃ、苦もあるさ・・」今朝、洗濯物を部屋干しながら、ずっと心に流れていた曲は、祖母の家で観ていた水戸黄門のテーマソングです。(笑)
あるいてゆくんだ、しっかりと。。笑

この修行の中で、執着が少し薄れている気がします。先日の日曜日には、御供養を受け付けにお持ちしつつ、七五三の祝いのお願いをすることができました。
もうすぐ我が三人娘最後・三女の七五三の祝いの日となります。

令和5年11月6日(月)

昨日、御尊師は御法話の中では、邪宗「日蓮宗」の間違った御会式についてのお話がありました。
彼らは、御会式の深い、その意味も分からず迷ってお祭り騒ぎだけの姿を見られて、嘆かれておりました。
我ら信徒の、自行化他の実践を御指導くださいました。

広布唱題会の後の時間、お昼には、対象者のカレー屋さんにお伺いすることが出来ました。
インド人の店主は、何と同じテーブルに来て座ってくれてじっくり、国際部の写真や、平成21年七万五千総会のパンフレットをじっくり観ておりました。
パンフレットは欲しいようです。差し上げられる冊子を準備しなければ。

折伏を目的にすると魔が生じる。しかし魔が顕れるということは、物事が成就し始めている、との事です。
この一週間の個人をとりまく魔は強いですが、少し折伏の行を実践させて頂く中での修行で、嬉しい気持ちも少しあります。
半面、結構落ち込みもしております。

今年の不思議な慶祝の年は、顕正会、統一教会、幸福の科学も教祖が死去し、悪い事をしている者たちが裁かれる、大きな転換期を迎えております。
あと今年は2ヶ月であることを職場でも確認し合いました。
異常気象は続きますが、折伏の歩みを進めていきたいです。

令和5年11月4日(土)

慶祝登山の年の「御会式」は参加するまで、とても魔が強かったです。
寂光土を顕わすと云われる荘厳された本堂の御宝前を拝して、とても安心するような有難いような気分でした。

御尊師からは、申状のあとにお題目を唱える意義について、甚深の御指導を頂きました。

布教講演では、立正安国論の意義から五重相対の詳細についての内容で、一つひとつをメモさせていただきました。
迹門とはどの品からどの品まで、本門はどこなのか、など、自分の中で曖昧だった箇所を確認することが出来たことは功徳です。

以前に、激励会で、「執着があるから、人は迷う。御供養をすることによりその迷いから脱することができる。」との内容のメモを発見しました。
なるほど、自分にも色々執着があって、それが薄れるように御本尊様に祈っております。

今日は三女が夕飯がハンバーグであることを確認すると、「今日は本当に良い日!」と喜んで踊っておりました。
昨日のお寺に参詣の功徳か、子供たちは本当に幸せそうです。

自分は今日、ちょっと困った事があり(解決したのですが)朝から落ち込んでおりました。
唱題に力が入らなかったので、時間的に、いつも以上の唱題をあげさせて頂きました。

令和5年11月1日(水)

11月になりました。新しい月ですね。

今日は三女の誕生日でした。
「もらった誕生日プレゼントはどうだった?」と本人に聞いてみると、
「一番欲しかったものをもらった」
と言ってました。人は、世の中で一番欲しいものを、手に入る事はなかなか稀です。笑

今日は自分も御本尊様から功徳を頂きました。
朝の勤行で、今、自分の心にある整理されていない事が、整理されますようにと祈りました。
すると、願っていた事以外にもう一つ、2つのわだかまりが整理されました。小さな事なのですが、功徳です。
(詳細は、個人的なこと過ぎて、割愛いたします)

西部の壮年長さんから、有難いメッセージを頂きました。
それには添付ファイルが有り、これは将来の希望が詰まった内容(教学)となっておりました。

時と衆生の機根が合えば叶う事があり、時が来なければ叶わない事があるとの御指南は深いです。

令和5年10月30日(月)

九月に休日出勤した、その振休を利用し、今日は長女の中学校「合唱コンクール」へ行くことが出来ました。

自分の中学の時の合唱コンクールは、もちろん自分の中学の体育館で実施していたのを思い出しますが、長女の中学は、所沢市の大きな施設を使用しイベントを実施することが多いです。今回も、立派な音響施設がある大きなところで、合唱コンクールが開催されました。
ちょっと羨ましいです。

長女の縁のある生徒の成長を今日も見る事ができ、我が子を見るような気持ちです。
秋晴れの爽やかな中で、清らかな歌声が響いておりました。

折伏ノートや書類を整理しなおし、15年ぐらい前に下種した縁ある方数人へ連絡(メール、電話留守電)したのですが、反応が全くありません。
そんなに簡単に繋がるものではありませんね。明日で10月が終わります。

自分が参詣する、御会式は週末に控えております。
また再度「100人下種表」や、連絡先を確認してみたいと思います。

令和5年10月29日(日)

昨日28日は、月は違いますが宗旨建立の日で、3月28日と4月28日は、とても大事な日と拝されます。
その昨日、地区の唱題導師でお寺に参詣させて頂く事が出来ました。

清澄寺での立宗宣言の日、その当日、東条景信が大聖人様の御説法に烈火の如く修羅の命で、大聖人様の命を狙いました。立宗と同時に魔が生じた日です。しかし、義盛坊、浄顕坊という諸天に守られる日でもありました。
個人的には我が末端の信徒我らにも少しだけ通じるものがあるような気がします。魔に気を付けるべきと。しかし、必ず諸天に守られるぞ、という事です。

昨日、お寺に参詣しようと一心堂前を通ると、いつも自分に嫉妬の命を見せるある信心の同志(同世代)が、「なんでこんなに遅く参詣するんだ」とばかりに少し難癖を付けて来ました。

自分は、妻が出勤している日なので、家事を済ませ、多摩地区の唱題導師に間に合う時間に参詣したのですが、難癖付けてきたのです。

もちろん、顔は笑顔で、心の中では、{相変わらずかわいそうな人だな・・}と思っていたのです。
この人はいろんな人に、信心の難癖を付けて回る人です。

自分は「ヤッタ。罪障消滅ひとつできた・・」と思いました。

この日有難い事に副地区長の御指示を頂き、最初と最後の唱題導師を務めさせて頂きました。
ちゃんとこの日の使命があり、功徳を積むことが出来ました。

このひとつひとつの罪障消滅が、その時は少し嫌な想いをしても、未来に拓ける希望を想えば、全く嬉しいお灸の感があります。

令和5年8月28日(土)

