Cafe'd Minaike113(法華講員コミュニティサイト)

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店長日記

令和6年10月31日(木)

「九思一言」とは深い御金言で、なかなか9回考え行動する事ができません。
九思一行、九思一書も、もちろん出来てないですね。この日記もあとで修正することがあります。笑

聖僧への供養は大きいですね。
今回の御入仏式での御僧侶へのお昼は、功徳が大きく仕事も順調で、日々心持ちが穏やかです。
御報恩で折伏に展開しなければと思います。

色々食事というと遠慮される御僧侶が多いのですが、御一緒する機会があれば自己の罪障消滅の為にも沢山お召し上がりいただきたいです。
自分も漬け丼を傍らで頂きました。この味は暫く忘れません。

お釈迦様の時代もそうだったのです。
自己の罪障消滅、先祖供養のために御僧侶に施していたのです。
この法則は3000年経とうが、1万年経とうが変わりません。

先日の幹部会では、御尊師より「御会式」についての甚深な内容の話がありました。
邪宗は悲しいぐらいに罪障を積んでます。不幸がすぐ溢れ出ていて可哀そうです。
信じて、功徳を頂いたので、行動に移していきたいです。

会社の人が言いました。
「政治家が悪いのではない。日本国民、みなが悪い。日本の為に1日5分考える時間を作ったら、日本はよくなる。」と。
とても良い世間的な意見に思えました。

令和6年10月21日(月)

昨日は、班の方で御本尊下付が叶ったので、御入仏式のご僧侶の御供をさせて頂きました。

立川市だったのですが、自分の生まれ故郷であり、また住んだことのある地域だったので、少し懐かしかったです。

御本尊様が入られて、これこそ、広布が少し進んだと実感します。

少し話は戻りますが、春の回経の時に、ご僧侶と回らせて頂き、お昼をファミレスで恐縮ですが、御一緒させて頂きました。

この時に、御僧侶は、好きな食事についてお聴きすると、あるメニューを仰ったのですが、自分はご僧侶の食事を「並」で、頼んでしまい、暫く後悔してました。

今回の御入仏式は御尊師と組長から聴いていたのですが、違い、(朝の唱題中に御尊師にお声かけし、確認してしまいました汗)
春の時の、この御僧侶だったので、ここぞとばかりに今度は「うなぎ特盛」を御僧侶へ注文させて頂きました。
やっと念願叶いました。笑

ご僧侶に食事を御一緒させて頂く、大果報に心より有りがたく思います。

お寺に戻ってからの幹部会は、正直とても眠かったのですが、耳にはいるご法門を、とにかくメモしました。あとでしっかり確認します。

11月は怒涛の仕事が始まるのですが、今日は夜、リモートで打ち合わせがありましたが、この仕事の難局も、準備と、また基本は真剣な勤行と御題目で乗り越えます!

選挙は予想とおりで、与野党逆転しましたね。
公明は党首落選と、常勝大阪が全敗ですよ。
大阪は、見事に全ての選挙区で維新が勝ったのです。
比例の得票数は120万票減り、信者にすると100万人ぐらい減ったことになりますでしうか。

組織として機能していないことが、露呈してしまいました。。

令和6年10月26日(土)

今日は二つの嬉しいことがありました。 ひとつは、我が家の仏壇の位置を、1段少し高く出来たことです。
これには、業者を呼んで移動しようかとも考えていたのですが、家族の力、総力で移動できたのです。
次女も手伝ってくれました。自称怪力みたいです笑
さすが、応援団長笑
私の腰も問題ないです笑

もうひとつが、自宅で仕事の時に使用している、二台目のディスプレイが、元のパソコンOSの定期更新(Windowsアップデート)をしたら、反応しなくなっていまいました。
何とか執念でw使えるようになりました。

長女の学校内の合唱祭練習を少し観れたのですが、懐かしい「大地讃頌」でした。自分も中学のときに唄った思い出があります。

明日も良いことがあると嬉しいですね。笑

令和6年10月22日(木)

昔「池中弦太80キロ」西田敏行さんのドラマありましてね。
若い方は知らないかと思いますが、調べたら自分が小学校二年生で、今の我が家の三女と同じ年齢の時のドラマでした。

今は、自分のスマホとかで好きな動画とか、子供達はみてますが、当時はひとつのテレビに家族が集まって、ひとつのドラマやバラエティーを観てました。

あの時は家族でひとつの思い出が作れていたのかも知れず、テレビの画像は今からすると粗いのかも知れませんが、とても良いドラマが多かったです。

意外に内容やドラマの挿入歌も覚えているものです。

法華講の先達で、日本屈指の料理人の方が、いて、料理長されてますが、その方は西田さんと知り合い(お客様)だったそうで、西田さんから戴いたネクタイなんかもあるそうです。

我が母方の叔父も(全く自慢してはいないのですが)西田さんと西遊記で共演していたので(叔父は脇役)さぞかし悲しさは倍増かと思います。

これほどまでに皆に悲しまれて旅立つ人は、世法では少ないかも知れません。

政治は大きな転換期に差し掛かっており、政権交代かもなんて話がありますが、世の中の動きに惑わされる事なく進んでいきたいです。

しかし、魔群は35年もの間、大石寺を御法主上人を苦しませ、法華講に迫害を加えて来たのですから、現証が出るでしょう。

魔群は、組織で止まらない同士討ちが始まっており、会長向けの非難や、逆に、組織が会員に圧力かけているのですから、凄い状況です。

ご宗門へ誹謗の先駆者が、今は創価内部へ矛先変えてます。

公明と創価も一枚岩でなくなり、組織票基盤が崩れているのですから、存続危ういです。
まぁ傍観しておきます。 フレンド票を、獲得したように見えて、実は投票してない人が多いみたいです笑

世の中が早く良くなる為に、政治も代わると良いです。
れいわは、良いこと言ってますね。

令和6年10月17日(木)

昨日の僧俗指導会では沢山メモを取りました。今日はそのメモを再度確認しておりました。
あとは実践です。年末にかけて、子供関係の縁ある対象者にも信心の話を進めていきたいです。

年末にかけて、仕事では2つ(変更作業と管理業務)、長女関連で1つ(大会の動画編集とインターネット上への更新作業)、信心では2つ(折伏と、発表のお役)と、合計5つの大きな課題があるのですが、その長女の課題がやっと終わりました。

学校の先生のチェックも終わり、部活関係、御父兄へ動画の配信が今日なされます。

次女の運動会で写真撮影があるのですが、こちらは個人的なものなので、楽しく撮影して参ります。もうすぐです。

先日、東央地区の大先達と話をする機会がありました。
カメラでの撮影について秘伝を御教示頂きました。
まだ一眼レフ初心者にはとても心に響く内容でした。
人の素敵な表情を、これから撮っていきたいと思います。

令和6年10月11日(金)

今日は、大聖人様御一行が我が家の前を通られたと云われている日です。想像するに午前中ではないかと思っております。
昨日は、壮年部唱題会に参加させて頂きました。
御尊師からは、京都近くの但馬で、積雪時の家庭訪問された法華講の方がおり、それがきっかけで発心した例を引かれ、活動家は暑い日も寒い日も活動しているのであって、城北地区長の言葉から、気候が悪い時こそ信心のチャンスであること。又、大法道院展の人材を大事にすることと、御会式までの目標をそれぞれ立てるように促されました。

埼玉南部のO班長の体験発表、良かったですね。自身が仏にならないで、我が父母は救われず、赤の他人などにおいては言うまでもなく救えないとの御金言を引かれ、折伏のちょっとしたコツと我らの活動のレベルに合わせた分かりやすいお話でした。
埼玉南部は本当に折伏が進んでいて、前の地区長からの善い流れを受け継がれて現地区長が活動されてます。

壮年部長の挨拶、ゆっくりした口調で独特です。お孫さんがお生まれみたいで、今度魚釣りの話も含めて聞いてみたいです。

令和6年10月9日(水)

日曜日は地区・班の打ち合わせの後、恩師の祥月命日でしたので、念願叶いやっと祥月命日にお塔婆をあげさせて頂きました。
御恩返しをしなければとずっと思っておりました。

この後、班の方への家庭訪問をさせて頂きました。会えなかったのですが、少し退転状態の方なので御病気など少し心配です。

11月の仕事の予定がハードで、土曜日に仕事・夜間帯作業が3週連続で入ってしまい、登山が行けない状態です。また支部登山は次女、三女が学校登校も重なっております。
その分、妻と長女にお山で功徳を積んできてもらいます。

いきなり国政選挙前となり、町が騒がしですが、悪は滅び、良い政治が少しずつ確立されることを祈りたいです。

祖母が自分に教えてくれたことのひとつに、御本尊様への御給仕のご飯の盛り方があります。 子供ながらに一生懸命、ご飯を持って祖母に見せると、「それではダメ」と云われました。 もう一度、ご飯を一生懸命丸く盛ると、「それもダメ」と云われたことを覚えております。
どこから見ても、綺麗にご飯を丸く盛る方法を祖母から教えてもらい、実施しております。

母の料理で美味しかった料理は?と聞かれたら、「手作りのとんかつ」と答えると思います。 まぁ包丁でトントン叩いて、小麦粉、卵、パン粉でカラメルだけなのですが、母の料理を横でずっと見ていた自分は、母の料理のお肉の柔らかさを再現できます。
それらの料理を子供達に少しふるまえます。
最近は、信者さんで先輩なのですが、料理の達人(プロ)がいるので、ちょっとしたおいしさのコツを教えてもらっております。

御主管から手渡しで、3年連続折伏の時に頂いたお念珠ですが、一度使いすぎて切れてしまい、修理、開眼しなおしたのですが、またしばらく時間がたっております。
来年早々の自分の誕生日に、このお念珠を水晶の半装束に代えようと思っております。つまり、親玉と四菩薩、しずくを水晶に代えます。
ちょっと楽しみです。宝物です。

令和6年10月5日(土)

長女が平日夜に塾に通っておりますが、自分の中学の時のことを思い出しておりました。
塾の有った久米川までは、実家からは田舎道と、自転車道路を走らせてました。
この道は浄水所や川があり、今は綺麗になったその川には魚釣りをしている人がいます。
この自転車道路は、母の病院や、地区の拠点への導線でした。

先日の壮年部の座談会の時に、この久米川に行ったのですが、懐かしく・・
昔からの地区先輩と久米川駅まで歩きました。
よく、この駅からお寺への行きました。また母が叔母と長話していた喫茶店も不動産屋になってました。笑
もう半世紀近くなるのです。。時が経つのは早すぎます。

次女、三女の運動会が10月にあるのですが、次女が応援団長に選ばれているので、カメラの調整を今日はしておりました。
自動のフォーカス機能ではなく、手動のマニュアルフォーカスを使用するので、ちょっとカメラ慣れが必要です。

釈尊は、最後の説法で、物は移り替わり変化していくが、正しい道を正しく進むように話をされたそうです。
物の変化に驚くこともありますが、また今日から明日も進んでいきます。

令和6年10月3日(木)

あっという間に半月が経ってしまいました。
支部登山では、先日入信された方も登山され、またお山でしか会えない同志にも会う事ができました。
時が経つと、色々変化があるものですね。
それにしても育成は大変です。

昨日は、半休を頂き、地域の小学6年生だけが集まる運動会へ次女を応援に行って参りました。
児童がリレーで走る姿にも元気をもらいました。運動会は全体的に懐かしい感じがしました。
自分もあのように必死にバトンを渡すときを思い出しておりました。

小学校自体の運動会も今月あるのですが、それまでには中古で買った一眼レフが届きます。
マニュアルフォーカスに慣れなければと思います。
少し楽しみです。

所属会社や、現場でも、仕事でやらなければならないことは沢山あるのですが、焦らず1つひとつ整理して進めていきたいと思います。

その合間に子供達の運動会など、応援に行きます。

令和6年9月19日(木)

今日は午後から仕事で夜間帯までのシフト勤務です。夜は寝る事はできます。笑
先日、御主管と親しくお話させて頂く機会がありました。
長女の部活での活躍を喜んで下さっております。

大法道院展では、お寺にはお連れできなかったものの、対象者の方と新宿で会い話が出来ました。人には、表に出ない不幸な出来事が沢山あるようです。
大法道院展期間中、先日折伏された方も、お寺へ参詣出来ました。

昨日、破折の情報を収集していたら、日顕上人へ創価の離脱僧がお目通りの時に誹謗中傷を直接行った時の再現ビデオがありました。

どうやら創価が作成していた昔のビデオのようでした。
似ている役者を使い、その再現はとてもリアルで、このような誹謗を受けられた日顕上人や当時の御能化、御尊師方の御心の傷みはいかほどかと思いました。
同時に。。
このような誹謗をした大の中の大罪の恐ろしさは計り知れず。。我が家もその時は雷雲がやってきて雨が降り出しました。天の怒りと悲しみが伝わって来そうです。

離脱僧の、その後に出た現証は目も当てられません。
もっと怖いのは、現世で現証が出ない一闡提人です。

登山が近づいて来ております。
来週にかけて、色々準備をしなければなりません。

令和6年9月12日(木)

今週は仕事で障害があり、家族から胃腸炎をもらってしまい、久しぶりに冷や汗ものでした。
やっと今日になって、お腹も落ち着きましたが若干傷みが。。
今日は壮年部唱題会なので、這ってでも行かなければと思います。w
信心がブレてなかったか再点検です。

秋でも残暑が厳しく、今日は本当に干上がりそうです。
自分が青年期には、こんなに秋は暑くなかったと思います。
実家は川添いで田舎ですが、それほど所沢と気候は変わらないはずです。。隣町。

昨日、自分の晩年の仕事について、自分らしい?方向性が見つかりました。

令和6年9月10日(火)

先日、カレー屋さんの折伏に行ってきました。

お店には、大きなモニターに、日本の一昔前を思わせるネパールの歌番組が流れており、じっくり観てしまいました。

ネパールの人気歌手か何かも出て、審査員している感じの、素人さんが歌の上手さを競うもののようです。
言葉は、わかりません。笑 しかし、歌はアジアン風の嫌いではないメロディです。

折伏対象者は、一週間に一度しかお休みがなく、お寺には行けないとの話でした。

長女の部活での、1つ目のコンクルールの挑戦は、全国大会を前に破れてしまいました。
少し残念ですが、あと1つのタイトルを全力で戦ってもらい、終わったら、早く受験生モードになってもらいたいです。
先日折伏した青年が、日曜の御講と青年部会に参加してくれました。
彼は、
国立戒壇の文証は、どこにも無い
と、確信もって話してました。

令和6年9月5日(木)

御主管のお話のように、此処所沢も例に漏れず、涼しい夕刻が爽やかで、そのそよ風の中、夕勤行をさせて頂いております。
今週はとても今日までが早く時間が過ぎました。

年末は、少し多忙な仕事が待っておりますが、秋の大法道院展等、折伏・育成の機会に大きな功徳を積んで、仕事も乗り越えたいと思います。

理の仏法ではなく、事の仏法だぞといつも教えられますが、実際に目の前に事実として起こる信心・生活での実相は生きていて、我らの功徳として顕れます。

以前にカレー屋で知り合いとなったネパールの方から、いきなり連絡が来ました。
返信をしたのですが、御祈念願いを出している方なので、もしかしたら何か変化があるのかも知れません。早くお店に行かなければと思っております。

いよいよ長女の関東甲信越コンクールが迫って来ております。
諸々準備をしていきたいと思っております。

令和6年8月28日(水)

怒涛の子供たちの夏休みが終わります。
在宅勤務中は、子供たち対応が結構大変です。顔を見ると子供たちは、いつもお腹すいたと言っておりました。笑

今日は仕事でプレゼンが無事に終わりほっとしております。
しかし、このプレゼンを具現化しなければならないので、また大変です。

先日、静岡の輸送班時代の先輩と長電話してしまいました。
お互いの近況の情報交換をしております。

昨日(松葉ヶ谷法難の日8/27)、朝お寺に参詣させて頂いたタイミングですが、御開眼の御本尊様でしょうか、本堂に掲げられておりました。
本堂の一番前まで行って、拝見してしまいました。
本当に日如上人の御本尊様は凄いです。
はじめてご当代上人の板常住御本尊様を拝見しました。
ずっと拝したかったです。
この日に拝したことは意義深いです。

鎌倉の法難の当時は、法難の後、海を渡り富木常忍殿の屋敷へ暫く滞在なされることになります。
どんな状況か、想像がつきません。百日の御説法があったというのは事実なのでしょうか。

今日は先日勧誡を受けられた方をメッセージのやり取りをしておりました。
顕正会がニセ本尊を作っているという決定的な確信を持ってもらうために親戚で、日寛上人のお形木御本尊(昭和40年代に御下附)をお持ちしている、叔母のところへ二人で行く計画を立てました。

その勧誡うけられた方は、顕正会の本尊を見てきているので、大きさが違うとすぐ分かるとおもうと言っておりました。

今日は地区のリモート唱題の導師を30分させて頂いたのですが、長女も中等部のリモート唱題で、導師をさせて頂いておりました。

親子共々功徳頂いております。

令和6年8月25日(日)

今日は次女と三女が講中の折伏の日に、少年部員として受付など奉仕活動をさせて頂き、功徳を頂きました。
この年齢から身の供養で功徳を頂く果報は有難いです。
今日は、長女の新聞社主催のコンクールに出場しました。
前回の某局主催とは別なのですが、今日のコンクールでも関東大会出場が決まりました。
夏の2大会に、両方関東に駒を進めております。