長女の部活の全国への道のりは (2つの大きな大会AとBがあり、その1つAの大会についてですが。)

市内の大会を二回最上位で、突破し、埼玉県代表になり、そのあと関東大会があります。

関東大会は、東京の強豪がいて、なかなか突破が難しいです。全国優勝校がいます。
関東3校以内に入らないと、全国には行けません。
それを越えると、生中継、全国大会が、待ってます。

埼玉県代表で、昨年、関東大会で、敗れました。テレビにも出ました。
今年も埼玉県の放映には、少し映ってましたが、やっぱり全国を経験させてあげたいです。Bの大会も関東止まりです。
信心の実証のためにも、次の世代のためにも。。
そう、我が家の次女も三女も観てます。 来年は、付き添いになるので、親も全国に応援で参加したいです。笑

長女はとても徳があると感じます。

そろそろお寺につきます。。(スマホからサーバ接続し更新してます。)

令和5年10月27日(金)

仕事が忙しかったのか、この一週間は早かったです。
秋が短すぎて少し寒く感じます。想い起こせば鈴虫やコオロギが鳴いているのを聴きませんでした。
ちょっと季節がおかしいです。

昨日、父が元気に我が家に来てくれました。
手術をしなくて済んでよかった、ととても嬉しそうでした。
最近、父は如是相が、とても良くなってきました。

以前に信心の先輩に、
「祈るときは、一週間単位で祈りなさい。そして一週間祈って、一週間後にその結果を見る。
一週間で変わらなかったら、もう一週間祈る。一週間毎に祈る。必ず、一週間で変化があるはず。」
と御指導を頂いた事がありました。
(以前にも記載した内容で恐縮です。)

8月27日に、信心上の大きな、ある願いを立てました。
これは我が家の地域、国土世間に及ぶ大きな願いです。

丁度一ヶ月後、9月27日に、西部の壮年長さんと会話して激励され変化があり
そして今日の10月27日、2か月目。
確かに又変化がありました。不思議です。

この年齢になると、なかなか希望を持って日々生活するということは、一般的には少なくなっていく時期かと思いますが。。
信心をしていると次から次へと希望が湧いてきます。
これが不思議の信心のお題目の功徳です。

3時間毎日唱題をされている人がいる事を考えると、まだまだ自分は至りません。
唯、きっとちゃんと前進していれば護られると確信はあります。

明日の地区の唱題担当も、ほんの少しの時間かも知れませんが、信心に時間を使って、自分の未来を拓いていきたいです。
この法則はこれからもずっと変わりません。
唱えていこう妙法をの「その日のために、そのために・・」が心に流れております。頑張ります。

そう、上記の記載とは別件てすが、長女を全国大会に来年こそ、出させてあげたいと大きな願いを立てました!がんばれ!

令和5年10月19日(木)

今日は本当に何年かぶりに広布推進会に参加させて頂きました。
この季節には、どの場所(所沢でも池袋でも?)でもキンモクセイが香ります。
仕事を終えてダッシュでお寺に到着です。

いつもながらに青年部の後輩たちが本堂で活躍している姿は嬉しくなります。
今の時期、沢山功徳を積んでほしいです。

着席すると、輸送班時代に、ずっとお世話になっていた先達に会うことが出来ました。
夕方に池袋に集合し、一緒にバスや自家用車でお山に行ってました。
本当に懐かしく思いました。青年部時代に、自分も本山任務等でも、沢山功徳を頂いて今の自分があります。
さっそくその方と連絡交換し、Lineでつながる事が出来ました。

広布推進会に参加するとどうしても、輸送班時代の諸先輩方と会い、その皆さんの支部でのご活躍や請願数をいやおうなしに聴いてしまいます。
本当に奮起していきたいです。

本行寺さんはいつも折伏の勢いが凄いです。
んー悔しいのと、少し嬉しいのと複雑です。

副支院長さんが、熱原法難の様子を詳しく話され、御指導くださいました。
その熱い法華講の信心をどこまでも心に刻んでおかなければと思います。

御住職が街頭の方を折伏された話は衝撃的でした。
在家が頑張らないと、まずいです。頑張ります。

令和5年10月18日(水)

「顕正会」の浅井会長が10/16に、死去したそうです。
あまりマスコミも騒ぎ立ててませんが、9月から体調を崩し10月には大きな会合にも出ず、存命中の広宣流布などと公言するも、その意味も虚しく・・
会員たちはどのように思っているのでしょうか。

法華講の方で、顕正会から脱会されたある方は、日蓮正宗に縁できたのは顕正会があったからであり、との話で、どうも浅井さんをこれからの人生、ずっと塔婆供養するというのですから、その評価は如何というところです。慈悲深いとするべきでしょうか。
個人的には、慈悲深いという表現が合っているかはどうかで、その1本の塔婆を自分の親御さんや祖父母の追善にすればという感じもしますが、どうなのでしょうか。

さぁ、これから迷う会員も出てきて、また日蓮正宗へ近づく方もいるかも知れませんが、顕正会が正信会のように四部五列する、消滅するという見解の人は多いようです。
その浅井会長の毒は深く、その残党も多いので、撲滅のためにまだまだ破邪顕正の対話をひとつひとつ重ねなければならないと思います。

いまその人はきっと、やっと大後悔をしている最中かと思いますが、地獄への奈落・・落下で、それどころではないかと思います。
地獄に落ちるものは一千年かかって落ちるという話も聞いたことがあります。
恐ろしいことです。

これは半分で聞いてほしいのですが、臨死体験をして生き返って証言している人の中で、キリストが生まれたころに死んで、まださまよっている人と会ったそうです。2000年、迷っている命が実際、あるそうです。

我ら、この今生で色々と不平不満が、どんなに沢山あっても、どんなに今、幸せな日々でしょうか。

令和5年10月15日(日)