白子の先輩に、長女の部活が多忙で、長女の受験が心配であることを伝えると、1つの事を頑張れる人は、2つでも3つでも頑張る事ができるとの、昔の御指導を再度教えてくれました。有難い慈悲の言葉です。

毎週日曜日の、地区のミーティングでは、各班の活動が聴け、刺激になると同時に異体同心の心が芽生えます。
今日は長女や部活の生徒たちから沢山元気をもらったので、またこれは功徳なので、御報恩の為に明日からまた一週間、頑張ります。

令和6年8月23日(金)

今週は夜は少し涼しくなりました。しかし、本当に長い一週間でした。
なかなか週末が来ないという今週でした。
所属する会社での管理の作業と、現場でのタスクに挟まれて、バランスと時間のやりとりが大変でした。

顕正会の破折を引き続き深めており、先日折伏した同志にも「国立戒壇」について、もう少し深く切り込んで聞いており、折伏に活かしたいと思っております。
再度、昔の破折本を読みかえしておりました。

今日は夢で、本行寺の輸送班の時の大先輩が出てきて「お前、髪ぼさぼさだな」と云われました。笑
週末に丁度、髪を切る予定です。汗

大聖人様の御本尊様の御題目の御文字に、「南」という御文字なのですが、中が「半」になっている御本尊様が何体かあります。

我が家の日如上人のお形木御本尊様も同じ御文字です。
ご相伝なので、深い意味が全くわかりませんが、本当に凄いです。
その他、旧字体が沢山あるので、凄く日如上人の御文字が(表現が難しいですが)大好きです。

令和6年8月19日(月)

昨日の幹部会では、お元気な御主管のお姿を拝し、心穏やかに先日入信した同志と共に参加しておりました。
一国、世界が妙法に照らされて広宣流布する日が必ず来ることを御指導くださいました。

少し時間が経ってしまいましたが、先週月曜日の祝日に開催された、「夕涼みの法話会」はリモート参加させて頂いたのですが、今回の幹部会ももちろんそうですが、本当に参加させて頂き、拝聴できてよかったです。

台湾の御尊師からメッセージを頂きました。
講員数は千世帯という大きな寺院の御住職様です。
台湾で命がけでお寺と信徒を護られていることは想像することが出来ない、大変な心労があると拝察します。
謹んで台湾広布と平和を願っていきたいです。

昨日、豊島中央の竜門会時代の後輩からお声かけいただき、「いつも見てますよ。8/10まで更新されていましたよね。」と嬉しい話を頂きました。
彼は顕正会の班長クラスも折伏されたのですが、その時自分も応援させて頂いたことを、時々思い出しておりました。

また今回、私の折伏した日に、同日に彼は折伏成就されておりました。
継続して折伏を上げている姿は見習いたいと思います。

妙法の剣は、鬼に金棒というのですから、もともと鬼は強いのに金棒を持たせたら百人力だというお話を昔お寺で拝聴しました。
我らが人生。。。。怖いものなしです。

令和6年8月10日(土)

8/8の壮年部唱題会では、御尊師より「言行一致」の信行について御指導頂きました。
今週、来月の言行一致のスケジュールを立てるように、とのお話があり、手帳に信心の予定を追加記載していきます。

奉安堂御開扉前の御法主上人から御尊師方への御指導は、「折伏やってますか。」という旨の御指南を常々されるそうです。
御尊師からは、目の前に御法主上人がいらっしゃり、「折伏やってますか」と直々の御指南を自分に頂いていると、このように想像して日々信行に励むように御指導でした。

富士山頂上の八葉蓮華には昔仏教にちなむ名前が付けられていたそうです。
富士山には仏教にちなむ、色々な歴史があるそうです。

須弥山に近づく鳥のように、金色に輝く折伏活動を促されました。

我が家では、今週、長女が部活で予選を突破しました。
本選でも大勝利に輝き県代表になりました。
部活の副部長として、大会場で金のトロフィーを渡される功徳を頂きました。
メディアでも映像が流れる事になります。

これも信心の功徳の実証であり、長女には御本尊様の御力で、この結果が出たことを伝えました。
自分も専属カメラマンとして、大会場での撮影準備と撮影。また会場でYouTubeへ上げるための動画編集をしておりました。
この中で、御父兄と生徒とも、多くの交流があるのですが、その御父兄の中で信心の対象者もおり、また一人追加で下種先が増えました。
昨日は、少しお寺の話ができました。

何をしていても、折伏をいつも忘れず意識しながら、日々折伏のチャンスをつかんでいきます。

令和6年8月5日(月)

先日の幹部会で、御主管より御僧侶と信徒が異体同心して、広宣流布を進めていく大事をご指導下さいました。詳細は書けません。

大阪夏の陣
とありますが、長女に夏こそ、受験で大事な時期だということを伝えました。 長女も本腰が入りつつあります。

実はこの夏。長女は部活でも最後の夏の陣で、大変な勝負が待っております。

父兄も臨戦態勢で、子供たちは、関東甲信越、全国を目指します!

信心はもっと大事な夏の陣が始まります。 先日家庭訪問帰りに、コンビニ店員でネパールの対象者が増えました。 二人目折伏成就にむけて、始動し始めました。

令和6年8月2日(金)

先日「法蓮抄」の御金言に触れた時に、青年部時代の家庭訪問を思い出しました。
その家庭訪問先は、曽谷殿の屋敷跡からすぐのところにありました。
曽谷殿の屋敷跡は、高いところにある印象でした。
おそらく、少し見晴らしはよいのだと思います。

その近辺は曽谷城跡もあり、この辺りに昔、御在世の信徒が居たと思うと感慨深く帰宅したのを覚えております。
もう、夜の家庭訪問だったので、周りの景色はあまり見れませんでしたが、今日は昼休みの時間にGoogleMapで、その曽谷殿屋敷付近を観ておりました。

令和6年7月31日(水)

我が家のご宝前の金蓮華も、何故か暑そうにみえます。

昨日は在宅勤務だったのですが、夏休みの三女と、自分の休み時間に、玄関前の睡蓮バチにいるメダカにエサをやっていたのですが、痩せているメダカが居ました。 心配になって、二人で少し多めにエサを与えたらガッツイテいたので、ただの夏バテかも知れないな、と三女と会話してました。笑

新幹線乗り換えや、私鉄の乗り入れる駅には、国内外の夏休みの方々が溢れております。

それにしても、酷暑すぎて、干上がってしまいます。
過去120年遡っても無い暑さで、数値を更新したようです。
毎年、暑さを更新していくような感じがして、カーボンニュートラルなど、地球に優しい活動が望まれるところです。

先日の地区合同壮年部座談会では、お所化さんより、豊臣秀吉の話がありました。
全国統一を成した、豊臣秀吉は、城を守る百姓に、生活を護る政治を行い、又百姓は恩を返す形で、城を護ったそうです。
その城と民は、心で繋がっており、その心の絆は強く、他国はその城をなかなか、破ることが出来なかったそうです。
四条金吾へ与えられた崇峻天皇御書を引かれ、振る舞いが大事であり、叉折伏も、同じ精神で絆が大事であることを教えて頂きました。
とてもよいお話を聞きました。

中華の歴史を描いた戦国の映画では、武将同士が一対一で戦い、負けたほうは、戦意喪失して敗走していきます。
戦いは終わります。

いくつか邪宗の大将軍が居なくなった今、敗走する魔群は哀れです。

令和6年7月28日(日)

今日は朝、妻と次女を総本山への出発を見送り、長女と三女を連れてそのまま鼓笛隊練習にて電車で、お寺へ向かいました。

お寺では色々な方に折伏成就のお祝いの言葉を頂きました。皆さま、ありがとうございます。

2時間の唱題が完了した後、広布唱題会の御祈念願いなど終わった後、壮年部座談会に参加させて頂きました。

壮年部座談会の進行役である、t班長は、話が長そうな人への切り方が上手くてw絶妙に思います、凄いです。時間通りにほぼ終わる感じです。

この後、父に会いに地元に戻ったのですが、Lineが来て先日折伏した方がお寺に参詣できるとのことで、父の話を(自分も)丁度良くまとめて、又お寺に戻ることにしました。
元々、鼓笛隊が終わったタイミングでお寺に戻る予定だったのですが、今日がこんなにスケジュールが詰まっているとは思ってませんでした。

この父に会いに行く電車の道中、「寺泊御書」にある、久目河宿付近を線路が通っているのですが、実は所沢に残る、大聖人様が御本尊様(法華講のご親族が今も授持)をおしたためになったと云われている付近も通ります。

実は東村山⇔所沢間は、とても贅沢な、御足跡を眺められる電車の車窓なのです。

柳瀬川は昔「久目河」と呼ばれ、この久目河の水を汲んで、大聖人様が御本尊様をおしたためになったという付近を通ります。
この季節は、木々が多く、この柳瀬川付近はあまり見れませんでした。

柳瀬川が見える場所で、この(柳瀬川の)水流の如く子孫が繁栄するでしょうと言ってお渡しくださった御本尊様とはどのような御本尊様だったのかと想像するのです。

話少し飛びますが、輸送班時代に、総坊の1階の輸送班で朝の勤行をしたとき、御本尊様は紙幅の御本尊様で、少し大きめの仏壇でした。
{きっと御在世当時、信徒が拝していた御本尊様はこんな感じだったのかも}と感じたことがありました。
総1坊1階の御本尊様の勤行が好きでした。

あと、もっと話がそれますが、今日の少年部大会の会場ともなっていたそうですが、大講堂の万年救護の板常住御本尊様は、輸送班時代に夜中に近くで朝勤行をしたときに、御文字を彫られていない箇所がザラザラしている感じで、{これが鎌倉時代のチョウナで彫った(削った)物かも}と勝手に想像していたことがありました。
ちょっと近代の板御本尊様とは違う感じがします。(なかなか自分は間近で拝見することは少ないです。)

(戻ります。)
今日はこの久目河の御足跡を一瞬眺めながらお寺に戻りました。
折伏した同志が来てくれ、一斉折伏の最初の唱題と御尊師のお話を拝聴することができました。長女と三女にも、紹介することが出来ました。

今後、一緒に実際に街頭に折伏に出たいです。

今夜は地区のミーティングがあり、地区長を中心に、有意義な情報交換ができました。
信心の全てに功徳を感じます。

令和6年7月25日(木)

次女が水泳で25メートルを泳げた!という報告をしてくれました。

今まで、いつも水泳の時は憂鬱の顔をしていた次女を、いつも心配しておりました。
自分の小学校の時の事を思い出しておりました。

25メートル泳げるまで、夏の水泳は続くようで、早く水泳が楽しくなるように御本尊様に願っておりました。
御本尊様には諸尊に「大龍王」がおしたためなので、{どうぞ、水泳を次女に教えて下さい}と朝の唱題で祈っておりました。

そうするとどうでしょう。先生が泳ぎ方を次女に丁寧に教えてくれたみたいでした。諸天が顕れた思いです。大龍王が先生に成り代わって次女に泳ぎ方を教えてくれたと、少しだけ感動してしまいました。
これからきっと、水泳が楽しくなる時間が増えると思っております。

昔、地区の先達に「なんでも、御本尊様に祈っていいんだよ。それで叶えば、それも実証で、御本尊様の御力は凄いと感じれる。これも体験だ!」と教えてくれたことがありました。

令和6年7月23日(火)

日曜日に、念願の友人への勧誡が成就しました。 元、顕正会の方です。

その方の折伏には、四年かかりました。参詣回数は、私が立ち合ったのは10回に及びます。
御主管への御祈念願い。御尊師の直接の折伏。

講頭、幹事方にまで応援、激励頂き、地区や地区を越えた皆さんの折伏。
先輩、同志の日々の励ましも含め、どれ欠けても成就しませんでした。

私個人的には、約七年近くも折伏成就から遠退いてました。

これから育成に頑張ります。

令和6年7月20日(土)

今日は自宅PCのバッテリーを交換したので、機器が生き返りました。
本当に嬉しいです。

今日も暑かったですね。
長女は本山から元気に帰宅し、勤行後、御宝前でそのまま寝てました。
深く寝ていたのですが起こして今就寝準備しているみたいです。
きっと良い登山だったのではないでしょうか。明日以降色々聴かなくてもずっと喋っていると思います。

明日は又色々信心で踏ん張りどころなので、頑張ります!

令和6年7月19日(金)

今日は我が班の回経で、御僧侶の謹んでの付き添い(運転手)として、班を回らせて頂きました。
もったいなくも少し親しくお話頂き、普段お聴きできない大学でのお話や御両親の話までお聞きすることが出来ました。
やっぱり自分には御僧侶の修行は遠く及びません。

心元気に帰宅したのですが、明日は長女の総本山への研修会で、さっそく行かせまいという魔が生じておりました。
明日は、長女にとって本当に良い登山になる前兆かと思います。
白子の同志が運転手をして下さるとのことで、我が娘も載せて頂けます。

令和6年7月16日(火)

今日は立正安国論の善き日ですね。
月は違いますが、大聖人様御聖誕の16日を選ばれたことに深い意味があるのでしょうか。感慨深いです。

先日週末に、元顕正会員の横浜の御自宅へ家庭訪問へ行くことが出来ました。
大きな駅だったのですが、降りると、バスターミナルが密集していて9番(9か所程度)のバス乗り場がありました。

初めての市営バスは、前乗りか後ろ乗りか、又前払い、後払いなど分からなかったので笑
ちょっとスマホのネットで検索しながら乗り場に行くのですが、ちょっとオドオド感が出ていて、{埼玉県民ということがばれてしまう・・笑}という感じでバスに乗り込みました。

横浜のこの地域は初めてで、住宅のあるところはアップダウンが多く、とても関東平野に住む埼玉県民にとってはとても新鮮でした。
この訪問先の方に聴くと、自転車はあり得ない交通手段だそうで、その会話の傍らをミニバイクが通っていきました。

少し高台のこの集合住宅の高い階より外を見ながら、信心の話をしておりました。
この場所にも御本尊様を早く安置したいと思いました。

日曜日の盂蘭盆会では、懇ろに御尊師に先祖供養のお塔婆回向をしていただきました。

納骨堂でのお経に子供と共に参加しましたが、この屋外で三具足がある前に御尊師がいて、我ら信徒が後ろでお経を唱える姿は、まるで鎌倉の雨ごいをしている大聖人様の後ろでお経をあげているかのような感覚です。
いつも不思議な感覚です。
 

令和6年7月12日(金)

昨日の壮年部唱題会御指導では、国際メンバー大会まで一人ひとりが立ち上がって成功への動きをすること。
総本山で実施されている7月度の唱題行について話され、我らも僧俗一致、異体同心の唱題をしていく後半戦であることを願われておられました。

一人一人が大聖人様からの使命を頂いているそうです。
「歳月人を待たず」

との言葉は深く、今年の前半戦があっという間であったことを自分自身も確認しました。

また昨日は別途、日蓮正宗の化儀について御教示頂く機会があり、御本尊様の護持という点から、古い御信者の御本尊様の傷みや汚れを修復する表装願いや、今は煙の少ないお線香やLED証明などもあり、昔ほど表面が汚れる事も少なくなったが、大事に代々まで何年、何百年も御本尊様をお持ちすることが大事であることを御指導頂きました。

令和6年7月9日(火)

今日は不思議と二人の方から連絡があり、輸送班時代の先輩と、あと同期の支部の方と、メッセージ又電話での会話をしておりました。
25年ぐらいのお付き合いのなる信心の大事な方々です。

信心をしていて、輸送班時代の青年期での活動は一生の宝物です。
全国に諸先輩方、同志・後輩が沢山おり、又一生これからも激励頂き、叱咤しあうと思うと、今世だけでなく、三世に渡る縁がある方々と思います。

自分が元気な時も、また落ちている時も一緒に歩いてくれる信心の縁を大事にしていきたいです。

灼熱の太陽が、今日は少しだけ曇りで、和らいでますが、まだ夏が始まったばかりの7月で梅雨も明けてないのに、8月、9月と天気は、気温は、どうなってしまうのか心配です。

これから100年後の地球は、平均気温が4度も上がってしまうらしく、地球規模での温暖化対策やカーボンニュートラル運動が必要な時期であると確信します。
ロシアや中国なども含めた大国が、地球を考えて行動すれば、地球の未来は変える事ができるそうです。

令和6年7月8日(月)

日蓮宗の薄汚い寺院、その僧とは比べようもありませんが、我が寺院での御主管、御尊師のお姿はどこまでも清らかです。本当に有難く思います。
日曜日の広布唱題会では、御尊師の気迫・確信に圧倒されました。

善き旦那であるべく、今週は自分の対象者で、元顕正会の方のところへ家庭訪問へ行くことができます。
謗法物が無いか確認で行って参ります。

今日は大聖人様が佐渡で御本尊様を御図顕遊ばされた日と一般的に云われております。
その佐渡の足跡の地は、火事で跡形もなく建物が焼けてしまいました。

田舎にある御足跡は、比較的鎌倉時代からずっと山野、田畑の様子が変わっていないところがあって、この佐渡の地も、昔と変わらない風景が残っているところだったので、少し残念です。

しかし、我が日蓮正宗には、その大聖人様の心が脈々と伝わっていることを有難く思います。

令和6年7月5日(金)