今朝は次女の体調が少し悪く、お寺に参詣できず、二人で留守番となりました。
次女のお昼を用意した後、そのまま班座談会へ直行しました。
大雨だった午前中は風雨が激しかったのですが、班座談会の最寄り駅を降りて歩いているうちに、晴れて来ました。

来月からの組座談会の話。それぞれの折伏対象者への働きかけについての情報共有では、班内に活気があることを感じます。
ある組では、班員さん全てに信心の手紙を送られたそうです。尊い行です。

班の先達がこのようにおっしゃってました。「一人の人には8人の縁の人がいる」というのです。
保険の話だそうです。
「お年寄りを折伏してもよい。そこには8人の縁があるので、その方々への折伏に通じる」と仰ってました。

天皇家に日蓮正宗が広まるきっかけになったのも、お店に来た一人の方への折伏から始まった話を読みました。
どんな縁の方がいるか分かりません。

今日の班座談会で、気が付かせて頂いた事がありました。
それは「時」に任せて、ただ夢中で信心を頑張るという事で、善い結果が得られるという気づきでした。
自分から無理に働きかけて善い場合もありますが、どうしても変わらない事があります。自分にはどうにもならない事があります。

「七つの習慣」という一般的な、ビジネス思想の中で、「自分の手に届かないような事を必死に無理に努力するのではなく、自分の手の届く事に全力で努力することで、大きな利益が得られる」という方法があります。

どうしても届かない事について、努力をしていた事に気が付きました。
結果、今出来る大事な事をコツコツと進める事を始めたいと思います。
抽象的な話ですみません。

令和5年10月14日(土)

仕事に邪魔され、壮年部の唱題会に参加できませんでした。
まだまだ真剣な唱題が足りないと思います。

今日は次女、三女の運動会だったのですが、昨年はコロナでオンラインでの運動会観覧でした。
秋空の下、次女も三女も元気に走っておりました。1番でも2番でも無いのですが、これがよいです。笑

次女は近年ずっと応援団なのですが、太鼓を担当しておりました。
映画「レッドクリフ」観た時の「八卦の陣」での太鼓を思い出しました。笑
戦では、太鼓の音を合図に、陣形が変わります。

運動会から帰宅して唱題していたのですが、見事に唱題中に眠ってしまいました。これがダメですね。

地元の御足跡について、ちょっとネットで観ていたのですが、ちょっと発見があって、やっぱり所沢に大聖人様の御足跡があるかもと、ちょっと嬉しい情報がありました。その場所は春に桜が咲く場所です。

ネット上の邪宗からの誹謗は、返って我らの信が深まる事が多々あります。
御当代日如上人様の御文字は、旧字や、異字体をご使用されており、そこらの学者が知らない御文字がしたためられております。
その御当代上人の御文字は、大聖人様が御使用の御文字だったりして、本当に信心は深く、有難く、心染みわたります。。
実際に自分でも調べてみました。すごいです!

令和5年10月10日(火)

佐渡御配流の今日は、個人的には色々な想いが交錯する日となりました。
昨日、実家に行ったときに少しショックな事がありました。

姉の遺品であり、実家の物として御宝前の本棚に並べてあった観妙院上人指導集・全4巻を父が他の書籍と共に処分してしまっておりました。
・・もちろん所沢の我が家には全4冊は別に有りますが、ちょっと残念でした。
後世に残すべき書と思っております。遠慮せずに我が家に持って来ればよかったです。

しかし、法道院新築落慶記念写真集と、法道院百年史は我が家に持ち帰る事が出来ております。
先達方が残した足跡の多くをその後の世代に繋いでいかなければいけないと思っております。

今日も2時間の唱題をさせて頂きましたが、やっぱりまだまだ唱題が、真剣さが足りません。

人生後悔はしたくない、時は逃したくないといつも思います。
しかし、実家の書籍といい、今の時にすべき事といい、まだまだ自分には隙があるように思います。

最近、身の回りの整理整頓を始めました。(家の整理整頓は、3人の娘が散らかすので、ルーチンで普段から掃除しております。笑)
まず始めたのが、折伏関連の書類の整理です。百人下種表の最古の物をベースに更新しました。もうすぐ90人です。
その他の折伏関連資料は、クリアケースにまとめております。

そして、スマホ上のファイル整理から、会社のパソコンのデスクトップ画面のファイル整理から、色々整理整頓をしております。
掃除をすると宝物が出てくるので、結構趣味的に好きな作業です。

明日からは又大事な物をひとつも落とすことなく、過ごしていきたいです。

令和5年10月9日(月)

今日は、大聖人様が初めて御本尊様を顕わさた善き日(文永8年)ですね。
10/12は本門戒壇の大御本尊様が御図顕された日(弘安2年)を迎えます。
個人的には、御本尊様への想いや信じる心が深まる月になっております。

明日(文永8年10月10日)に、いよいよ大聖人様御一行が、鎌倉街道を歩かれ、佐渡に向かわれるわけです。
寺泊御書に
「道の間の事、心も及ぶこと莫く、又筆にも及ばず。但暗に推し度るべし。」
とおしたためですが、想像しても、想像できない難儀な道中だったと拝します。

今日は、実家に訪問して唱題を少しあげさせて頂いたのですが、父が掃除をしてくれた綺麗な御宝前を有難く思います。
自分も少し掃除をさせて頂いたのと、実家の御本尊様を改めて拝すると少し大きく感じました。

秋というと「柿」を想いますが、実家の柿は「緑色」なので、渋柿かと思うのです。
しかし、硬いのですが甘いのを今更ながらに父に教えてもらいました。

少し鼻が調子悪かったので、ミカンを食べました。ビタミン不足でしょうか。寒さのせいかも知れません。

令和5年10月8日(日)

土曜日に、対象者のカレー屋さんの処に、お伺いすることが出来ました。
朝の唱題行の後、M幹事がおっしゃられていた「信頼を得る事」「その人の心に残る言葉を伝える事」という話はとてもヒントとなり、心に思いながら、訪問となりました。

元々自分は、カレー好きです。朝、昼とカレーが続いても問題ありません。
特に、鶏ベースのスパイシーなインド&ネパールカレーは大好きです。土曜も楽しみでした。セットのチャイをいつも頼みます。笑