スマホを手に取って、{あれ、何するんだっけ・・?}と。
また、Googleを開いて{調べるものなんだっけ・・汗}。
また、台所へ行って、{何しに来たんだっけ?笑}
と、そんな事が多くなってきました。笑

昨日のこの日記でも大事な話を記載し忘れてました。
通院した、自分の主治医に、昨日、日蓮正宗のパンフレット(大石寺案内、お寺に参詣推進パンフ)をお渡しすることが出来ました。
これは自分にとっては大きな事です。
本当に恩のある先生なので、もっと幸せになってほしくてお渡しすることが出来ました。

最近、少し中国関連の事が周りに存在してます。
在宅だったのですが、(比較的在宅の時は夕飯担当なのですが)食事作りの時に、竹笛や琴が響く中国民謡を聴きながら台所におりました。

これは、インド、中国から渡って来た仏教が今、我が家にも伝わっていることを思う時に、その古き善き中国へも恩を感じなさい、という事でしょうか。

令和6年7月4日(木)

今日は胃腸科の最後の通院となりました。腸に軽い炎症があったようですが、経過観察で問題ないそうです。
身体は大事にしなければと思います。
しっかりお題目を唱えていきます。ご縁のある御尊師からも激励のLINEメッセージを頂きました。

この病院の帰りに車道のT字路でおじいさんが、自分の居る車道の反対側で自転車で転んでしまいました。
即座に飛んでいき、他にも2人の方がやってきて3人で救助にあたりました。
幸いそのお爺さんは怪我もなく、再度自転車でお礼を言われ去っていきました。
世間法で、少し良い事ができました。

御本尊様の御加護で、自分の周り全てが護られていることを感じます。

令和6年7月3日(水)

「キングダム」、金曜ロードショーでやってましたね。受験生の長女が録画を観て、はまってました。
始皇帝の若き時の話で、その始皇帝を護った剣士が主人公です。

キングダムは、一騎当千の剣士が出てきます。
若い時から中華を統一する大将軍になるという夢を、本当に叶えてしまった剣士の話です。
(やはり、この話も前の日記にも記載していたかと思います。)
本当に夢をかなえてしまった、この剣士は格好いいですね。

刀を持つ時代でもないですし、昔ほど時代劇はやらなくなりました。

しかし、我ら日本の天下が最終目的でもなく、中華統一どころか、一天四海皆帰妙法です。
世界広布です。

法華講は、この誰よりも大きな夢を持つ、一人一人ですから、唯すごいです。
自分も、より強く思いを持って、進んでいきたいと思っております。

こんな所で止まってもいられない。こんなちっぽけな個人の悩みで進まないのも全然ダメですね。

ちょっと言葉がくさいですが。。本当にその夢が叶う日を思い描いて生きていきたいです。

令和6年7月2日(火)

日曜日は、壮年部決起集会がありましたが、壮年部だけの熱い会合はとても大きな功徳と迫力を感じました。
司会のお二人もとても素晴らしく、活気を頂きました。
東京西部の方々の体験発表も力を頂きました。

信心とは、折伏なり
自分だけが幸せであれば良いという信心ではない!
邪宗をねだやしにする!
との、
壮年部決起集会でのご主管のご指導と観妙院上人の声、お心を、しっかり心に刻んで進みます。

鼓笛隊演奏も、法道院100周年の曲も流れなおかつ我が三人娘が泣きながら練習していたことも思いだし、合わせて、本当に感激でした。

この日の朝、唱題会後は、子供達は鼓笛隊演奏、妻は縄文会とそれぞれ散って行きました。
自分も二時間の唱題か完了した後、最近行ってなかった日蓮邪宗の訪問折伏へ、邪宗法明寺へ単独乗り込みました。

コロナ前は事務所に、何度か訪問して住職さんに話を求め、時に竜門会の後輩とも行きました。

久しぶりに訪問すると、この法明寺には厳重な門が出来ていて(笑)、インターフォンで押して中の人が許可しないと開かない、カメラモニター付きの、がっつり頑丈な扉です。w
しかし、自分が行ったときには、扉が開いてしまっていたのでwお伺いしました笑
前に行った時は「出入り禁止ですよ」とかゴニョゴニョ、僧に似た人が言ってましたが、よく聞こえなかったので、再度訪問したのですが、

今回は「日蓮正宗の者です」というと、住職的な(っぽい)お爺さんがやってきて笑
話をしたいというと

「あなたは二度と来ないで下さい」と言われてしまいました


こんなに温和に
大変丁寧で
スーパ笑顔で
ただ、話がしたい、といっただけ、

なおかつ一人だったのに。。(爆)

以前に話していた二箇相承が今になってボディーブローのように効いてきているかも知れません。

そんなに嫌ですかね。。
全くもって、柔らかに、破折しようと思っていたのですが。

んーこの人が居なくなる頃までしばらく行けないかも知れません。


世間法で、被害あっても無駄なので、近場で一般の人を折伏します。

この日も、この邪宗の帰りに歩いていた日蓮宗のお爺さん(さっきの住職的な人ではありません)に下種できました。

日曜日は、書院にて御尊師を通して、日蓮正宗の化義にも少し触れることが出来ました。

令和6年6月28日(金)

実家の近くには柳瀬川の支流の川が流れていて、今は綺麗になっていて「橋」がかかっております。
旧サイトの日記で記載したことがありますが、この橋は本当に狭くて、ガードレールが無く、車の車輪が、橋の欄干に当たりながら通っていたことを幼ながらに覚えております。
アオダイショウ(蛇)もこの橋に出ましてね。

ところが、回経で御僧侶が来てくださるようになってから、どうでしょう。
この橋が物理的に広くなりました。
また、家庭排水が排除され、この空堀川も綺麗になって、オイカワやザリガニ。シラサギも住むに川になりました。本当に国土世間が変わってしまいました。
正法はこんなにも凄いと思っております。

我が班も回経があり、我が家にも御尊師・御僧侶がいらっしゃる時期が近づいて来ております。

佐渡へ向かう鎌倉街道に面した我が家も、玄関から右へは佐渡方面、左へは鎌倉方面となります。ずっと先の先にある町ですが。。笑
御宝前で、佐渡や鎌倉に想いを馳せることがあります。
この地域に御尊師がいらっしゃることは、国土世間が大きく変わる事と思っております。

令和6年6月26日(水)

幹部会では、信心の血脈が流れ通うとは、地区の先達の言葉です。
喜び勇んで参加させて頂きました。

御尊師の御指導では、強い祈りが、強い動きとなり、熱心な祈りが御仏智を生み出すそうです。
壮年部決起集会へ向けて新たな顔ぶれが変革をもたらす会合にするように御指導くださいました。

また妙国寺様よりの御指導は、①云わなくてよかった。②言っていてよかった。③やっていてよかった。④やらなくてよかったという4つの功徳がある信心であることを人に語っていくようにお話され、また勤行をしっかり行う事で、好転がさらなる好転となることを御教示くださいました。

折伏とは魔との闘いであり、それは外からではなくその人の中に第六天の魔王がいることを忘れないように強く御指導でした。

この後、夕勤行に参加させて頂き、そのまま激励会に参加です。
久しぶりの激励会は、聞き漏らしてしまったらもったいない、言葉がたくさんあり、沢山メモを残しました。

我が家の仏壇を、昔購入したときに、仏具屋さんに云われたのが、欅なので光沢をもたせないでくださいと云われました。
光らせないように掃除を毎日してきました。
3種類のハタキで、毎日2回朝夕に(特に夜はしっかり)掃除をしております。

実は御扉の表面に少し汚れが有ったのですが、光沢させてはならないとずっと残っていた汚れは、アルカリイオン電解水で落とせ、なおかつ光沢させずに綺麗にすることを発見しました。
少しずつアルカリイオン電解水で仏壇を綺麗にしております。
小さな事ですが、我が家の仏壇がすこしずつ綺麗になることが、自分にとっては本当に嬉しいです。

令和6年6月24日(月)

子供たちを連れて、土曜日に地元のおもちゃ屋さんで対象者の御主人に会いに行きました。
日蓮正宗のパンフレットをじっくり見て下さっていた先日のお礼をしました。
子供たちはただ、おもちゃを眺めていただけではありますが、とても功徳を感じます。

日曜日は、午前中に地区の壮年部合同座談会があり、もったいなくも御僧侶にお越し頂き、御法話を頂ける会合でした。

一斉折伏前にコンビニのイートインに居ると、埼玉南部のO班長と話をする機会がありました。
比較的、入信から日が浅い方から、「折伏を何年しないと罰があたるのですか?」と聞かれたそうです。
皆さんはどう、思われますか?
個人的には、自分自身とてもズシンとくる言葉です。
自分が暫く折伏が出来ていない事をO班長に伝えると、いつもは優しいO班長も自分にしっかりと指導して下さいました。

この後、元顕正会の対象者が参詣されました。
地区のM班長と婦人部の方に応援頂きました。
「国立戒壇」と「血脈相承」について、結構強く破折をさせて頂きました。
彼は帰りに日蓮正宗の御経本が欲しいと言っていたのと、彼の自宅に家庭訪問させて頂く約束をすることが出来ました。
幹部会までの昨日の話は上記の通りです。

令和6年6月21日(金)

先週の日曜日(6/16)は、合同の組座談会が、班の拠点で開催されました。
法華講講習会登山へ、主要メンバーが御登山されていた日で、少なかったのですが副班長さんがとても良い話をされておりました。
・功徳というものは、冥益が一番だということ。
・普通で居られる事が、一番功徳であるということ。
本当に心に響きました。

実はこの後、長女の部活の撮影で、南浦和の会場に参りました。
(6/12からの障魔で)気持ちは大変落ち込んでいたのですが、テンションを上げて生徒たちの元気な姿を撮らなくてはいけませんでした。

この映像は、すでに先生に翌日に送信され、YouTubeに限定公開(部活内関係者)されております。
ちょっと撮り方に動揺が見られておりますが、何とか形にしました。
夏の大イベントでは、もっとよいショットで撮りたいと思います。

色々な障害があった中で、子供たちが、礼儀正しく挨拶してくれました。「よろしくお願いします!」と。
部活の皆さんが声をかけてくれました。
「がんばらなくては・・・」と思いました。
そして、又皆の前に戻ってくるぞ!良い顔たちを撮るぞ!と決意して頑張れました。

検査の余韻がありましたが、やっと身体が正常に戻りつつあります。
日曜の活動に向けて、また準備を始めます。

令和6年6月20日(木)

前回の日記の翌日に、個人的に大きな魔が生じて、今日まで大変でした。
健康診断で再検査の診断があり、不安な日々を送ってました。
己心の魔が強いです。

この間、日顕上人様の「すべては唱題から」の冊子を拝読し、唱題しておりました。
信心の同志や会社の方々がいつになく優しく癒されつつ、今日の検査日です。

麻酔をしての検査だったので、ほとんどプチ手術みたいな感じです。
名医なので、全然いたくなかったのと、自分が30分記憶にないのです。
・・当たりまえですが。。
先生が検査前に麻酔をしますね、との看護師さんからの話があったのですが、丁度先生と少し会話した後、記憶がないようです。

麻酔は、以前は「うわーねむくなる・・」って感覚があるように思えたのですが、今回はその感覚すらなく、「終わりましたよー」って声を掛けられて、あとでよく考えたら、宇宙人にサラワレタ状態です。
どうしてもその記憶が消えてます。

結果先生との面談も、ポリープすらなく、悪性のものはないので、いつものように生活してください、との言葉がありました。
一応2週間後に、通院です。
お寺へ闘病平癒の御祈念を出し御祈念して頂いたので、そのおかげで、悪いものが消えたのかも知れません。
御主管にも御尊師にも、ご心配をかけてしまいました。御報恩しなければなりません。

日顕上人様の御指南で、実生活でも、実際に善い「現証」が顕れるとありました。それが正法であるからですね。
その御指南が、きっと自分の身の上にも起こると確信してました。
もう50を過ぎて、より健康に気を付けていきたいです。

85歳が平均年齢として、やっとうちの父も平均前後なのですが、その元気な父にも負けてられません。

本当に功徳をいただきました。

今日は観妙院上人のお経があり、謹んで参列させて頂きました。
御主管から、親しく観妙院上人のお話を拝聴しました。
昔の庶務部や、総監、重役としても観妙院様の御話しは、自分には知らない話ばかりで興味深く拝聴しておりました。
当時、自分も観妙院上人葬儀の時に、外で警備をしていたのを今でも思い出します。
日顕上人のお車が目の前を通りました。

当時は本当に寂しくて、これから時代はどうなってしまうのかと不安であった学生時代でした。
これからも観妙院上人の御指導を拝して頑張っていきます。

令和6年6月11日(火)

御報恩御講の御法話で、御尊師からは上野殿御返事についてお話を頂きました。
我ら水の信心、火の信心について御説明くださり、退せず信じる水の信心が必要ですが、善を勧める悪を戒める時は「火の信心」が大事だそうです。こういうケースで火の信心が必要な事を初めて知りました。

堀上人の御指南から、「熱湯の信心」の信心であるべきという話は心に刻まれ、またどのようにすれば熱湯の信心になるのか、少し考えておりました。

この後、地区で集まったのですが、結構、うちの地区は講員さんが多く嬉しかったです。
何より、先日ご入信された、班の方が紹介者と一緒に参詣されている姿がありました。
嬉しい事です。

この後、実家から歩いて10分程度のところにある、班員さんの処へ家庭訪問に行ってきました。
自分が幼い時に自転車で走ったエリアです。
残念ながら、その家にはその方は居ませんでした。
しかし、その方を知っているという、全く別の方が、その方の事を少し教えてくれました。

家庭訪問の後は、実家に立ち寄りましたが、綺麗なユリの花が勢いよく咲いており、南国に咲く珍しい花で、花がこれほど根強く綺麗に咲いているのは不思議な事のようで、父も喜んでおりました。

i少年部長が私とのマンツーの会話の中で、「時を待つべきのみ」という話をされました。
「受くるはやすく、持つはかたし。さる間、成仏は持つにあり」という御金言が、いつも頭に浮かびます。
仕事ではどうしても抜け出せない課題があり、ずっとのしかかっておりますが、今こそ奮い起こしてがんばります。
「不退の信心」を磨いていかなければと思います。 (今日は日応上人様の満山供養の御登山をされた方は多かったのではないでしょうか。)

令和6年6月8日(土)

輸送班だった時の先達で、静岡の方と少しメッセージでやり取りをしておりました。
今、とても苦労が多い中で、精神的に少しダメージを受けて心身が疲労されておられました。
少し心配ですが、立派な息子さんとダッグを組んで信心されているので安心しております。

聖典を拝しますと、日興上人様の御弟子方(例えば妙蓮寺の日華師や、熱原の日禅師も)が大聖人様の御本尊様を御下賜されている時には、
日興上人が、大聖人様の御本尊様を「申し請い」て、というのでありますから、その語句を調べてみると。。。
日興上人様が大聖人様に申し出てお願いし、御許可を得られたという意味となります。

大聖人様が御在世当時にも、日禅師などは、日興上人様が、小師としても手継の師匠となるわけですから、今でいう地域の御住職(御主管)という事で、その日興上人様を通して、大聖人様に御本尊様を御下賜頂けるようにお願いされているのです。

化儀抄にあるように、
御在世も今も全くその化儀が変わらない事にとても感動します。
それが古い書にあるわけで、日蓮正宗の化儀は、鎌倉の大聖人様の御在世から変わらないのです。

つまり小師たる手継の師匠たる、我らが御主管(御住職)のもと信心をして、そしてその元で修行して、我らに功徳を頂く事ができるのですから、その一本筋が通ったこの教えは、どこまでいっても素晴らしいと感動するのです。

それを創価や顕正などの異流儀は分からない、感じないわけです。
勝手な師匠が出来てしまい、皆地獄ですから、気の毒です。

顕正より創価のほうが今は、「しまった」となっていて、さすがにバリ活の学会の叔母も静かになってしまいました。

それはそうです、僧の宝が在家の「創価学会」という組織なのですから、間違いは明確で、教義がこれほどまでに変われば、普通の精神の持ち主ならばおかしいと思うはずです。

ネット上でも、やっと組織の「違和感」に気が付く活動家がちらほら出ております。

今チャンスですね。
それと、教義的には、本当に日蓮正宗の一人勝ち(まぁ当たり前ですが)の処が、より明確になってきております。
ニセ本尊論だけでなく、三宝の論議でも日蓮正宗の正義が顕揚されており、凄い時代に突入して来たのかも知れません。

令和6年6月5日(水)

昨日は会社へ出社でしたが、父親から夕方最寄り駅まで来てほしいと云われたので、退社後に向かいました。
この待ち合わせのタイミングで実は、所沢付近は強い雷雨でしたが、待ち合わせ場所までダッシュです、傘はありません。笑

少し父も会話がしたそうで、色々孫の話など聞いて来ました。元気な様子で、少し安心しました。

この後、寄らなければいけないお店があったので、閉店間際に向かいました。
店主に日蓮正宗のパンフレットをお渡しできました。携帯していたパンフレットをすぐ出せる位置にしまってあったのが正解でした。
新たな対象者として折伏ノートや、カード。100人下種表に追加です。

創価の破折本(昔の)を買ったのですが、早速、学会の叔母にメッセージを送りました。
そう、創価のhpでも確認しましたが、いよいよ 「創価学会の定義する僧宝」が「創価学会」
になりました。日興上人の文字は、完全に消されております。本当にびっくりしました。
創価のhpで、検索の虫メガネから、「三宝」と検索すると出てきます。