今回は武蔵野第2のT班長さんのサンスクリット語の資料を携えてお伺いし、ポイントポイントで顕正会の間違いを少しだけお伝えしつつ、信頼を得られるように色々お話をしてまいりました。
顕正会のその御主人と奥様は、それほど熱心に活動はしていないようで、この活動は地区の皆さんとも連携しつつ継続したいです。

仏法は日本から、またインドへ帰るのですから、日蓮正宗がネパール、インドの方々が信じることはすごく魅力があります。

今日は御報恩御講で、御主管より「佐渡御書」について御法話を頂きました。
龍ノ口御法難の後、鎌倉に1000人いた信者のうち、999人が退転してしまい、その退転した人に再度信心をさせるためにも、この御書をおしたためになったそうです。
謗法厳戒であり、念仏も少しで併せてお題目もあげるというような、甘い信仰は厳につつしみ、大聖人様のなされたお振る舞いで信心。
法の邪正のけじめが大事であり、勝劣浅深ある教えがある中、正しいものが一に止まると書くように、我ら日蓮正宗が唯一正しいことを御教示くださいました。

妻は中高の保護者会に参加したのですが、講頭や幹事方、青年、中高スタッフも参加される豪華な会合で、とても良いお話が聞けたようです。
中等部員を持つ親して、とても手厚く法統相続に力を入れてくださる、御主管や御尊師方、講中の方々には本当に有難く思います。
活き活きして、お寺から子供達は帰宅します。

令和5年10月3日(火)

750年も月日が経つと、町も道も変わるのは当たり前なのかも知れませんが、劇的に変わったのはこの100年ぐらいかと思います。
それまで原野が続いていた地域も、コンクリートで道や町が埋め立てられ、高い建物が建つことで、今まで見えていた景色が変わります。

それは神奈川の金沢でも、此処所沢でも同じです。
金沢八景という綺麗な景色も今は、失われた処が多く、我が所沢も、西武線の線路や高い建物で鎌倉街道が消えつつあります。

佐渡から鎌倉へ帰られる大聖人様御一行が通った鎌倉街道も、河川も、古地図をじっと眺めなければ当時を想像することが出来ません。
残るのは地名や、伝説のみです。
鎌倉街道を佐渡から歩かれて鎌倉へ向かわれたことは事実としても、本当に所沢の柳瀬川の清水を汲み、大聖人様が、信徒の為に御本尊様を顕わされたかどうかは、分かりません。

しかし、変わらないのは御本仏様の慈悲であり、御在世当時の我等先達の信心はきっと、令和の今も鎌倉時代も変わらないと思うのです。
そこには、我ら荒凡夫の迷いや悩みも、きっと今と一緒であり、同じように苦しんで、御本尊様へすがって祈って乗り越えたと想像します。
宗史に残る信者さんはほんのわずかで、その名もない信徒が、我らと同じように御本尊様へ真剣に祈っていたわけです。

東京西部の壮年長さんは、毎日三時間の唱題を継続し数年になります。
3時間はなかなか出来ません。その陰徳陽報の原理で、折伏が成就するわけです、唯々すごいです。

その壮年長さんが幼い時に見た母上の姿は、見たことのない真剣な祈っている姿、眼だそうです。
その信心の親御さんが居て、今の壮年長さんの姿があります。
自分も子供に伝えられる信心を、振る舞いで残さなければと、いつも思います。

令和5年10月2日(火)

広布唱題会で、御主管は、組寺の御会式の御多忙の中、甚深の御指導をくださいました。
聖人御難事の御金言を引かれ、大聖人様は様々な御難に遭われた中、弘安5年10月12日御図顕された、本門戒壇の大御本尊様を心から信じ奉ること
この喜びを折伏に変えて日本乃至世界の人を救っていく大事を御指導くださいました。

折伏と育成は一体であるとの御指南は深く有難いです。
日曜には2軒の家庭訪問に行かせて頂いたのですが、その1軒はマンション経営をされている班員さんで、1階にはカレー屋さんがあります。

このカレー屋さんの店員さんに信心の話をしたいと思っていたら、丁度、厨房裏の出口に一人いたので、パンフレットをもらえますか?とお声かけし、色々話をしていると大宮に行っている顕正会員とのこと。最近は大宮には行っていない。また日蓮正宗については初めて知ったということで、電話番号と名前を交換することが出来ました。下種先が増えました。

最終的に御供養の形になる貯金を始めて数日間。最終目的まで暫く時間がかかりますが、金沢法難の信徒の御供養の精神を思えば、自分の志は、大したものではないです。
しかし、喜びにあふれる最終目的があるので、頑張ります。

令和5年9月30日(土)

夏休みの1日を昨日頂きました。この日、次のゴミ当番の近所のお宅へ、網ネットを渡すためにお伺いしました。
地域の折伏のチャンスです。

丁度日本庭園のような綺麗な庭だったので、自分が日蓮正宗の信者で古い建物や、日本風の庭が好きな事を少しお伝えすることが出来ました。
後から考えたら、この方へは、一度数年前に日蓮正宗のお話をしていたような気がしているのですが、次はパンフレットをお持ちして少し深く話がしたいです。

また別に、近所に公明党のポスターの貼った学会のお宅があるのですが、この御主人に会うたびに話をしております。
昨日もたまたまお会いしたのですが、自分の事を忘れてしまっているようで、「法華講です。大石寺のものです。」と伝えると、逃げるように去ってしまいました。

この休みを利用して、もう一度観たかった「レッドクリフⅠ&Ⅱ」を寝る時間も使って観ました。(この夏、キングダムもⅠ&Ⅱ観てしまいました。)
中国史は、面白いです。このレッドクリフは御存知のように三国志を現代人にも分かりやすく映画化したものです。

キングダムは、御法話にも少し出てくる登場人物、始皇帝が、その天下を取るときの話で、この軽い題名よりも、内容はとても映画としては素晴らしいものでした。

それぞれの映画の、細かい話もたくさんしたいのですが、この2作(4作)で共通するの内容は、多勢に無勢の時の、少ない軍隊のほうが勝つという歴史の不可思議の部分です。

少数(劉備・孫権側)の、陸の戦いでは亀をかたどった「八卦(はっけ)の陣」で初戦を勝利します。
また、海の戦いでは、風向きを読める諸葛孔明は、火責めで木造の2千隻の船をあっという間に焼き払います。

また戦いに入る前にも心理戦を勝利して、同士討ちで相手の力をそぎます。
頭の善い人は、人の言葉の裏を読むようです。

「キングダム」では、レッドクリフの優れた軍師の指示で軍全体を勝利に導く、というよりは、一人の一騎当千の剣士が活躍します。

昔幼い時にテレビで観た、上記とは別の日本の時代劇には(祖母の家で観たのかもです)、やっぱり剣士が活躍するのですが、千や万の相手に対して、数人の剣士で、その軍を叩き、勝利した姿が印象的で、今でもずっと心に残っております。
こんな戦い方もあるものかと。。衝撃的でした。心にそっとしまっております。

昨日は、地区のオンライン唱題会もあり、3時間近くの唱題を上げさせて頂きました。
今まで、どうしても打ち破れない壁が心の中で敗れ、やっと目標まで、一歩ずつですが進める糸口を見つけました。
お題目のお力であると、先ほど気がつきました。本当にリアルにすごいです。
希望がきっと日に日に溢れると思います。
まだずっと先ですが、その目標に向かって10年ぐらいかかるかも知れませんが、頑張ります!

その突破口が開いた事で、色々な日々の事柄が、きっとその希望の為に頑張れると思います。

。。ほくろ笑むとはこのことかと思います?。。あっ!ほくそ笑むでしたw

令和5年9月28日(木)

今月、我が家は地域のゴミ当番で、網ネットの設置や回収。ゴミが散らかっていたら掃除など、あっという間に一か月の担当が終わりました。
地域の恩恵に応えるために、奉仕活動がありまして、妻も小学校の登校班のPTA奉仕活動で一年間、朝早く子供たちの集合場所に向かっております。

長女の部活動の会場への送迎もありますが、来年は地方遠征の時には部活付沿いの親として自分もデビューします。
ある役目を担う事となります。ちょっと楽しみです。

今日は、上司が休みだったので、在宅だったのですが多忙でした。
地区のリモート唱題会で、今日は我が班担当導師のだったのですが、その唱題会が終わってからも少し仕事でした。

秋がなかなかやって来ませんが、秋が来て、冬は冬で寒くて困りますが、今年は暖冬かもという話があります。

令和5年9月25日(月)

1週間は早いですね。
更新するまでこんなに時間がかかってしまいました。
昨日は、パソコンを前に疲れて閉じて寝てしまいました。
折伏の決意をして100人下種表を更新したのですが、さっそく体調が少し崩れた週初めでした。

土曜のお彼岸会では、御主管より御法話を賜り、椎地四郎殿御書の如渡得船の御金言を引用され、
『お彼岸の季節の善い時だけ修行する我等でなく、日興上人の「身命を捨て」とのお言葉を拝した仏道修行を日々するように。悩み、苦しみの迷いの世界から悟りの世界へ。一生成仏を願っていく。折伏の相手は決して少なくはないです。』と一人がひとりの折伏の実践を願われた御法話でした。

お彼岸会の後の班長会も本当に全てが歓喜の内容で、御尊師からは
「最初、義務感であった行動が、体質の変わっていく。御本尊様が御安置の場所では、成仏の境界が、仏界が湧現する。
NHKの『これが我が社の黒歴史』から(バンダイの例を挙げられ)絶対に売れると思って売れなかった商品を出した担当者が、本当に会社を傾ける大きな損害を出した。しかし、上司は担当者をやめさせなかった。その後、その担当者は利益を上げ、今はバンダイナムコホールディングスの社長になった。
失敗が人を成長させる。
信心の体験を自分の中に積んでいく。御本尊様は必ず全てを御照覧くださっている。
先が読める、未来が分かると不幸な場合がある。結果が分かってしまうから。
全力を尽くすことが大事である。』

この日、お彼岸の御主管の御法話と班長会の話で火が付きました。
100人下種表以外にも、折伏の書類の整理をして、翌日日曜は家庭訪問と、駅前の顕正会員への破折。そして、今日は学会員へ電話もしました。

令和5年9月18日(月)

輸送班の先輩は、お病気になられた時に、このように講員の方々に伝えたそうです。
「罪障消滅の絶好のチャンスととらえて頑張ります、また戻ってきます。」
と。

続けて、その時の心のうちを、先日の電話で自分に話してくれました。

「どんな悪い状況も、自分が犯した過去の罪の結果でしかない。。」

その時、自分ははっとしました。

今、自分の不満や愚痴になることに対して 「自分は絶対に悪くない。何か自分以外の原因がきっとある。」と心のどこかで思っている自分がいるのを感じました。

今、身の上の起こっていること、、全て。。
自分の過去世の自分の行いの結果
とは、教えられながらも、心は反発していたのです。どこかで、愚痴になっていたと、気づかされました。

そう思うと、何となく出来事の意味が分かってきます。過去の自分は最低だったな、と。
そして、罪障消滅の行をしなければと思います。

今日は、父が心配で実家に行こうと思っていたのですが、駅まで父が出てくるとの事で、駅前のマクドナルドで色々話が出来ました。

年老いて来た妹を、父は大変心配していました。
人の心配が出来るので、まだまだ元気のようです。その長男(自分の親戚)に自分も電話をかけてみました。

この後、班の家庭訪問の為に先方に電話をしたのですが、不在でした。少し残念です。

お気づきの方もいらっしゃるかも知れませんが、このサイトのトップに、テスト的に、「music」ボタンを作りました。少しでも癒される音楽を流せたらと思っております。

令和5年9月17日(日)

昨夜、久しぶりに輸送班時代のお世話になった先輩と、長電話をしてしまいました。 あっという間の二時間です。笑

大病をされ、病魔を克服されたその方は、
「一念の強さで願いが必ず叶うこと」

「一度あきらめた、自分の願い事を再度願っていくこと、叶えること」

など。。
総括すると、このような有難いメッセージを頂いたような気がします。

信心の繋がりは三世に渡ると感じますが、不思議な縁で、20年以上もお付き合いさせて頂いております。

今夜の地区リモートミーティングで諸天の動きを感じたことがありました。

10月平日の慶祝登山に、我が班の幼子連れた親子二人と付き添いの女子部スタッフが参加するのですが、交通手段がなく困っていました。

武蔵野1班々長が乗せて下さるという話を下さったのです、諸天の加護は凄いです。

休日出勤の今日は、思うようなアウトプットが得られず、少し落ち込みましたが、昨夜の電話や今夜のミーティングでの話など、御本尊様から護られる色々な事がありました。

令和5年9月15日(金)