これにはネット上の学会員も疑問を持ってました。
僧宝とは手を合わせる対象で、組織に手を合わせるのか、一般会員なのか、会長になのか。。爆

又、久遠実成の釈尊が「根本仏」で、大聖人は末法の教主であるが、継承者というのですから、困った教義です。
いよいよ崩れてくるのではないでしょうか。
学会の叔母は反論にならない文章を送ってきました。哀

令和6年6月2日(日)

今日は夜勤明けだったのですが、広布唱題会と日応上人の御経に参詣させて頂きました。

広布唱題会、御尊師の御法話は、
講習会登山に参詣した青年部がとても元気な様子から、これは、老若男女問わず、信心活動根本で栄養が補給されていく功徳の姿を御覧なられておりました。

また、御義口伝を引用され、
如来、仏様と朝起きて、生活を共にすること。これは仏様は素直な信心をするものに遣わすという事から、我らの折伏は仏様がしてくださるという事に通じる事を御教示くださいました。
折伏には無駄がなく、「折伏に失敗はない」そうです。

この広布唱題会の後、御尊師と少しお話する機会がありました。
我が家にとって大事な大事な口伝を頂きました。家族で喜びを共有したいと思います。内容は秘密です。

日応上人様の御経後での御法話は、日応上人様の3大事業を日如上人様の御指南を引かれ御説明くださり、その御苦労たるや並々ならぬ、御講での御苦労や(御講が終わると、浸水して下駄が浮いていたことなど)我らに残された折伏の心を御指導くださいました。

「日蓮正宗」という宗名を世間の人にお伝えすることだけでも立派な下種だそうです。
広宣流布は必ず叶うという、その願行の為に、頑張ります。

令和6年5月31日(金)

(一点申し忘れました。昨日、学会の叔母を電話で、徹底的に破折しましたが、少し動執生疑が、起こせたかも知れません!) 今日は、定期健康診断でした。
全部の結果が、今日分かったわけではありませんが、20歳代の時に自分は、血圧が上が155あったんです。
それが、今日の検診では、113/76です。
これ程の功徳がありますでしょうか。

本当に嬉しいです。健康という功徳を頂いております。

また、不思議にも今日は、顕正会が訪問に来ました。有難くも休みの日に、家に居ながら折伏活動です。
とことん、ニセ本尊論と、国立戒壇の邪義を破折させて頂きました。
元気を頂きました。笑

最近、我が家には、次女の罹患(快復済)や今日は詐欺電話が着信。(出ませんでした)又
この家に、初めて来た顕正会の訪問といい、きっと良い事の「前兆」なのではという事が立て続けに起っております。
ちょっとこれからが楽しみです。
その前振りが今日の健康診断です。笑

顕正会、大したことないです。

令和6年5月28日(火)

いよいよ、創価の教義が変わってきましたね。

幹部会で、講頭がいたく嘆いていらっしゃいましたが、彼ら、(まだ地獄には落ちていないと見られる)会長とローマ教皇との詐り親しむ、その振る舞いは、もう空いた口がふさがりませんが。。
カトリック基督教のトップと篤い握手です。?

釈尊が末法を救う仏、という教義になりました。日蓮大聖人はその「継承者」らしく。。
その釈尊も、始成正覚の釈尊のことなのでしょうか。

自受用報身如来の御当体、久遠元初・末法の御本仏宗祖日蓮大聖人
は、どこに差し置かれたのでしょうか。

令和6年5月26日(日)

今日の一斉行動では、武蔵野1班に交じって、街頭折伏に歩かせて頂きました。
唱題行直後にo御尊師は、御法主上人猊下様の御指南を引かれて、努力して、時間を御本尊様に御供養することの大切さを街頭折伏出発前に御指導くださいました。

西口方面でしたが、埼玉南部の同志や白子の先輩とも、折伏の現場で会うことができ、今日は池袋の町には支部の活動家が沢山いる感じで、少しコロナ前の街頭折伏状況に戻ってきていると感じます。

m班長の協力なフォローの元、お声かけした方が連絡先を教えてくれました。
結構奇跡的な事で嬉しく思いました。久しぶりに街頭折伏で小さな成果が出た思いです。

幹部会で、y御尊師は日興上人様の御手紙を引かれ、どこに居たとしても大聖人様の法を立てていく使命を強く自覚された日興上人様の御心を、まず御指導くださいました。
我らの信心に置き換えた上でのお話は心に個人的には突き刺さるものがありました。
大事な化儀も含まれる話なので、少しこの話のみ割愛します。

法統相続を考える時に、子供への育成が100%出来ている家族はなかなか居ないという内容は、我が家に当てはめても頷いてしまいました。
決意すると、魔は外からも中からも出てくる。特に己心の魔への注意を促されておりました。
今日は自分も一斉折伏前は、どっと疲れが出て大変でした。

自分の行を一歩進める事。
自分ならどのようなお声かけをされたら心に響くのか。
1日、1世間を広げる、周りの方への声掛けの運動をするようにお話されておりました。
丁度自分も日達上人様の「日興上人身延離山史」を朝拝していたので、y御尊師の原殿御返事の御引用は少し驚きました。

昨日の長女の体育祭応援での日焼けで、どこへいっても、「どうした?」とか「顔真っ赤だよ、いたくない、大丈夫か」など、お声かけ頂き、その度に長女の体育祭で有ったことをお伝えしました。

帰宅してから、今日の鼓笛隊ではドーナツの差し入れを謹んで頂いたとのことでした。
仏様から頂いたドーナツだったので、さぞかし心に染みた美味しさだったと思います。

今週も土曜夜間まで少しハードですが、元気いっぱいです。
幹部会で得られた信心の歓喜で、明日から又頑張ります。

令和6年5月24(金)

(5月の御指導更新したつもりで、更新してませんでした。お詫び致します。)

先週末の夜勤の振替休日が、昨日だったのですが、この代休を使って、新しいカレー屋さんの開拓に歩きました。

新たなネパール対象者が出来、連絡先を交換しました。
何とか大事に、折伏を進めていきたいです。

このカレー屋で昼食の後は、
移動中に駅前のビラ配りの方にも日蓮正宗の信仰について、少しだけ話をしつつ、
次女と、三女の先生との両方の面談で、小学校へ向かいました。
まだ下種していない三女の担任の先生へ、我が屋が日蓮正宗の信仰をしている事。鼓笛隊で三女が日曜日にお寺で練習している事をお伝えすることができました。

疲労が抜けない時は、3日前の出来事(身体に負担のかかる仕事や活動)について振り返る事にしております。
それで自己管理をしてます。3日前の負担が、疲れとなって出るものです。この年だと。。汗
どうも、今週は疲れが取れないのですが、明日は長女の運動会もあるので、調整しなくてはと思います。

折伏成就について、決して成果という数ではなく、その人の幸せを考えて、祈れた、その結果としてお寺にお連れしたいです。

令和6年5月22日(水)

Facebookで繋がっている支部の某先輩は、町田に住まわれているのですが、此の町田市も「鎌倉街道」が南北に通っており、鎌倉時代には大聖人様が佐渡御配流の時に歩かれたと云われているようです。
その先輩が地域に伝わる伝説を教えてくれました。

それは、(あとでそのホームページでも確認したのですが)鎌倉街道の途中で、大聖人様御一行は休息されたのですが(佐渡御配流の10/10当日)、ある堂に入りました。そこに居た住僧は大聖人様に帰依し、板御本尊を授与されたというのです。
この支部の先輩は、「授与された紙幅の御本尊を後で、御謹刻されて受持したのか、どのような経緯でこのような言い伝えがあるのかは分からない」
と仰られておりました。

間違いがないのは、大聖人様が歩かれた道で縁する方々に大聖人様が折伏されたという事実です。
凄い宗史の一端です。

しかし、その板本尊は言い伝えのみが残っているようです。
詳しく調べてみると、「本覚寺」という名前の寺院に、移されたという古い書がありました。

令和6年5月20日(月)

昨日は、法華講講習会登山へ参加させて頂く事が出来ました。
自分は仕事が、前日の夜勤の明け日でしたが、講中バスに乗せて頂き、少し有難かったです。
バス登山は、十数年ぶりです。

また、壮年部の同年代の同志や、埼玉南部のO班長も一緒のバスで、色々な話が出来ました。

O班長は、御本尊様の功徳について、細かい色々な諸難が続いてあっても、必ず護られるそうです。
この状況を考えた時に、その諸難の為にずっと祈りが途切れないので、功徳であるとお話されてました。
大怪我や大事故や大病などはないのは、本当に有難いと併せて仰ってました。