昨日の壮年部唱題会では、y御尊師より、竜門会集会に参加なされた内容から、真剣な勤行・唱題の為に実施した座談会についてのお話がありました。
勤行・唱題を妨げるのは、「子供」と「携帯」が上げられたそうです。
特にスマホは近くにあると着信に気になり、又少し画面を見てしまうというのは、とても共感してしまいました。

また、樺太に有った日蓮正宗寺院についての話題がありました。

その時に引用された、日達上人の御指南を見つけましたので、下記記載させて頂きます。

「樺太に日蓮正宗の信者が増えて、樺太の真岡に教会を造りました。

辰野開道師はその教会へ、兎に角自分は今まで非常に人々から非難され、抗議ばかりされた。自分はこの寒い樺太へ行って奮起しよう、と。既に齢も40いくつ。50近くになっておっただろうと思います。そして北海道へ行って、樺太の真岡に於いて一生懸命修業しておりました。

たまたま此の大戦に日本は負けた。ソ連は即座に樺太を占領した。ある日、艦砲射撃はその真岡の町を撃ち、至る所燃えてしまった。正宗の信者も皆帰る。婦人を始めとして皆帰るようになった。

しかし辰野開道師は、もう是の御本尊様を背負って行ってもソ連の捕虜になる。自分は是の御本尊様を持って此処へ布教に来たのである。此の御本尊を内地へは移せない。その時既に艦砲射撃によって周りはすっかり焼き払われた。

そこで辰野開道師は太鼓を叩いて、自分の此の祈りによって信者は皆内地に帰れるようにと一生懸命お題目を上げた。遂に寺に火がついた。そして寺は燃えて、太鼓の音はまだ聞こえておったそうです。寺の焼け落ちると共に、御本尊と共に、太鼓の音が消えた。

そこで辰野師は亡くなったのであります。 このように若い時にいろいろ人々から非難される事があっても、一遍発起してこの妙法を守る精神になれば、必ず如何なる事も成し遂げる事が出来ると私は考えるのであります」

令和5年9月10日(日)

久しぶりに仕事しながら夜明けを迎えました。
今日の午前中は夜間業務明けのお休みを頂き、起床後は13時からの御講に駆け付けました。
家族で無事に参詣できました。
三女も最近はお寺の少年部や鼓笛隊のおかげで手を合わせて、唱題を少しの時間ですが行うようになりました。


御主管からは、四条金吾殿御返事の「石虎将軍」の御文を引かれ、一念の大事について御指導くださいました。
このお話はいつもインパクトが強く、想像するのですが、たまたま石の弱い場所に当たったのではとか、そこだけ割れていたのではとか考えたりするのですが、この石虎将軍が、この石を矢抜いた後、何度もこの石に矢を立てようとするのです。色々試してみるのです。

同じように疑問を持って、矢を放っても分からない。その解答は、「母の仇と思ったその一念」でしかないところに、すごみがあります。

御主管の御法話を拝聴した正にその時、家庭訪問をしたい人が浮かび、実際に御講の後、訪問することが出来ました。
その家庭訪問先へ行く途中、「長崎神社」のお祭りで商店街には人が賑わっておりました。

邪宗の太鼓の音が鳴り響き、まだまだ謗法が多いことを感じます。
人々はこのお祭りに沢山出ている屋台の美味しい匂いや楽しさといった誘惑に、悪道に堕ちていきます。

家庭訪問の帰りに、犬の散歩をしていた方にお声かけし、自分は日蓮正宗の信者であることを伝えましたが、その後、話は続きませんでした。
まだまだ頑張らなくてはといつも思います。

我が父から少し心配なLineメッセージが来ました。
「年齢をあまり意識しない動きをしていましたが、夏バテや生活の疲れやで、疲労が蓄積か、足腰が休養を必要としている!?なるべく休養を心掛けてます。」...
家庭訪問の後、父へ電話を入れると「今、図書館にいて、歩けるから大丈夫」との元気な声が聴けました。
疲労は思わぬ後からやってくることがあるので、父を少し心配しつつ気にかけつつ生活していきたいです。

仕事が多忙の中でも、色々やりたい事はあるので、少し整理して事を進めていきたいです。

令和5年9月7日(木)

台風被害は大変困りますが、その遠くからの風が少し良く影響してか、今日は涼しい日となっております。
しかし、暑さが異常ですね。
やっと夜になると秋の虫が鳴き始めました。

自分の対象者へ、法話会の案内を送ったり、連絡したりしているのですが、まだまだ具体的にならず困っております。
今週も徹夜作業があったりするのですが、仕事を言い訳にもしてられません。
御講は這ってでも参詣します。

金沢八景、浮世絵でも有名な、神奈川・金沢には、「六浦」という場所に大聖人様にまつわる伝説(あくまで伝説)が残っております。
この御足跡には、自分は行ったことがありません。

(昔の記録のみで)現存しない大聖人様の御本尊様の脇書きに
「於六浦奉入」
とあったそうで(日蓮正宗の基礎的研究:山口範道師)、その事が気になり、少し金沢六浦についてネットで観てました。
大聖人様と富木殿との船中問答があった御足跡(六浦)で、長屋か、同じような形の家が並ぶ、その一軒の一室、少し目線の高い位置に御本尊様が御安置だったかも知れないと勝手に想像しておりました。

此処は内陸なのですが、昔は海岸だったようで、樹齢千年の船繋ぎ松があったそうです。船中問答なども全てが伝説ですが、今は釈尊像がまつられている邪宗になっております。

邪宗が多いので、個人としても折伏を一歩一歩進めなければと思います。

令和5年9月3日(日)

昨日は、久しぶりに地区の方々(武蔵野第一の班長さん、地区折伏担当さんと、我が班の副班長、班長奥様)と慶祝登山に参加させて頂きました。
自分の青年部時代から、日蓮正宗の化儀について教えて下さる方方と御登山でしたので、自分の知らない事もたくさんご教示頂きました。

予想していた渋滞もなく、行きは休憩を十分にとりつつも、早く着山し広布坊で、唱題です。
唱題会へ参加させて頂きましたが、この唱題途中がこの日、一番眠かった時でした。
唱題会後、御尊師より、記念品のイチョウの御念珠について御法話があり、「大石寺の佇まいを100年近く見てきたイチョウ」であることと、塔頭の石畳について引用され、我等の御登山の意義についてお話くださいました。

御開扉では、中央一番後ろでしたが、班と個人の折伏成就を御祈念させて頂きました。
罪障消滅が少し出来たと感じる御開扉でした。

御開扉後は、宝物殿の記念展に行くことが出来ました。
大聖人様の御影画は、複製でしたがとてもリアルな姿を拝しました。
松葉ヶ谷草庵模型の大聖人様がお手紙をおしたためのお姿はリアルすぎます。
大聖人、日興上人、日目上人、御歴代上人のお手紙は、写真に撮りたいぐらいです。
目に焼き付けました。

帰りも渋滞がほとんど無かったのも、功徳にて、先達の御心遣いと優しさが身に染みた登山となりました。
帰りがけ、多摩地域の空の夕焼けは、本当にとても綺麗でした。


今日の広布唱題会で、御主管は一文一句なりとも人に信心の話を語りなさいとの猊下のお心を体して育成にあたること、慶祝登山の啓蒙では、阿仏房が佐渡から身延へ登山されたご苦労に比べて、今は有難い登山であることを御指導下さいました。

令和5年8月31日(木)

先日、総務をされていたkさんが御家族でお寺に参詣されておられました。
久しぶりに元気なお姿を拝し嬉しかったです。少し会話が出来ました。

長女・部活の大きな大会が2つあり、1つはテレビ放映がかかった大会で銀で、2点差で敗れた事は以前に伝えましたが、今年の埼玉県大会本選は、地上波・関東限定でテレビ放映をしてくれました。家族で応援に行ったソニックシティの映像でした。
長女が録画してくれてました。

昨年の東日本での地上波放映と違い、今年は関東での放映と、少し縮小してしまいましたが、親の夢が少し叶ってうれしいです。
この録画は我が家永久保存です。笑
これも全て御本尊様から頂いた功徳です。

もう1つの大会は、関東大会に出場でき茨城へ遠征します。
信心の功徳の実証を、少しでも顕わして欲しいです。

功徳には、余分も不足も無いという事を、以前地区の大先達から教えて頂きました。
今、目の前にある事象はすべて、自分の信心の全てであり、他の同志と比べて、うらやましく思うようなことは自分の信心の結果であり、どんなにあがいても今は変わりません。
徳を積むために、本当に折伏を実践して、早く同志に追いつきたいです。より輝ける我が家の未来の為に、頑張ります。

子供たちの夏休みが終わりました。
在宅時の我が家の騒がしい時間が静かになります。

少しだけ夕方には夏の熱気が冷めてきますが、まだまだ猛暑が続くみたいです。
最近、秋の虫が暑そうに鳴いております。

週末には地区の方々と慶祝登山に参加できます。有難いです。

令和5年8月27日(日)

昨日の幹部会では、御主管は「如説修行抄」の一節を引かれ、
『三大秘法を広めていく、謗法を退治していく、折伏していく。大聖人様は折伏を行じていく中で、御難が顕れた。我々にも様々な事が、身の上に起こってくる。「ゆめゆめ退する心なかれ」と御指南くださっている。一人ひとりが折伏の意欲を持って実践していく』との御指導を頂きました。
幹部会で、講頭がご紹介されていた、昔、お寺で配布された「如説修行抄」の冊子を本棚から出してきました。
この身に離さず持つ、という行為だけでなく、身口意の三業で「如説修行抄」を読み切っていくという心をしっかり拝したいです。

今日の「松葉ヶ谷の法難」の善き日。今日は子供たちの鼓笛隊の送迎とご縁のある大先達の初七日もあり、家族で菩提寺に参詣させて頂きました。
午前中の合間に、街頭折伏に少しだけ歩かせて頂きました。

本堂では2時間以上の唱題をあげさせて頂きました。
ひとつ我が家の信心の方向性を決める、大事な願い事がありました。
夜にその結論が出て、まだまだ信心のレベルアップ(折伏成就)をしなければならないし、それから全てが進む事を確認しました。

真剣に祈った結果が少し顕れ、また明日も勤行の姿勢や唱題の真剣さから見直していかなければと思う今です。

バスケットボールはあまり自分は得意でもなく、観戦自体も、興味も薄いのですが、バスケットワールドカップの「フィンランド戦」で、格上・ヨーロッパに初めて勝利したようで、試合を少し観ておりました。
明るい話題はうれしいですね。

令和5年8月26日(土)

昨日の日記、ソース(元ネタ)はこちらになります。
ご参までに。。

『武蔵国児玉郡誌』
「久米六右衛門」の項より。

「児玉町の奮家なり、昔祖先児玉六郎時国・僧日蓮(大聖人)に帰依す、文永8年10月13日・日蓮(大聖人)佐渡へ謫せられし時、時国が家に宿す、其後赦免ありて帰国の時、時国送って入間郡久米村に至る、日蓮(大聖人)厚志を感じ、久米川の水を酌で一幅の曼荼羅を書してこれを與へ誓て曰、汝が子孫長久ならん事、此水流の如きことあらんと、依て改て久米と号すと云、」

妙教(2000年2月号)
「大聖人が鎌倉から依智を経て、武州児玉にお泊まりになりますが、その所が、小生の祖母(母方の実家で、奈良時代の末に藤原氏の者が来て、土豪の家を継ぎ児玉氏としてい ましたが…妙法に帰依、大聖人の御命により久米と改姓、現在二十四代当主は東京に在住。大聖人お泊まりの館の地は東光山玉蓮寺(身延日蓮宗)で、境内に大聖人「御足洗い井戸』などあり、児玉町の史蹟になっています。 久米家に改姓後の屋敷はJR八高線児玉駅の近くでしたが、昭和二十年に浮浪者の放火で焼失、持仏堂安置の文永十一年御真筆の御本尊は焼失を免れ同家に現存とのこと」