常唱堂と、御影堂と、奉安堂でそれぞれ唱題を合計2時間以上あげさせて頂き、御開扉は丁度中央の前から6番目で、御法主上人猊下様の御姿が拝せました。
また、本門戒壇の大語本尊様が、これ程まで近くで拝せたのもとても久しぶりでした。
一閻浮提第一の御本尊様という事は、このような近くで拝するとより強く感じるものです。
また、邪宗が誹謗するような日禅授与の御本尊様とは、御書体が違い、本当にお題目の御文字が他にはない心強く刻まれる御本尊様という事がわかります。

雨雲が、スマホの雨雲レーダで観ると、どこを見ても雨雲だらけなのに、本当に天候に護られて傘をさす機会が全くありませんでした。
本当に諸天に護られた、御登山でした。

令和6年5月16日(木)

次女が修学旅行から元気に帰って来ました。
父兄には小学校から、修学旅行の節目節目で、メールが来る仕組みになっており、キャンプファイヤーまで天気で、その後雨が降り、移動中のバスでは雨が降るも、現地では雨が止み、予定通りのスケジュールで行事が進んだそうです。
本当に御本尊様の御加護は凄いと思います。
解散式の先生の話でも、天気に恵まれた内容があったそうです。

これも次女の少しある得なのかも知れません。

今夜は輸送班時代の静岡の先輩から電話がありました。
その方は、お寺では中心者でありますが、支部の折伏の進め方について悩まれておりました。折伏について相談されたのですが、我が地区などが折伏が進んでいないことを正直にお伝えすると共に、我が支部で行われている折伏推進に於ける活動をお伝えしました。

お電話頂き、もちろんこちらが激励を頂いたようです。自分よりも遙かに、苦労されている方は多いです。
登山の前日が徹夜に近い仕事で、お山が大変なんて言ってられません。とんでもないです。
もっと大変な苦労をされて、眠れない日々の方がいらっしゃいます。
その苦労に比べたら、自分はまだまだ有難く、幸せです。

令和6年5月15日(水)

次女が今朝、修学旅行に出発しました。
先々週、次女が謗法になるぺく触れない為に、半月ほど前の修学旅行説明会に私が参加し、担任の先生へ我が家が日蓮正宗の信徒であると、少し下種することができました。

今日から次女は、諸天に護られて修学旅行が楽しく有意義に過ごしている事を祈ってます。

昔、中国の西遊記(漫画)の孫悟空が、サントリー烏龍茶の宣伝で出ていた事がありましたが、その猿(烏龍悟空)に似た生き物が、が高貴な白い服を着て、自分の夢に出て来たことがありました。

とても印象的な夢だったので、起きてすぐ、夢を見た日時や様子を描き残したのですが(昔の日記に記載したかも知れません)実家から南側には実際には保存樹林が大きく高くそびえているのですが、そのもっと高い位置に、白い岩山があって、その上に白い猿が左右に動いておりました。
その猿が、妻と自分のいる、その実家の2階に小さな巻物を渡してくれました。

それがどんな意味があるかは、今でも分かりません。

しかし、その白い猿は帝釈天の御使いなのではないか、と思った事がありました。
思い出しただけでも、不思議な夢です。

令和6年5月14日(火)

先日の壮年部唱題会で、O御尊師からの御指導は、異流儀の邪義を日達上人の御指南から厳しく破折されておられました。

また、仏様から与えられた使命の自覚と異体同心という我々の信心を望まれ、この先にある「冬は必ず春となる」との、あるへき境界を、御指導下さいました。

今日は御主管のお経に、御ともさせて頂きました。

令和6年5月9日(木)

ゴールデンウィークがあっという間に終わり、バタバタと仕事が始まりました。

今日は全社的にシステムトラブルで、仕事が進みません。笑
物事の整理整頓に時間を使ってます。 やっと復旧しつつあります。

今週は、気温の寒暖差が激しく、身体が追い付いていかないように思います。朝、雨で寒かったのに。。

今朝御主管の御導師にてお経を上げさせて頂き、その後、m企画部長に会い対象者の状況を報告することが出来ました。
また本堂後ろの唱題、折伏シールも貼って仕事に向かいました。

次のアクセル全開にむけて、また始動するために、下種のことを考えて進んでいきます。
御本尊さま、猊下さま、御主管や御尊師からのご恩をお返しするために。。

さぁ、夕方は壮年部唱題会へいくぞ!

令和6年5月5日(日)

昨日(5/4)は、午前中の地区の唱題導師があり、午前中に3時間近くの唱題をあげさせて頂き、この後、武蔵野1班の街頭折伏に便乗させて頂き、上野公園まで参りました。
上野の公園口の変わり様は、私にとっては浦島状態で、駅前の車道が無くなり歩道が上野美術館、動物園まで広く続いておりました。本当に驚きました。

昔の仕事場のエリアで、とても懐かしく、また仕事の合間に街頭折伏した事を思い出しておりました。
また、この近くの邪宗の大本山が有り、武蔵野2班のt班長と破折に行った場所でもありました。

大道芸人が多く人を惹きつけておりました。
ひたすら、班の方々とお声かけし歩いていきました。
思ったより暑かったですね。まだ5月初旬です。

今日は家族で広布唱題会に参加させて頂きました。
御主管は、御法主上人様の御指南を引用され、仏様の御遣いをすることで、自分自身の罪障が消滅されること。動きを止めないことで魔の入る隙をあたえない。我々が何のために生まれて来たか。
諸法実相抄の御金言を引用され、広宣流布が大地を的とするように、必ずやってくること。また
観妙院上人の御指導を引かれ、「信心とは折伏」であることを御指導下さいました。
地区の打ち合わせ、班の打ち合わせがありましたが、自分は新来者予定があり、その報告をさせて頂きました。
大法道院展まで、山門で武蔵野1班のm班長と街頭折伏をさせて頂き、新来者が時間に来たので、子供たちの鼓笛隊の演奏を少し観る事ができました。

その後、御尊師に御指導を頂きましたが、これから何度も参詣することで入信が叶うという事を、再確認し、駅までお送りし、今日は終わりました。

(話は前後しますが)
今日は不思議な夢を見ました。
内容は「御開扉」に間に合わなくてどうしようと、とてもとても焦っている夢です。
御開扉のはずなのですが、その場所は大石寺ではなく、細い道に左右売店のような家が建ち並んでいる場所です。
反対側から、御開扉を終えた笑顔の人々がやって来ていました。

実際にも、自分の信心に於いて少しタイミングを外してしまった事がありました。

令和6年5月3日(金)

昨日は、会社の許可を得て在宅勤務の途中で時間を頂き、長女の授業参観に行くことが出来、1時間目の学活と2時間目の体育・持久走を参観しました。

生徒たち皆が、一生懸命走っている姿に、自分でもそんな中学時代があったと、懐かしくも、若い事に少し羨ましく思いました。

今日は、次女と三女と共に、お寺での「少年部親子遠足」に参加し、御尊師やお手伝いの青年部や、御僧侶とも親しく会話をさせて頂きました。

子供たちが公園で交流している間に、御父兄有志7人で街頭折伏へ打って出ました。白子の同志aさんや、竜門会時代の同志とも一緒に、街頭をあるき本当に有難い修行で、パンフレットもお渡しできました。
みんな、本当に人の話をじっくり聞き、お寺へお誘いする事を念頭に、粘り強く話をしている姿が勉強になります。

少年部長との帰路での会話は、(全く大げさではなく)我が家の信心にとても大きな善い影響がある言葉を残してくれました。
これは子供の積んだ徳であり、参加した功徳がこれほども大きい事に少し驚いております。

末法の修行はこれまでも厳しくも、功徳は大きいです。

令和6年5月1日(水)

日曜日の一斉折伏では、地区で動いたのですが、頭破作七分の顕正会員を、最後の最後に地区の有志で破折を加えてお寺まで帰ってきました。顕正会員は、全く御書を読まないので、論は隙だらけです。

幹部会では、御主管は 自らの使命を感じて、折伏に立ち上がるよう期待され

「御本尊様に護られながら、折伏が出来る。又我ら精鋭の中の精鋭の人材であると
人は{なぜこんなことになるのだろう?}と思うがこれは誤った思想による」と
仰られておられました。

御尊師は
六根清浄の大功徳を詳細に御教示くださり、また、
罪障があるので、すぐに良くならない事もある。意識というものは、行動しないと変わらない、と、折伏に動くように御教示でした。

月曜の「宗旨建立会」で御主管は、「開目抄」の御金言を引かれ「二辺の中にはいうべし」との大聖人様の立宗への御心を教えて下さいました。
云うべきか、云わざるべきかと、思案されたと。父母、兄弟、師匠にも難が及ぶ事。しかし、「いうべし」と決意され、立宗されたということです。
自分の信心に少し置き換えて、色々考えてしまいました。

顕正会で迷われている方と連絡が取れました。