令和5年8月25日(金)

平日に取った夏休みの1日を使い、子供たちを海に連れて行きました。
三女も、始めて海を見たので、とても喜んでおりました。早く本物の海を見せたかったので少し念願叶いました。
海の家は、2軒しか出ていなかったのですが、関東にしては海が綺麗で、スマホで撮った写真も青空が広がってました。

この夏休みの前半(後半は9月に取ります)、対象者の三女友人の御家族へ、メッセージのやり取りをしておりました。

仕事は9月も休日出勤があり、代休が取れそうですが、少しだけイレギュラーな仕事が続きます。

佐渡路沿いにある我が家ですが、この地域には「曼荼羅堂」「曼荼羅ヶ淵」といった場所があり、大聖人様の御本尊様にまつわる伝説が残っております。
あくまで伝説なのですが、埼玉児玉より鎌倉へ向かう道中。ずっとお供した、宿の主へ、大聖人様が、久米川(柳瀬川)の水で御本尊様をおしたためになり、これを与えて「あなたの子孫が長久なること、この水流のごとくあるでしょう」と仰ったというのです。
そして驚くべきことに、この大聖人様の文永11年の御本尊様は24代のその当主が代々お守りし、法華講に縁のある方がお持ちなのです。その大聖人様のお言葉が本当であったかのように。。
凄い事です。
名前も大聖人様に付けらえた名前を継がれているということですから、本当に感動です。

令和5年8月19日(土)

久しぶりの夜間作業でした。
この年になると、あまり夜間帯は無い状況だったのですが、仕事環境が良いのか悪いのか、たまにこのような日中・平日以外の作業が入ります。
仕事があるのは有難いです。

今日はシフト勤務でしたが朝、長女の部活を送り出してから唱題を終え、少し睡眠を取らせて頂いたので、ミッドナイトなのに目が冴えてます。笑

明日は明日(日が変わったので今日ですが)で、朝から長女の部活の練習会場への送迎があり早く、午後は班座談会もあり、少し多忙です。
今日も、早く寝たいのですが、まだ少し寝れません。

自分の忙しい事も有難く、また今の自分の境界や、周りの色々な同志の状況を観ても、皆功徳を頂いてる結果かと感じます。
唱題しながら深く色々な事を考える事もあり、しかし気が付いたらウトウト寝ていたりして、まだまだ修行が足りません。

暑さはまだまだ続くみたいですね、頑張ります。

令和5年8月16日(水)

日曜日には、雨に邪魔され街頭折伏が途切れてしまったので、埼玉南部のO班長に少しお時間を頂き、喫茶店で話をすることが出来ました。

昔の法道院のことや、O班長さんの家系上の信心史についても色々お聴きして、感激です。
信心は、有難いです。

久しぶりに学会の叔母に破折を加えました。 偽造写真は駄目ですよ。もう52年路線の北条文書で学会は分離独立を画策していた。そこまで言うならニセ本尊に真剣に祈ってみればよいです、と。
最後は、まだ暑いので身体には気を付けてください、と伝えました。

一闡提人は、現証が出ないとは本当で、地域の幹部だったこの叔母には何も現証はなく、叔父は大きな現証もらってます。

別の話ですが、正信会不法占拠の寺院は、一ヶ寺ずつ帰ってきます。その度に我ら喜びが溢れます。
古刹も帰りつつあり、宗門史に残る大寺院も帰ることになります、少し楽しみです。

唱題の一行、折伏の一声がきっとこれらの喜びに繋がります。

仕事は多忙で、今日も機械室で作業だったり、週末は夜間帯タスクもありますが、この有難い境界を愚痴を言うことなく、頑張りたいです。

令和5年8月12日(土)

今日は御逮夜御講に参詣させて頂きました。

前からの計画で、毎月御逮夜御講に参詣する我が班の女子部員さんに、m企画部長のところの女子部員さんが会ってくれるとの話で、

縁ある青年部員さん二人も協力してくれて、ギリギリ二人を会わせることが出来ました。よかったです。

明日ももちろん、御講に参詣させて頂きます。

我が家では、長女が県大会で破れた事、以外にも、自分の成績のことで落ち込んでいるのですが、成績を伸ばしたいと本気で思っているみたいで、この長女の悩みは親としては嬉しいことです。
やはり、色々な意味で、昨日の県大会銀賞は功徳です。

何故、県大会の日に、長女が自分の成績を伸ばしたいと決意したのかは、話が複雑なので、割愛させて頂きます。笑

令和5年8月11日(金)

今日の騒がしい一日が無事に終わりました。
朝の唱題からお寺に参詣させて頂きましたが、y御尊師からこのようなお話を頂きました。
「皆さんには功徳の体験がありますが、罰の体験もあると思います。
その罰の体験は、体験発表としてはナカナカ聴くことが出来ませんが、我等の人生に於いて、特にこの罰の体験が根幹をなして、生かされる事があると思うのです。このような体験を大事にしたいものです。(趣意)」

このお話は、御指導の一部ですが心に突き刺さりました。
そしてこの話が、この、今日の日に不思議な長女の体験と合致することになります。

その後、地区の10時間唱題にて導師もさせて頂きました。

班の活動日で、顕正会に戻ってしまった可能性のある方のところへ家庭訪問へ行かせて頂きました。
有難くも本人にお会いでき、色々話ができました。顕正会は大嫌いで、再度の入会はしていないようです。
しかし日蓮正宗の信心も信仰していきたいとは思わない状況のようでした。
「正しい信心を実践すれば、功徳が頂ける」ことを自分の体験からお話しました。

また会っていただけるそうです。

長女の部活動の夏の大会ですが、2点差で散ってしまいました。
昨年は東日本でテレビ放映があったのですが、今年はその夢が消え去ってしまいました。
長女にとっては、とても貴重な体験となりました。
なぜ、負けたのか。それも2点差で県代表になれなかった。
「どうしてこのような結果になったのか、御本尊様に唱題しながら、お聴きしなさい」
と伝えました。

きっとすべてに意味があると思うのです。
そして、この悔しい思いが、これからの人生のバネになり、また「今日の体験は功徳でもある」、と伝えました。

少し親としても残念ですが、親としても忘れない体験となりました。